金融庁の動向が注目されている。
かつては財務省が最強官庁と言われた。だが最近は、金融庁の存在感が増している。
文字通り金融をつかさどる中央官庁の一つであるが、銀行、証券、保険会社など金融に関わる業界を一手に監督しており、強い許認可権限を持っている。民間企業の力が強くなり、かつてのように霞が関が所管する各業界に影響力を及ぼす時代ではもはやなくなったが、金融庁だけは例外だ。
監督対象となる業種や会社の数は数多く、さまざまな許認可や、法令違反に対する強力な処分権限を握る。業界が絶えず意識し、頭の上がらない存在であり、それゆえ近年は、金融庁が財務省をしのぐ「新・最強官庁」とさえ言われている。
地銀の経営改革を推し進めるキーマン
そのトップに立つ森信親長官が任期3年目に入った。霞が関の多くの役所で、長官=次官のポストは就任から1年ないし2年で異動するのが通例だが、森氏は異例の続投である。
金融庁はこれまで森氏を含めて歴代9人の長官がいるが、任期が3年に及んだのはこれまで五味廣文氏と畑中龍太郎氏の2人しかいない。
中央官庁の人事は通常国会が終わる6月末で大きく動く(役所が新たな事務年度に入る)が、この夏は森氏が続投するどうかが金融業界の大きな関心の的になっていた。なぜなら、森氏は銀行、特に地銀の経営改革を強力に進めてきたキーマンであり、その流れがこのまま継続するか否かが業界にも大きく影響するからである。
森長官の金融行政の経緯は、読売新聞東京本社経済部の若手記者が中心となって綿密な取材でまとめた近著『ドキュメント 金融庁vs. 地銀 生き残る銀行はどこか』に詳しいが、筆者も執筆陣の一人として参加した。本書で中心になっているのは、森長官の金融行政に対する革新的な取り組みである。
これまで2年にわたり、地銀に経営体力を強化してもらうべく旗を振り、時には業界に耳の痛いことも数多く指摘してきた。それゆえに森氏が今夏交代するかどうかは、大げさにいえば業界の命運すら左右しかねない大焦点となっていた。
稼ぐ力と顧客本位の視点の強化
森氏の進めてきた金融行政の本質とは何か。
金融業界は森長官の改革路線の動向に神経を尖らせる。
シンプルに表現するなら、「地銀の稼ぐ力をつける」、そして「顧客本位のサービスを行うよう促す」という2点であろう。
どこに行っても同じような店構えや支店の雰囲気、画一的な融資・審査姿勢やサービスなど、多くの利用者も感じてきたことだが、そうした横並び意識で本当に地銀は稼ぐ力をつけることができるのか。銀行が販売している金融商品は本当に顧客のために役立っているのか、といった強烈な問題意識が森改革の出発点だ。
改革に向けて森氏はさまざまな手法を繰り出す。
その一つが周辺に指示してまとめた「金融機関の将来にわたる収益構造の分析について」というレポートだ。地銀の地元経済の成長率と、中小企業向け貸出の相関関係を示したものだが、同じような市場環境でも銀行によって収益力に大きく差がついていることを示した。このレポートは「森ペーパー」と呼ばれ、地銀からは「金融庁が再編を意図しているのではないか」と恐れられた。
このほか、銀行での保険商品の販売にあたって、利用者にはわかりにくい形で手数料を取られているケースがあることを金融庁は問題視した。払い込む保険料に対して高い手数料を取られれば、運用に回るお金は減る。しかも保険と呼びながら、実態は市場の変動で将来の受け取り分が変動するという投資信託のようなリスクがあることを十分に伝えようとはしていなかった。
金融庁には、銀行が高いブランド力を利用して顧客に不利な商品を売り、手数料稼ぎに奔走しているように映ったのである。ここには「自分の家族に売って恥ずかしいと思えるような商品を扱っているようでは困る」という極めてまっとうな判断があるといえる。
取引先の事業内容や将来性を検査
もっともこうした行政スタンスを金融庁が打ち出しているのは、森氏が率いる金融庁が置かれている状況の変化がある。
金融庁は、1998年の金融危機時に設置された前身の金融監督庁を改組して2000年に生まれ、設立当初から危機対応という大仕事を担わざるを得ない宿命があった。その延長で銀行が不良債権に苦しんでいた時期には、貸し倒れに備えた十分な引当金を積ませ、資本不足などでそれに耐えられない銀行は市場から退場させるという厳しい対応を続けてきた。
その後、ようやく銀行が不良債権のくびきから解放され、経営危機や破綻という異常事態からは遠ざかる「平時モード」の時代となったいま、新たに進化するビジネスモデルはどうあるべきかが問われる時代に変わってきた。
少子高齢化による人口減が進む日本社会の現状の中で、いまのままで稼ぐ力が十分に身につくのかという金融庁の懸念が、地銀に収益力強化を促しているのである。
これに関連して、銀行の融資案件を1本1本チェックするような金融検査のマニュアルを大幅に改訂し、取引先の事業内容や企業の将来性に着目するよう検査方法も大きく変えた。
従来、金融庁の検査局が大手銀行や地銀、信用金庫、信用組合といった業態別にモニタリングチームを編成していたのに対し、新たにリスクの種類に応じた専門チームを、業態を横断する形で再編するなどの対応を打ち出したのだ。 そこにあるのは「平時の金融庁」はどうあるべきか、という発想である。
3年目に入った森氏が直面する課題とは何か。
まずは、引き続き地銀を中心とした地域金融機関に経営力強化を促すことである。森氏は常々、金融機関が短期的なもうけに走るのでなく、顧客に寄り添った営業姿勢に転換するよう求めている。3年目の仕上げという面からも、そうした努力が銀行には一段と求められることになる。
さらに森氏は、取引先企業の将来性を見極める「目利き力」を高めるよう地銀などに訴えてきた。こうした姿勢を維持するとともに、担保のある一部の優良企業に融資を集中させて金利引き下げ競争を繰り広げるのでなく、根本の部分で収益力を高めるようさまざまな角度から地銀の意識改革を求め続ける方向だ。再編もその有力な選択肢の一つであり、これまでも各地でそうした動きが多く出始めている。
森改革の元で地銀改革、再編は進むのか。
だが、ふくおかフィナンシャルグループ(福岡市)と十八銀行(長崎市)は7月下旬、10月に予定していた経営統合について、時期を「未定」として再延期すると発表した。独占禁止法に基づき統合の是非を審査している公正取引委員会からの承認が得られないためで、今年1月に続く2度目の延期となった。
金融庁の政策努力もあって、地銀の間には再編機運が高まり、実際に結実している組み合わせも増えている一方で、公取という思わぬハードルもあり、今後の展開は予断を許さない。
景気の安定を反映して、最近の日本経済全体の状況は悪くはない。しかし、地方経済にその好調さが十分波及しているとは言い難い。金融庁の試算では、地銀の約6割は2025年3月期に融資などの本業が赤字になるとみている。少子高齢化の波はとりわけ地方に大きく襲いかかる。
こうした中で金融庁は今後、地銀、信用金庫、信用組合にいたる地域金融機関をどのように牽引していくのか。長年指摘されながら遅々として進まない「貯蓄から投資へ」という日本の金融構造の変革をどう進めてゆくのか。さらに金融業界との緊密な意見交換の場を作り、金融庁自身をどう変革するのか。取り組むべき仕事はまだ多い。
中村宏之(なかむら・ひろゆき):読売新聞メディア局編集部次長。長く国内外の経済報道にあたり、ロンドン特派員、ハーバード大学国際問題研究所研究員、経済部デスク、調査研究本部主任研究員などを経て2017年4月より現職。主な著書・共著に『御社の寿命』『世界を切り拓くビジネス・ローヤー』。