東京証券取引所に9月29日に上場したマネーフォワード(MoneyFoward)の創業者・社長、辻庸介(41)は、黒色のノートと水性ボールペンを持ち歩く。マルマン製の方眼ノートとパイロット製の水性ボールペン「Vコーン」をオフィスのデスクに置き、外出するときはMacBookと一緒にバッグに入れる。
約200人の従業員や共同創業者たちが、辻のノートの中身を見ることはない。
マルマン製の方眼ノートを置き、パイロット製の水性ボールペン「Vコーン」を手に持ちながら話す辻。
「苦しい時や頭が混乱している時、ノートにペンで書いてみると頭の中がスッキリする」と、辻は黒ノートをペラペラとめくりながら話す。
創業前にソニーやマネックス証券で働いていた頃から、辻はこのノートに書き続けている。取材した9月下旬のこの日、辻が持っていたノートはマネーフォワード創業時から数えて15冊目となった。
数年後の未来の会社の姿や、その時の社会が必要としている「お金」にまつわるサービスをイラストで描いたり、文字で綴ったり。未来の目標が定まれば、その地点から振り返って今何をすべきかが見えてくる。
いわば、黒ノートにはマネーフォワードが創り出す事業のイラストやロードマップがびっしりと描かれているのだ。そして、それが今後、具現化していけばこの会社の真の企業価値が数値に表れてくるだろう。
創業から5年で上場。辻が率いるマネーフォワードは、個人向けの自動家計簿・資産管理サービス「マネーフォワード」と法人向けのサービス「MFクラウドシリーズ」を世に出した。そして次の5年、このFintech企業は、無数にある金融商品と個人の財布を簡単に結びつけて、お金の増やし方や使い方、貯め方で思い悩むことのないテクノロジーを創ることができるのだろうか? 辻が敬うスティーブ・ジョブズがiPhoneで世界を変えたように。
FacebookにならなかったMoneybook
マネーフォワードは大失敗から生まれた。
社名は2012年12月、「マネーブック」から「マネーフォワード」に変わった。
辻と共同創業者たちは当初、マーク・ザッカーバーグのFacebookとは比べ物にならないお粗末な代物を考え出した。匿名のユーザーが、SNSでお金の全ての出入りや資産をシェアできるサービスで、「Moneybook(マネーブック)」と名付けられた。ベータ版を作り上げると、辻たちは社名もマネーブックと決めて、2012年5月に会社を設立した。
2011年5月にアメリカから帰国した辻は、東京・高田馬場で安アパートを借りて「マネーブック」設立の準備を本格的に始めた。
「大失敗でした。誰も使おうとしなかった。ユーザーが必要とするものとは違っていました」と、辻は当時を語る。
辻と共同創業者の1人、瀧俊雄(36)が初めて会ったのは2011年5月、フィラデルフィア空港だった。オンライン上で連絡を取り続けてきた2人は、そのまま辻が通うペンシルバニア大学に向かい、大学の会議室を借りて互いのアイデアをぶつけ合った。
2人の議論は、2000年代にアメリカで飛躍的に拡大した家計・資産管理(パーソナル・フィナンシャル・マネジメント=PFM)サービスや、アルゴリズムを使って資産運用の助言を行うロボアドバイザーに移っていった。
辻は瀧と、「多くの金融機関が機能する日本で、どうして僕たちはお金を貯めて、使って、増やすことで悩み続けるのだろうか」という課題を語った。人が人生を歩む上で、お金のことをシンプルにアドバイスしてくれるモノが必要だと話した。
ペンシルバニア大学・ウォートンスクールでMBAを取得後、2011年5月に帰国した辻は、東京・高田馬場で安アパートを借りてマネーブック設立の準備を本格的に始めた。
瀧が辻に初めて会ったのは2011年5月。そこから2人で熱い議論を繰り返してきた。
辻が声をかけた仲間たちとはスカイプでやり取りをした。
北カリフォルニアには、野村証券に在籍しながらスタンフォード大学のMBAコースに通っていた瀧、ベルギーにはソニーのテクノロジーセンターで自社製品のセキュリティ分析・対策に没頭していた都築貴之(41)。東京には、アルゴリズムや金融市場の分析プラットフォームの研究をしながら、起業を経験している浅野千尋(34)と、マネックス証券などで証券取引システムの開発をしてきた市川貴志(38)がいた。
Mintの勢いと守った「User Focus」
Mint.com(ミント)は2000年代のアメリカにおいて、その分野のさきがけだった。銀行口座やクレジットカードの情報を入力すれば、残高や利用額の履歴をトラックして、収入と支出を一つのプラットフォームで管理してくれる。Mintはたった2年で150万人のユーザーを獲得した。
2年で150万ユーザーを獲得したMint.comは2009年、Intuitに1億7000万ドルで買収される。
Intuit
Mintは2009年9月、資産管理や会計ソフトを提供するIntuitに約1億7000万ドルで買収される。その後、アメリカではPFMサービスを始める起業が相次いだ。
2012年の夏、辻と仲間たちは、マネーブックの大失敗をバネに、自動家計簿・資産管理サービス「マネーフォワード」の開発に着手する。
マネーフォワードの開発のスピードを上げるため、プログラミング言語を、マネーブックで使っていたPHPからRuby on Railsに変えたと、都築は話す。都築と辻はソニーの同期入社組で、社内のテニス部では共に汗を流した。今でも、「ツージー」「ズッキー」と呼び合う仲だ。
2012年12月、辻たちはマネーフォワード(ウェブ版)をリリースし、社名をマネーフォワードに改めた。
都築と辻はソニーに同期入社組。テニス部で一緒に汗を流した。
マネーフォワードが掲げるモットーの一つは「User Focus(ユーザー・フォーカス)」。ユーザーからのフィードバックを反映させ、改善と機能強化を繰り返し、銀行やクレジットカード、ECサイト、証券など2600以上の金融関連サービスから、入出金履歴や残高を取得して、自動で家計簿を作成するサービスは完成した。
海外と日本で決定的に違うのは、日本は現金社会であること。 手入力などで現金管理ができる機能も重視して開発した。
2017年4月、マネーフォワードの利用者数は500万人を超えた。無料版に加えて、月額500円ほどのプレミアムサービスを充実させた。同時に、法人・個人事業主向けのクラウド型の会計ソフトと請求書サービスなどのクラウドサービス販売も拡大させた。
マネーフォワードの売上高は2016年11月期で15億4200万円。前年の4億4100万円から3倍以上増加し、2017年11月期は、26億8100万円の売上を見込む。
「まだやりたいことの1%」
マネーフォワードは2017年9月、「小銭を少しずつ、知らない間に貯める」貯金アプリの「しらたま」をリリースした。まずは、住信SBIネット銀行と連携して、同行のメイン口座から貯金専用の口座に自動に貯金ができるようにする。
マネーフォワードが過去5年で進めてきたお金の流れの可視化から、いよいよ「貯める」「増やす」へのシフトが始まった。
瀧(右)と都築は今後、マネーフォワードで踏み込んだ資産運用の助言を可能にして、「貯める」「増やす」のサービスを進めていくと話す。
「これから自動投資になっていくんじゃないでしょうか。5年経って、やっと前に進んだんです。忙しい日常の中で、できる限りお金のことを考えたくない、心配したくないじゃないですか」と辻は言う。瀧も都築も会社の目指すビジョンで一致している。
瀧が「マネーフォワードは、もっと踏み込んだ資産運用の助言を提供していきたい」と言えば、都築は「次の5年で、貯める、増やす、使うを徹底的にやっていきたい」と言う。
マネーフォワードの起業の目的は、個人がどれ程のお金が必要かを可視化して、どのように貯蓄し、使い、投資で増やしていくかをアドバイスして、お金に悩まないライフスタイルを可能にするサービスを作ること。辻は、「まだやりたいことの1%くらいしかできていない」と話す。
法人向けのサービスでは、「そのうち人工知能で孫正義さんAIみたいなものが出てきて、あなたはこういう経営をしたほうが良いなんていうアドバイスをもらえるとか、そういう世界ができると思うんですよね」
「感謝せなあかん」
「人が一つ、二つのことをやったら、感謝せなあかん」という祖父の一言だけは記憶に残っていると話す辻。
辻は続ける。
「スティーブジョブズが本当にすごいと思うのは、ゼロからあのような素晴らしいプロダクトを創り上げたこと。iPhoneは彼が想像できたから作れたと思うんです。まさに、このノートにどこまで描けるかじゃないですか。そして、想像できたことをどこまで現実にできるかが本当のイノベーションだと思いますし、ユーザーさんの想像を超えることができるようなサービスを創っていきたい」
「次の5年、僕が実現できると思わないと、絶対に実現できない。僕が作ったアホみたいな、夢みたいなものを、瀧や都築や浅野、マネーフォワードの全ての人間が一緒にどうすれば実現できるか必死に考えて実現してくれるんです。ありがたいですよ」
辻の祖父もまた経営者だ。祖父の言葉はあまり多く覚えていないと言う辻だが、「人に10頼んだとして、その人が一つでもやってくれたら、心から感謝せなあかん。」という一言は記憶に残っていると話す。
9月29日、辻は東証でマネーフォワードの上場を知らせる鐘を鳴らした。持参したバッグの中には、黒ノートと水性ボールペンが入っていただろうか。
(敬称略)
(撮影:渡部幸和)