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リバプールの名監督クロップにならう「人心掌握術」 —— こうして凡百の選手は名将になった
いま、最も有名なドイツ人の監督——それが、ユルゲン・クロップ(50)だ。
クロップは現在、イングランドの名門リバプールの監督を務めている。サッカー発祥の地であるイングランドのプレミアリーグでドイツ人が監督を任されたのは、彼が史上2人目だ。熱狂的なサッカーファンがいるかの地でも、熱狂を持って迎えられている。現職に就く前には、1試合あたりの平均観客動員数がヨーロッパ最多のドルトムント(ドイツ)で7年にわたって指揮を執り、カリスマとして君臨した。
監督としての輝かしいキャリアとは対照的に、彼が選手としてはごく平凡な存在だったことは、ドイツのサッカーファンの間では有名な話だ。
しがない2部リーグ選手からマインツ監督へ大抜擢
現役時代、彼はドイツ代表の候補に挙げられることすらなかった。そもそも、ドイツの1部リーグでプレーした経験もない。選手としては、二流に過ぎなかった。
クロップは2001年の2月終わり、マインツの選手として活躍している最中、突如、監督としてのオファーを受けた。前任監督が解任されたことで、チームの在籍年数が長く、ベテランとして存在感を放っていたクロップに白羽の矢がたったのだ。
監督就任の依頼を受けてから30分ほど考えたすえに、32歳にして監督としてのキャリアをスタートさせることを決めたという。当時マインツのGMで、クロップに監督就任のオファーを出したハイデルは、すぐに返事が来たと語っている。
監督を引き受けた時点でマインツは2部リーグから3部リーグへの降格の危機に瀕していた。クロップは就任直後の7試合で6勝して、無事に残留を決めた。そこからチームを少しずつ成長させ、3年後の2004年、マインツをクラブ史上初めて1部リーグに昇格させて、監督としての評価を大きくあげた。その4年後の2008年、ドイツで屈指の人気を誇るドルトムントの監督へと栄転を果たしたのだ。
そんな彼がドイツ人で最も有名な監督となり、ファンや選手、はてはメディアからも人気を集めるまでになったのには、明確な理由がある。サッカーファンの間で今でも語り草となっているのは、マインツ時代のファンが書いた文章だ。
「彼がマインツでパン屋をはじめたら、マインツの他のパン屋さんは店じまいをしないといけないね」
要は、クロップと話した人はその話術に引き込まれてしまい、またクロップの話を聞きたいと思ってしまうということだ。専門的な技術ではなく、人柄と愛想の良さで客を集められる存在だ、と件のファンは伝えたかったのだろう。
前後するがクロップは2006年にドイツで開催されたワールドカップの期間中、現役の監督ながら、国営放送で解説者を務めた。明確な話しぶりと、ときおりまじえるユーモアが話題となった。サッカーに詳しくない人からも認知されるようになったのは、この頃からだ。
選手としては大成しなかったが、人の心をつかむ術には長けていた。つまり、彼はコミュニケーションの達人だった。その資質が、彼が一流の監督として、選手を束ねることを可能にしたのだ。
クロップは、日本代表の10番を背負う香川真司の恩師としても、よく知られている。香川は、2010年、21歳にしてドイツに渡ってすぐにゴールを量産して、ドイツで最も有名な日本人選手となった。その成功の陰にも、実はクロップ流のコミュニケーション術があった。
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クロップは、香川の入団に合わせ、日本語の通訳もチームに招き入れた。外国人選手のためにチームが通訳を用意すること自体は、それほど珍しいことではない。画期的だったのは、ロッカールームから試合中のベンチまで、あらゆる場所に通訳を帯同させたことだ。それまで、通訳をロッカールームやベンチに入れることは「チームの不可侵のエリアに部外者を入れるのは好ましくない」という理由で、敬遠されていた。通訳が必要とされるのは、監督が選手と深い話をしたいときなどに限られていた。
しかし、クロップにとって、そんな慣例など関係なかった。
2010年当時、筆者はクロップ本人に通訳を帯同させる理由をたずねたことがある。すると、彼は「僕は日本語が上手く話せないんだ」とジョークを交えながら、その理由を説明してくれた。
「選手たちにとって、少しでも快適な環境を作ってあげたいからだ」
当時から現在まで、チームの人事の責任者であるスポーツ・ディレクターのミヒャエル・ツォルクは、その理由をこう補足した。
「クロップ監督はコミュニケーションを大事にする人だから、チームが選手に何を求めているかを伝えなければいけない。逆に、選手が何を望むのかも僕らは知らなきゃいけない。だから、通訳を用意したんだ」
そうやってコミュニケーションを武器に、“ドイツ人として最も成功した監督”と評されるまでになった。
クロップがこだわる3つのコミュニケーション術
彼がコミュニケーションをとる上で、大切にしていることが3つある。
1つ目が、「愛」を持って選手たちと接する姿勢だ。
自分のチームの選手たちが、他のチームへ移籍する。監督をしていれば、そんな事態は日常茶飯事だ。移籍をする理由は、家族が街や国になじめないというプライベートなものから、他のチームがより高い給料を提示したなど、評価に絡むものまでさまざまだ。しかし、教え子のそんな決断に、クロップが異議をとなえることはほとんどない。
その象徴的な例が、2012年に香川がドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したときの対応だ。ドルトムントのファンの人気者だった香川が移籍することで、ファンから反感を買う可能性は十分にあった。しかし、当時のクロップの対応によって、この移籍は美談となった。
「真司は移籍を決断する前に、ドルトムントを離れるのが悲しくて、僕の腕のなかで泣いていたんだ」
香川が移籍した直後に、複数のドイツメディアに対してクロップはそう語っている。
ドルトムントが嫌いになって出て行くわけではないということをファンに伝えることで、ファンは香川を快く送り出した。
移籍したあとに、かつての指導者のことを悪く言う選手も少なくない。しかし、クロップのもとではそうした選手はほとんどいない。当時の香川はチームの絶対的なエースだったが、「オレはオマエの決断を尊重する」と声をかけられたと証言している。自分の家族のように選手のことを愛しているからこそ、選手から信頼されるのだ。
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2つ目が、シビアな状況でも「ユーモア」をまじえて、乗り切ることだ。
日本語で「郷に入りては郷に従え」ということわざがある。英語でも同様の意味の「Do in Rome as Romans do」という表現がある。クロップはまさにこのことわざを地で行く振る舞いをしている。
サッカーの監督は時にはメディアから辛らつな批判も受ける。イングランドの記者からの厳しい質問に対してクロップは、正しい発音だが英語にはない表現で上手く答えている。追及してたはずの記者もつい笑ってしまい、批判の手をゆるめてしまう。監督は時には真っ向から反論する必要もあるが、それだけでは関係が悪化する。メディアとも上手くつきあうためには、ユーモアをまじえた切り返しも大切なのだ。
ちなみに、ドイツでもクロップ流の英会話術は有名だ。ドイツ人向けの英会話のテキストに、クロップのようにドイツのことわざをそのまま英語に訳して話すユーモアを学ぶという特集まで組まれたこともある。
そして、3つ目。相手を巻き込む「情熱」である。これこそがクロップが最も大切にしていることだ。
「監督として必要なのは専門的な知識と、情熱だ。ただし、専門的な知識を獲得してはじめて、情熱が大切になってくるんだ」
今年の5月にドイツメディアのインタビューを受けた際にも、そう語っている。
例えば、2015年のヨーロッパリーグ準々決勝のこと。クロップ率いるリバプールは、かつてクロップが指揮したドルトムントをホームに迎えていた。しかし、1-3でリードを許す苦しい展開だった。そんな折、リバプールの選手がパスミスをしてしまった。ベンチ裏のスタンドに座っていたリバプールのファンがヤジを飛ばした。すると……。
クロップは素早く振り返り、そのファンを鬼の形相で叱りつけた。そして、両手を叩き、スイングさせてさらなる応援を求めた。
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叱られたファンはどうしたか?
少し固まったあと、なんと今度はリバプールの選手たちを全力で鼓舞し始めたのだ。その様子を観ていた周りのファンも、熱い声援を送り始めた。そして、試合は感動的なフィナーレを迎える。試合終了間際に劇的な勝ち越しゴールが決まり、リバプールが4-3で逆転勝利を収めたのだ。クロップ率いるチームは、大会史に残る大逆転劇の主役となった。
お客様は神様。クレームを言われるのは怖い。
クロップにはそんな発想はない。チームを応援するファンも、彼にとっては、お客様ではなく仲間なのだ。だから、叱りつける。
彼が求めるのは目の前の試合に勝つこと。そして、そのために情熱の全てを注ぐ。その情熱が周囲を熱狂させ、クロップについていこうと思わせるのだ。
先のキャリアを見据えて自分に投資する
スポナビライブでは、ほぼ全試合で試合直後の監督インタビューが見られるのも魅力のひとつ。写真は、スポナビライブで放映される情報番組「ハイライトショー」のインタビューに答えるクロップ監督。(写真をタップするとスポナビライブのハイライトショーに飛びます)
PREMIER LEAGUE 2017
コミュニケーションの達人であるクロップは、多忙を極める監督業のかたわら、2011年頃から家庭教師をつけて英語の勉強に取り組んでいた。
「これは100%間違いのないことだが、イングランドは世界で最も競争力のあるリーグなんだ。私はそれが大好きだ。こんなリーグは他に存在しないんだ!」
英テレビ局のインタビューで、彼は明言している。クロップにはイングランドで監督をしたいという夢があった。だからこそ、ドイツにいたときから夢の実現にむけての努力を続けることができた。そうした努力があったからこそ、2015年10月、リバプールから監督就任のオファーを受けたとき、二つ返事で引き受けられたのだ。
世界中のサッカー関係者を虜にさせるだけのスタジアムなどの環境があり、そこにつめかける熱狂的なファンがいる。それがイングランドのプレミアリーグなのだ。
彼の地からおよそ9500キロ、遠く離れた日本にいながら、「世界で最も競争力のある」プレミアリーグの全ての試合を観戦できる、スポナビライブ。
選手たちが激しくぶつかり合うピッチだけではなく、そのかたわらで、情熱的に指揮をとるコミュニケーションの達人・クロップに注目してみると、世界最高峰のリーグをさらに深く、楽しむことができるだろう。