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日本卓球はなぜ世界的強豪になったのか —— 指導者まで変えた「映像プレゼン」

卓球ニッポンの成長が止まらない。

6月5日に閉幕した卓球の世界選手権個人戦(ドイツ・デュッセルドルフ)で、金1、銀1、銅3と大躍進。メダル5個以上の獲得は、1975年大会以来42年ぶり。

ジャパンオープンは男女合わせ日本勢では唯一準決勝進出を果たした水谷。 彼の存在こそがここ十数年間の育成の成果だ。

中でも、男子シングルスで大会史上最年少で8強入りを果たした張本智和(13=JOCエリートアカデミー)や女子シングルスで48年ぶりに日本に銅メダルをもたらした平野美宇(17=同)など、若手の進化が目覚ましい。昨年のリオデジャネイロ五輪に続く好成績で、3年後の2020年東京五輪へ大きな手応えをつかんだ。

小学生の育成方法から見直した

ライオンジャパンオープン荻村杯(6月14~18日・東京)で男子シングルス4強に入った水谷隼(28=木下グループ)は、「日本が中国を抜くのは時間の問題ではないか。今まで通り、選手が切磋琢磨していけば勝てる日は近いと思う」と話した。

これまで卓球王国の中国に「追い付け」が合い言葉だったのが、「抜く」に変わっている。

進化の火付け役は、国際卓球連盟(ITTF)副会長で日本卓球協会副会長の前原正浩(63)だ。

始まりは、2001年に日本代表監督を務めた世界選手権で、男子団体が史上最低の13位になったことだった。現在は日本卓球協会強化本部長(当時、前原の後任で監督)を務める宮﨑義仁から「前原さん、小学生のナショナルチームを作らなければダメだ」と言われた。

「当時の日本選手はフォアハンドはいいけどバックが弱いと、対戦相手にとっては攻めやすいプレースタイルだった。これは、練習方法や指導に問題がある。しかし、小学校の頃から何万回も打ってきて確立されたプレースタイルを高校生くらいで矯正しようとしても無理。初期設定を変えることを考えた」(前原)

「初期設定の変更」とは早期教育、つまり小学生の育成方法の見直しだった。

指導者を教育しなくては選手は変わらない

2002年、全国から有望な小学生を集めた。このやり方はサッカーなど他競技でもすでに始めていた。だが、前原はもうひと工夫施す。子どもを指導するコーチもしくは保護者がペアとなって帯同する条件をつけたのだ。

「普段から教えている指導者を教育しなくては、日本の選手は変えられない」

ジャパンオープン表彰式でプレゼンターを務めた前原(中央)。 東京五輪で日本選手の首にメダルをかけることが悲願に違いない。

全国小学生大会でベスト16に入った選手と、その前に負けはしたが才能のある子どもとそのコーチか保護者を交えた2泊3日の研修合宿を繰り返した。

研修は前原が担当し、各指導スタッフを選出した。技術、フィジカル、メンタル、栄養。当時子どもが“キレる”ことが社会問題になっていたため、メンタルのトレーニングを。遠征の後半にバテてしまうのはバランスの取れた食事ができていないからだと、他国に先駆けてスポーツ栄養をカリキュラムに入れた。

現役時代、監督時代に指導者講習会に招かれ講義した際に、 「最初は資料を配って、それを読んで。いろいろ話せば自分の自慢話になったりした」(前原)という反省が生きた。

ふと見れば、受講者は寝ている。例えば、彼らがそれまで懸命に教えてきたフォアハンドに対して「フォアだけではダメだ」とシビアな話をするのだから、受け入れがたい指導者がいたのは当然だった。

「そこをとにかく変えなくてはならないのに、どうしたらいいのか」

忘れ物の山の映像で自立心の重要性を

そこで、伝える方法を変えた。資料のほとんどをスライドや映像で訴えた。世界のトップ選手、ジュニアのトップレベルのプレー、練習映像も入手して見せた。世界と戦うには何を伸ばすべきか、どんな指導をすべきかを可視化させた。

子どもの自立心を養うことの重要性を話す時は、小学生の大会終了後に、大会本部に残されたタオルやラケット、シューズなどの忘れ物の山の写真を見せた。

小中学生の全国大会や高校のインターハイの監督会議後に、情報提供する時間をもらった。同じように映像を流した。ところが、大会に勝つために来ている指導者は会議を終えて、早く選手の元に戻りたいと、途中で退席する者もいた。最初は15分だけしかもらえなかった。それが20分になり、30分と伸びた。

加えて、日本の低迷期、敗れて泣く選手の姿も見せた。悔しさを共有したかった。

説得材料になるデータも用意した。1981年から小学生の全国大会が始まっていたが、1992年のバルセロナ五輪までの11年間で五輪に出た男子小学生チャンピオンはひとりだけ。数人出てきてもおかしくないのに、成長が止まってしまう。なぜなら、保護者や指導者が小学生の全国大会創設を機に、「ここでチャンピオンに」と、「今勝つこと」に過度に集中したからだ。

前原は、選手の伸びしろをつくることを考えてもらうよう促した。彼の研修で、みんながメモを取るようになった。

気づけば、公認指導者数は10年間で2000人台から3000人台の1.5倍に増加。2008年からJOCエリートアカデミー事業が開始され、より育成環境が整った。

イベントプレゼンでヒントにしたK-1

ただ、エリートアカデミー事業に参加しているのは卓球だけではない。ナショナルトレーニングセンターもそうだ。なぜ卓球だけが抜きんでることができたのか。

前原は2003年から、筑波大学大学院体育研究科(現・人間総合科学研究科)に通い始めたが、その前年に に日本オリンピック委員会主催で行った 研修 (ナショナルコーチアカデミートライアル) で、後に国際サッカー連盟(FIFA)理事で日本サッカー協会会長となる田嶋幸三、ミスター・ラグビーと呼ばれ日本のラグビー改革の夢半ばで亡くなった平尾誠二など、そうそうたる面々から刺激を受けたという。

「各競技団体代表者の方と比較し、自分はまだまだ劣ってるなあと思った。とにかくみなさん話が上手くて。自分はなかなかうまくできない」

卓球界の躍進には前原の映像プレゼンの効果が大きかったのだが、それは前原のこうした謙虚な姿勢に寄るところが大きかったのかもしれない。自分は話がうまくないからこそ、「だったら、映像で」と変換できた。

筆者に説明する際も、前原はずっとパソコンを駆使して映像を見せてくれた。

「何もしなければ、何も生まれない」が前原の口癖。細部にこだわりながら、小さな改革を コツコツ進めたことが卓球界の躍進につながった。

負けた棋士は自分から負けを認め「参りました」と頭を下げた瞬間から、「次はどう戦うか」を考え始めるという。同様に、前原も日本卓球界の足りない部分を認め、後輩の宮﨑からアイデアを募り、修正に尽力してきたのだろう。

日本代表を頂点に下部は幼児、小学生というピラミッド型の育成システムはサッカーを手本にした。

テレビに放映されないスポーツは衰退していくと感じ、「イベントプレゼンテーションをよくしなくては」と他競技の大会に足を運ぶなかで、ヒントにしたのがK‐1のショーアップ。周囲は真っ暗で「マッチ箱みたいなリングがスポットライトに照らされ、 (優れた音響設備によって)会場の最上段の席まで闘いの気配が伝わってくる。臨場感があった 」(前原)。

選手が持ち歩くiPad

スピードスケートの代表合宿を視察した際は、選手が夕食後、部屋へ戻る際にデータスティックを持っていくのを発見。撮影映像を見てフォームをチェックすると聞き、すぐに取り入れた。今や卓球選手はみんなiPadを持ち歩く。

そんなふうにずっと他競技を参考にしてきたのに、今や前原は他競技の協会や連盟関係者に成長戦略の秘密を教えてほしいと請われ、ナショナルコーチアカデミーでの講義で、包み隠さず話す。

リオ五輪で羽根田卓也が初めて銅メダルをもたらしたカヌーのコーチである安藤太郎は、前原の講義を聞いて度肝を抜かれたという。

「やってきたことは当たり前のことだと前原さんは言うし、そうだと感じる。でも確実に実行してしまえることが凄い」(安藤)

ジャパンオープン終了後、前原に次の抱負を尋ねるとこんな答えが返ってきた。

「選手全員が本当に頑張ってくれている。本当に感謝している。あとはもっとスタッフ力を上げなくてはならない。コーチだけではなく、フィジカル、栄養など多面的に選手を支えるスタッフ全員の力量をもっと上げていくことを考えたい」

すでに次のプレゼン内容が頭にあるように見えた。(本文敬称略)

(撮影:今村拓馬)


フリーライター。筑波大学卒業後、英国留学など経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。週刊誌やネットニュースで、スポーツ、教育関係をフィールドに執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』など著書多数。最新刊に『部活があぶない』。

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