バンコクのホテルで、400人の聴衆を前にC CHANNEL・CEOの森川亮(50)が静かな熱を込めて語りかけていた。
イベント前夜祭の終盤、参加者全員が両手で「W」のサインをつくった。
9月上旬のことだ。
F1層の女性をターゲットにした動画サイト・C CHANNELの創業者である森川は、日本の若者が将来に夢を持ちにくい社会への危機感から、若いベンチャー起業家の支援にも力を入れてきた。
C CHANNEL創業者の森川は若手起業家の支援にも力を入れている。
森川がバンコクに招かれたのは、WAOJEグローバルベンチャーサミット での講演を依頼されたためだった。演題は「動画でコミュニケーションし行動し物を買う時代」。聴衆のほとんどは日本国内、アジアなど拠点はさまざまだが、海外で展開しているベンチャー企業の経営者だ。
WAOJEとはWorld Association of Japanese Overseas Entrepreneursの頭文字からなる。一言で説明すると、海外の日本人起業家ネットワーク。本部は東京、国内とアジア13都市に支部を置く。
WAOJE会長の建築家・迫慶一郎(47)が友人の森川に「ぜひ来てほしい」と直接依頼し、森川は二つ返事で引き受けた。
LINEを急成長させた経営者として知られる森川は、48歳でLINEのCEOを退き、C CHANNELを創業、メディアコングロマリットを目指す。C CHANNELは現在、バンコク、マニラ、ソウル、中国大陸など、アジア9都市で事業を展開している。
この夜、森川に続いたスピーカーは、ベストセラー『伝え方が9割』の著者で知られるコピーライター・佐々木圭一とキングコング・西野亮。WAOJEの人脈の広さが伺える豪華な顔ぶれだ。
華僑に倣ってつくったネットワーク
WAOJEの前身は香港を拠点にアジア各地を結んだ起業家ネットワーク「和僑総会」である。
もともとは2004年、大手百貨店の香港駐在員から香港のエネルギーに魅せられ貿易業を興した筒井修(74)を慕う若い起業家たちの勉強会から始まった。自然発生的に深セン、上海、大連など大陸各地や日本国内へと広がり、香港には香港和僑会と全体をとりまとめる和僑総会が置かれた。「和僑」という言葉には、世界中にビジネスネットワークをはりめぐらして生きる華僑に倣い、日本人も海外でつながってビジネスの広がりを目指そうという思いが込められている。
和僑会ファウンダーで、WAOJE特別顧問の筒井。
和僑と和僑会に注目が集まったのは2011年。 2008年のリーマン・ショックからいち早く経済回復し、2ケタ台の経済成長率を見せつけていた中国の引力と、そこで奮闘する日本人起業家たちのネットワークが、 NHKの「クローズアップ現代」で特集が組まれた。
「和僑世界大会」と銘打った各都市の和僑会メンバーが集まってのイベントは、毎年アジア各都市で行われてきた。ネットワーキングやテーマを設定した勉強会が中心だが、海外で起業している人たちが一同に会する場独特の高揚感や連帯感があったという。
先陣としての経験を共有する責任
迫は2010年に設立した北京和僑会の発起人である。
東京工業大大学院修士課程修了後、山本理顕建築工場を経て、2004年に33歳で北京に建築設計事務所を設立、現在は北京、福岡、東京の3カ所で建築設計事務所を経営する。
2000年代の中国の建築フロンティアの波にのった迫は、地方政府や民間ディベロッパーなどさまざまな施主から依頼を受けて、複合商業施設、マンション、学校、幼稚園などの大型建築プロジェクトをデザインしてきた。プロジェクト数は大小合わせると100を超える。
2010年、東京和僑会の幹事から「北京に和僑会をつくってほしい」と要請された。そこで迫は初めて自分が建築家という枠だけでなく、起業家というカテゴリーにもあてはまることを知ったという。
「僕が北京で事務所をつくった当時、中国の人たちは現代建築や建築デザインという概念を知り始めた頃で、憧れも強く、依頼は途切れなかった。僕自身、予想外のことに七転八倒しながら夢中でやってきました。それが、数年も経つと中国でも若手の建築家がどんどん増えていました。市場にも変化が現れ、大型建築の案件は減ります。そんな中でも生き残っていくためにどうすればいいのか。建築にかかわらず、どの分野にも共通する課題です。それらについて、先陣として共有する責任があると思いました」
WAOJE初代会長に就いた建築家の迫。
2015年からは和僑総会会長まで務めた迫が、わざわざ新しい名前で再編するのはなぜなのか。
「世界中のネットワークをめざすには、華僑になぞらえた『和僑』ではダメなんです。模倣ではなく、オリジナルの意志を持ったネットワークをつくっていきたい」
迫は課題をこう説明する。
「『和僑会』というネーミングは、日本から距離の近いアジア各国では受け入れられますが、オーストラリアやアメリカなど、西の経済圏で活動している日本人起業家にはピンとこない。でも、僕らは中国を中心としたアジアはもちろんのこと、世界中にビジネスネットワークを張りめぐらしたい」
なぜ海外に起業には、より日本人としてのネットワークが必要なのか。理由は2つある、と迫は言う。
ひとつは、同じ境遇でひとりで闘う経営者が集う心地よさ。もうひとつは、スタッフのモチベーションを維持するには、とか、節税対策は、といった実務レベルでの情報交換ができることだ。
名前をWAOJEに変えるとともに、今年4月には一般社団法人として法人化し、定款をつくった。 海外では北京、大連、クアラルンプール、バンコク、ヤンゴン、プノンペン、セブ、マニラ、ゴールドコースト、国内は北海道、名古屋、岡山、広島、福岡、沖縄に支部を置き、会員数は合計400人。上海では発会準備中である。一方、和僑会の名前を冠して活動を続けることを決めた支部もある。
バンコクでの世界大会を運営したのはWAOJEバンコク支部だ。前身のタイ王国和僑会は2009年に発足し、現在会員数はおよそ70人。多くは人材紹介業、コンサルティング業、飲食業などのサービス業だ。
子どもの教育から資金調達まで
7月にはプノンペンで、各支部からリーダー30人が集まっての「リーダーズサミット」を開き、資金調達や子どもの教育など、海外における起業家ならではの課題を3日間集中議論した。リーダーズサミットを運営した猪塚武(50)は、東工大大学院の基礎物理修士課程を修了後、外資系コンサル、ITベンチャーの起業とバイアウトを経て、カンボジアでITに特化した工科大学を経営する起業家。来年のWAOJE世界大会は、猪塚のベース、プノンペンで開催することが決まった。
猪塚の3人の子どものうち2人はプノンペンのインターナショナルスクールを卒業し、オーストラリアの大学に進学。迫は10歳の娘を北京で育ててきた。海外にいるからこそ、日本の次世代の未来は他人事ではない。
キングコングの西野は、バンコクで開催中のジャパンエキスポに絵本を出展するタイミングで、WAOJEでの講演が実現。
C CHANNAELの森川は、講演でこう語った。
「変化が早い時代。アグレッシブな、ライオンでいうと、積極的に獲物をとりにいくような人が日本を変える。でもこのままだと、(人口も減り、経済力も落ち)ギリシャみたいになる。過去の伝統、文化を守りながらいかに攻めるか。未来に何を残せるか。みなさんと、日本を元気にしていきたい」
迫、猪塚、そして森川は、口を揃えて「日本の若者の未来のために」と言う。
WAOJEは今後、ネットワークをオセアニア、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカへと広げることを目指す。世界大会後にWAOJE東京支部の設立が本格化。森川もメンバーの1人に名を連ねた。
WAOJEでは、起業家育成の土壌づくりに取り組もうとしている。海外での起業を目指す若者の体験機会を提供することを目的にした、海外支部や会員企業での日本人学生インターンシップのサイトだ。年内を目標にサイト上にプラットフォームをリリースする計画だという。
迫はWAOJEの目指す方向をこう締めくくった。
「日本の次の世代のために、海外各国で起業する僕らがネットワークをつくっておいて、彼らがいつ海外に出てきてもサポートして一緒に新しい価値やビジネスを生み出していく場になっていきます」
(本文敬称略)
(写真提供:WAOJE)