リモートワークを極めれば、職場は地球になる。岡さんは現在オランダ・ハーグに住みながら日本企業の仕事を受ける。
ライター・編集者の岡徳之さん(31)の取材を受けるなら、それは大抵スカイプインタビューだ。カメラマンや編集者などの取材チームがやってきて、みんなでパソコンを囲む。でも取材する肝心の岡さんは画面の向こう。画面を見ながら質問に答えることになる。
打ち合わせや会議も、オンラインだ。
毎月、編集部はスカイプで岡さんと編集会議やミーティングを重ねる、人材サービス「パーソルキャリア」のオウンドメディア「"未来を変える"プロジェクト」の三石原士編集長とは、年に1度も直に会わない。
それでも三石さんは、岡さんとの仕事について「時間と場所に制限なく取材ができるので、他社にはないコンテンツができあがる」と、むしろ歓迎だ。
現地の仕事は現地でしかわからない
岡さんは現在、オランダで家族と暮らしながら、シンガポールとアムステルダムの2都市を拠点に、日本企業の仕事をしている。現地取材はもちろんのこと、海外にいながら日本国内の取材も引き受ける。
生活拠点を置くオランダと日本の時差は約7時間。これも岡さんには快適だ。
「ちょうど日本の夕方がこちらの朝なので、仕事中に連絡がガンガン来なくていいですね。必要なやりとりは、メールやチャットでできるので、不便はないです。スカイプで参加した会議に口を挟むタイミングは、いまだに難しいですが(笑)」
4年前、27歳だった岡さんが海外移住を決意したきっかけは、仕事での苦い経験にあった。PRのベンチャー企業を経て独立し、広報PRに加えデジタルマーケティングのライター業が軌道に乗り始めたころのことだ。
あるクライアントから北米での商品プロモーションを引き受けたものの、英語もたいしてできず、現地事情もノウハウも、実はよく分かっていなかった。
「なんとかなると思っていたけど、なんともなりませんでした」
現地で再委託したPR会社は納期を守らず、むしろ「ディレクションがあいまいだ」と逆ギレされる。
顧客の求める結果には当然、至らなかった。ただただ申し訳なく「報酬をもらうのも苦しかった」。痛感したのは「現地の仕事は現地でしか分からない」ということだった。
このまま世界を見ずに、モヤモヤした気持ちで一生を終えるのか。
考えた結果、出した結論が移住だった。
コネもカネもなくともできること
コネもなければ、抜群に英語ができるわけでもない。数カ月分の生活費くらいは手元資金にあったとはいえ、ほぼ裸一貫の岡さんが、海外を拠点に働くための体制作りには、戦略が必要だった。どこに住むか。どうやって稼ぐか。徹底的に考えた。
血気盛んな若い起業家の出ていくシンガポールを選んだ。
Shutter stock: Donatas Dabravolskas
1. 成長市場のある街
まずは移住先だ。最新の海外デジタル事情を入手できる街がいいと考え、世界最先端のシリコンバレーか、2012年当時で将来、日本人の注目が集まりそうなシンガポールに絞った。
「シリコンバレーなら自分より詳しい日本人がすでに何人も住んでいる。血気盛んな若い起業家が出ていくシンガポールなら、日本とのパイプ役として独自性をつくれるのではないか」
起業誘致の盛んなシンガポールは、法人税も安く優遇制度も豊富。会社の設立がすべてオンラインで完結するのもメリットだった。
2. 日本で仕事をつくる
当時仕事を引き受けていたウェブメディアは、新聞社や通信社のようにシンガポール支社をつくるのは、資金的にも現実味がなさそうだ。
「だったら、フットワークの軽いライターや編集者が現地にいれば、重宝されるなと考えました」
出国前から、付き合いのある複数媒体に「東南アジア連載をやりませんか」と売り込んだ。シンガポールの成長が盛り上がる時期に、現地のナマの情報を欲しくない媒体はない。
「みなさんすごくありがたがってくれて。10媒体の連載を書くことになりました」
当時、国内の主なオンラインメディアの東南アジア連載は、ほとんど請け負う状況ができた。
3. 現地でチームをつくる
シンガポールが東南アジアのハブとはいえ、エリア全体を1人で見るには限界がある。知人のツテで知り合った大手通信社の記者を口説き、社員にスカウトした。SNSを通じて、東南アジアに住むライターや編集者とコンタクトをとり、信頼できるメンバーを地道に増やしていった。
当時付き合っていた彼女とは、出国前に結婚を決めた。英語が得意な妻は、会社の設立をはじめ手続きにも長けていて、有力なチームメンバーだった。
働き方が時間と場所から解放されると、人生は変わる。
住居は、中心部から電車で20分ほどのビシャンという街で、シンガポール人オーナーの家を間借り。政府系の集合団地が立ち並び、インド系、中華系、マレー系が入り混じって暮らす、雑多でローカルな生活感あふれるエリアだ。
がむしゃらに働き2年が経つ頃には、地道に集めた東南アジアライターチームは15人に増えた。ジャカルタやマレーシアなど東南アジアでの取材には一通り対応できる体制ができていった。
広がるフットワーク
2015年10月から、岡さん夫妻はオランダのハーグに生活の拠点を移している。アムステルダムから電車で1時間の、北海沿いに位置する緑豊かな行政都市だ。シンガポール法人はそのままに、ライターチームの欧州版をつくりたいと考えたのと「単純に欧州に住んでみたかったから」。
オランダを選んだのは、英語が通じて会社がつくりやすく、就労ビザが必要なかったから(当時)。アムステルダムは世界各国と繋ぐハブ空港がある。
「ここから、欧州の各都市に行けばいい」
昨年の大晦日には、第一子となる長女が生まれ、岡さんの生活も変化しつつある。
「オランダでは仕事はあくまで生活の一部で。週に4日働いて1日はパパの日という男性もいれば、バリバリ週5日も働く人もいて、人それぞれ。ビジネスだけでなく人生にも多様性があるな、と」
欧州に拠点を広げたことで、日本国内の取引媒体は倍増した。岡さんのカバー範囲は北欧、東欧、北米へと拡張している。
パソコンひとつあれば基本は「どこでも働ける」となると、制約はどこまでも溶け出していく。
日本のリモートワーカーは2.5%
総務省の「2015年通信利用動向調査」によると、日本でテレワーク(リモートワーク)を「導入している」または「導入予定がある」とした企業はわずか2割程度。実際利用している社員となると、2.5%にとどまる(2017年リクルートワークス研究所調査)。
国は東京五輪開催の2020年まで毎年、テレワーク・デイ(7月24日)を設けて賛同企業を募るが、最大の目的は通勤渋滞の緩和だ。
日本ではまだまだ「仕事=出勤」「在宅=特別措置」という概念は強いが、仮に時間や場所から解放された働き方が広まれば、配偶者の転勤問題も、地方の過疎化も、人口減少による人手不足も、一気に解決する可能性が出てくる。
オランダでは家族が増え、家族と過ごす時間も増えた。
帰る拠点が増える生活
今後いつまでオランダに住むか、まだ決まっていない。次の行き先も見えないが、この先も世界のハブ都市に移り住むつもりだ。
「転々とすることで、世界中に居場所ができる。オランダで失敗しても、シンガポールに帰れる。シンガポールがダメなら、日本に帰ればいい。そこには仕事のチームもいれば、友達もいる。そういう場所が増える安心感があります」
帰る場所の選択肢があるからこそ、フットワークはどこまでも軽い。「まずは住んでみて、会社をつくってみる。後のことはなんとかなる」と思っている。
越境リモートワーカーという岡さんは、異国で骨をうずめるような決死の覚悟とは無縁だ。そこにあるのは仲間とIT環境さえあれば、どこでも仕事ができる軽やかさと、オフィスどころか国も時差も超えた、ボーダレスな毎日なのだ。
(撮影:行武温)
岡徳之:慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、デジタルマーケティングの記事執筆の仕事がきっかけでライターに。現在はオランダを拠点に、欧州・アジア各国を回りながら編集プロダクション「 Livit」 の運営とコンテンツの企画制作を行う。「東洋経済オンライン」など有力メディア約25媒体に執筆する。