プーチンは大学卒業後、すぐにKGBで働き始めた。
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- ロシアの大統領ウラジミール・プーチンは、大学卒業後、旧ソ連の諜報機関KGBにエージェントとして採用された。
- エージェントとして、旧東ドイツで5年間活動した。
- こうした諜報員としての経験が、プーチンの世界観の形成に一役買っているのだろう。
冷戦が終結して久しいが、ロシアの諜報活動に関する報道は今もアメリカのメディアを賑わせている。
ロシアは、昨年行われたアメリカ大統領選で、ドナルド・トランプ現大統領に有利に働くよう、民主党全国委員会(DNC)の電子メールをハッキングしたり、その他の手段によるサイバー攻撃に関与したとして非難されている。政治色の強いソーシャルメディアグループや広告キャンペーンは元をたどるとロシアに行きつき、大統領選挙時のトランプ陣営とロシアの癒着をめぐり、特別検察官のロバート・ミュラー(Robert Mueller)は、トランプ陣営の選挙対策本部長を務めていたポール・マナフォート氏を捜査していると報じられている。
プーチンは、アメリカとのサイバー戦争へのロシアの関与を否定している。
ただ同時に、プーチンはロシアの諜報機関の「類まれなる人材」に対して誇りをと、AFP通信は報じている。彼がKGBの諜報員だったことを考えれば、プーチンがスパイ活動に厳しい態度を取らないのも当然だろう。
スパイとして過ごしたプーチンの若かりし頃のキャリアを振り返ってみよう。
(敬称略)
10代の頃、プーチンは『The shield and the sword (盾と剣)』の小説と映画にはまっていた。ナチス転覆を助ける勇敢なソ連のスパイが主人公の物語だ。のちにプーチンは「1人のスパイが何千人もの人々の運命を決定付けていく」姿に感銘を受けたと語っている。
『The shield and the sword (盾と剣)』(1968年)
Mosfilm
プーチンはサンクトペテルブルク大学で法律を学んだ。卒業論文は国際法と貿易をテーマにしたものだった。
サンクトペテルブルク大学。
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当初は法曹界を目指していたが、1975年の卒業と同時にプーチンはKGBに採用された。
「ルビャンカ」として知られる旧KGB本部。
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KGB採用の良い知らせを受けた後、プーチンは友人と近所のジョージア(グルジア)料理のレストランへ向かった。2人はサツィビと呼ばれるクルミのソースをかけた鶏肉のグリルで就職を祝い、ショットグラスに入った甘いリキュールを飲み干した。
サツィビ。
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彼はモスクワのKGB赤旗大学で訓練を受けた。かつてプーチン政権で要職に就き、KGBで訓練を共にしたセルゲイ・イワノフ(Sergei Ivanov)は、ベテランスパイの教訓の中にはほとんど役に立たないものもあったとTelegraphに語っている。
セルゲイ・イワノフ氏。
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プーチンは、1970年代に当時のKGB議長ユーリ・アンドロポフ(Yuri Andropov)が導入した「部外者の集団(cohort of outsiders)」に所属していた。アンドロポフの目標は、若くて、より批判的な職員を採用し、KGBの組織改善を図ることだった。
ウラジミール・プーチン。
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プーチンの半生を描いたスティーブ・リー・マイヤーズ(Steve Lee Meyers)の著書『The New Tsar』によると、プーチンのスパイとしてのキャリアは華やかさとは無縁だった。最初の数年は、薄暗いオフィスで年老いた職員に囲まれながら「事務処理に追われ、自分の部屋もない実家で両親と暮らしていた」
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彼はサンクトペテルブルクにある厳重な警備の第401学校で研修に参加した。幹部候補生はここで諜報戦術や尋問技術を学び、フィジカルトレーニングを受けていた。1976年、プーチンは中尉になった。
サンクトペテルブルク。
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出典: "The New Tsar: The Rise and Reign of Vladimir Putin", "Mr. Putin: Operative in the Kremlin"
プーチンの任務には、スパイ防止活動や外国人の監視が含まれていた可能性がある。マイヤーズによると、反体制派の壊滅を目的としたKGBの第5総局でも働いていた可能性があるという。
1987年に開かれたKGBの記念式典。
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1985年、プーチンは翻訳者と身元を偽って、ドイツのドレスデンに潜入した。フィオナ・ヒル(Finona Hill)とクリフ・ガディ(Cliff Gaddy)は著書『プーチンの世界(原題:Mr. Putin)』で、当時のプーチンの任務は、東ドイツ共産党と東ドイツの諜報機関シュタージで要職にある職員を誘い、技術的な機密情報を盗み出し、東ドイツを訪れる西側諸国の人間に接触したり、西ドイツに密入国することだったと推測している。
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著者2人は「これらの任務の中で、最もプーチンのドレスデンにおける実際の任務である可能性が高いのはどれかという質問には、『その全てだ』と回答すべきだろう」と結論付けている。
ドイツのドレスデン。
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プーチンはKGBでの日々や先輩スパイたちとの会話から、当時のソ連の方向性に疑問を持つようになったと語っている。「当時、我々は異なる考えを持つことを自身に許していて、他の人々が許さないようなことを発言することも認められていた」と彼は言う。
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1989年のベルリンの壁の崩壊後、ある時、ドレスデンにあるKGBの拠点が群集に襲われた。プーチンは略奪者を威嚇するために、事務所から拳銃を振りかざしたと話している。
ベルリンの壁の崩壊。
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1990年代に入るまで、プーチンは母国に戻らなかった。国際社会でソ連が力を失った時期にKGBに在籍していたことは、彼の世界観の形成に一役買ったと考えられている。
Reuters/Alkis Konstantinidis
出典: "Mr. Putin: Operative in the Kremlin," "The New Tsar: The Rise and Reign of Vladimir Putin"
「連邦の衰退は明らかだった」プーチンは彼が国外で任務にあたっていた当時をそう振り返った。「そして機能不全という状況の下、終末期もしくは不治の病いにかかっていた。国家権力の機能不全だ」
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そして1991年、プーチンはKGBを辞めた。ミハイル・ゴルバチョフ大統領(当時)に対する強硬派による政変の真っ只中だった。その後、エリツィン政権で公職に就き、エリツィンの辞任後はその後継者となって、2000年に初めて大統領に選出された。
大統領宣誓を行うプーチン。
Getty Images/Staff
出典: "Putin: Russia's Choice"
(翻訳:Conyac)