東京・浅草で74年前から営業を続けるパン屋がある。「ペリカン」。おもな商品は、食パンとロールパンだけ。消費者の嗜好が細分化し、多くの人に愛されるためにはどの業界でも多品種少量生産が“常識”になりつつある中、極めて珍しいと言われるビジネスモデルを貫く。息長く愛されてきたパン屋はこの秋、ドキュメンタリー映画になった。
焼きたての食パンが、網棚の上に整然と並んでいる。
撮影:今村拓馬
「普通。でも、ないと困る」
浅草寺の門前町の喧騒から少し離れた田原町。国際通りの道路脇に、店と工場を兼ねる建物がある。店内の木製の棚には、伝票が貼り付けられた食パンとロールパンが並んでいる。季節や天気でばらつきはあるが、1日に食パン400〜500本、ロールパン4000個ほどを販売している。全体の3割ほどは喫茶店やレストラン、個人商店向けの卸売りだ。パン屋が忙しいとされる春と秋には、予約分だけで完売することも多い。
店内の棚には、予約した人の情報が書き込まれた伝票とともに食パンとロールパンが並ぶ。
撮影:今村拓馬
公開を控えた映画『74歳のペリカンはパンを売る。』に、印象的な場面がある。週に数回、食パンを買いに来る男性の常連客に、店先で味について感想を尋ねると、こんな答えが返ってくる。
「普通。でも、ないと困るな」
ペリカンの商品は、正方形やヤマ型など形は違うが、基本となる生地は、食パンとロールパンの2種類だけだ。食パンは、バターを塗るとバターの味が立ち、ジャムならジャムの味がくっきりする。常連客の言う「普通」の言葉どおり、パンそのものは主張があまり強くない印象を受ける。
第二次大戦中に、ペリカンの営業は始まった。老舗と記したいところだが、浅草は「創業100年ぐらいでは老舗ではない」と言われる土地柄だ。いまは、四代目の渡辺陸さんが、30人ほどの従業員をまとめている。
「ほかの店とけんかせず、利益を出す」
いまの経営スタイルが固まったのは、二代目の店主で陸さんの祖父にあたる多夫(かずお)さんの時代だという。戦後、パン屋が増えたことで小売店間の競争が激しくなり、卸売りを中心にした。
パンの工場に立つ、四代目の店主・渡辺陸さん。
撮影:今村拓馬
陸さんは「ほかの店とけんかをせずに、利益を出していくという選択で、いまのスタイルになったそうです」と話す。
陸さんが、本格的にパンづくりの道に入ったのは、大学卒業後のことだ。2種類だけのパンの作り方を覚えるのは、難しくないだろうとたかをくくっていたら、甘かった。
天気や気温などさまざまな要因で、微妙な調整を繰り返す。仕込みの温度、水の量、イーストの量、生地を発酵させる時間、生地を釜に入れるタイミングなど、一つでもおろそかにすれば確実に商品の質に影響が出る。
「たった2種類だから、作り方を覚えるだけなら簡単ですが、高いクオリティのものを毎日毎日出し続けるという条件が加わると、やたらと難しくなります」
苦しかったバブル時代
ベーカリーコンサルタントの保住光男さん。
撮影:小島寛明
苦しい時代もあった。1980年代後半のバブル期だ。“青天井”の好景気の時代に、バゲットもクロワッサンも置いていない店には、客もメディアも目を向けない。陸さんは「バブルのころは、ペリカンのような地味なパンは、全く売れなかったそうです」と言う。
ベーカリーの経営指導を専門とするドゥコンサルティングの保住光男さんは、陸さんの相談相手でもある。保住さんは「この数年、食パンだけを売る店も出てきたが、食パンとロールパンだけで長く続いてきた店は見たことがありません」と話す。保住さんによれば、ペリカンと同程度の売り上げ規模のパン屋は、70〜100種類のパンを販売していることが多いという。
バブル崩壊後の1990年代半ばごろから、風向きは変わりはじめる。昔ながらの食パンに、少しずつ注目が集まった。テレビや雑誌などメディアの取材も受けるようになった。
「いい意味で退屈な店」
内田俊太郎監督。
撮影:小島寛明
2016年5月、ペリカンを取り上げたテレビのニュースを今回の映画のプロデューサーを務めた石原弘之さんが見たことで、映画化が動き出す。「たった2種類のパンを極めようとしている店には、歴史と物語があると直感した」
内田俊太郎監督は「はやっているのに、焼きそばパンもクロワッサンも置いていない。なんで支店も出さず、ほかのパンを作っていないんだろう」と興味を抱いた。
店主の陸さん、プロデューサーの石原さん、内田監督は、いずれも30歳前後で、ほぼ同い年。3人で、長くペリカンの工場を守ってきた職人さんや、コンサルタントの保住さん、製パン学校の先生らにインタビューを重ねた。陸さんは「撮影に参加して、より深く自分の店を知ることができた」と話す。
工場を撮影した映像では、特別な出来事も事件も起きない。淡々とパン作りが進められていく。内田監督はペリカンについて、「2種類しか作らないことを選び、それを続けている。いい意味で退屈な店だと思う」と語る。
焼きあがったばかりのロールパン。
撮影:今村拓馬
パンの製法も、経営スタイルも二代目のころからほとんど変わっていない。かつては卸売りが中心だったが、町の喫茶店が減っていく中、最近は店頭での小売りが中心になってきた。陸さんは30歳にして、ペリカンの看板と30人の従業員を背負う。
「売り方は時代に合わせて試行錯誤を続けていくけれど、下手に新しい商品を出して普通のパン屋さんになるつもりはありません。うちには、時間の積み重ねがある。ほかのことはまねできても、時間だけはまねできない」
保住さんは、ペリカンの経営スタイルを、競技場のトラックを走る長距離走に例える。
「実は周回遅れだけれど、結果として、時代の先頭に立ってしまった。抜けそうだけど、簡単には抜けない。それがペリカンという店です」
映画「74歳のペリカンはパンを売る。」は、10月7日、東京・渋谷のユーロスペースで公開予定。