口腔底がんで手術を受け、噛み、飲み込む力を失った夫のために、それでも日々食べる楽しみを持ち続けてほしいと、料理を作り続けた妻。その闘病記『希望のごはん』を読むと、食べることは生きる希望そのものだと伝わってくる。「何とか体力を回復してほしい」という祈りを込めて妻が次々に「発明」した新感覚のごはんのおかげで、夫は持てる全ての力を使い、食べて、食べ尽くした。
〈アキオごはん〉づくりに欠かせなかった、ほうれん草、にんじん、かぼちゃ、じゃがいもなど彩り鮮やかな野菜のピュレ。このピュレは、食べることに制約がない家族が食べてもおいしいところが魅力。
写真:千倉 志野
料理研究家のクリコさんの最愛の夫、アキオさんが口腔底がんの告知を受けたのは、6年前。口の中を大きく切除する手術によって、噛む力を失ってしまった。
でも、夫婦は諦めなかった。本には、彩り鮮やかな感動レシピの数々が並ぶ。どうみても〈トンカツ〉にしか見えないのだが、実は舌と上あごですり潰せるふわっふわのトンカツ風。しっとりして噛みやすいお麩のフレンチトースト、などなど。これらはもはや「介護食」という固定観念を取り払った「未知なるごはん」だ。
「ええっ、これ、流動食なの?」
—— (クリコさんお手製“桃の冷製スープ”をいただきながら)うわあ、爽やかな味わい! やわらかな酸味と甘みが舌で溶け合って上品な味ですね。
奥が桃の冷製スープ。手前がゼリー化するパウダーで作った「焼かないかぼちゃのプリン」。
写真:今村拓馬
クリコ:桃のコンポート(甘煮)で作るんです。牛乳とクリームチーズをミキサーにかけて、隠し味の塩をちょっと入れてね。闘病中のアキオがこれだと食が進んで。我が家の定番メニューでした。
——アキオさんは食べることが大好きだったそうですね。
クリコ:彼は食べるのも人を招くのも大好きで、うちでよくホームパーティを開いていました。「今日はどんな料理でもてなそうか?」とメニューをいっしょに考えたり。彼がお品書きをつくっていましたね。そんな彼が、口腔底がんになるなんてね……。
手術の1カ月後に彼がやっと食事を口に入れたときに、最初が具なしのお味噌汁で、「あ、味がある!おいしい」と。私は、「ああ、味覚が残ったんだ」とホッとしました。手術の後遺症で味覚がなくなる可能性があると言われていたので、医療チームの先生からも、「わーっ」と歓声が上がって。
——当初は「食べること」を取り戻すのに相当難儀したと。
クリコ:あんなに大好きだった食事が、最初は苦行みたいで。手術で口の中を大きく切除して、下の歯で残っていたのは奥歯一本だけ。下あごが麻痺して、スプーンですくったものを口へ運ぶのにも、鏡でチェックしながらじゃないとこぼれちゃうような。病院で出されていた20倍粥(米に対して20倍の量の水で炊いたお粥)でさえ食べ終わらない。舌と上あごで潰して1時間半もモグモグしていると、途中でへばっちゃうの。2日目にはもうね、食べるのを放棄しちゃったんですよ。
それで私ね、彼を責めちゃったんです。「どうして食べられないの? わがままだよ」って。
そしたら「これちょっと食べてみてよ」とアキオが言うので、私も試しに食べてみたんですが、まずいんですよ(笑)。これじゃ、食欲も湧かないなと。
『希望のごはん』著者のクリコさん。介護食の新しい可能性に挑戦した。
写真:今村拓馬
—— この本ですごく印象的だったのは、手術後にドロドロの流動食を食べるのにも難儀していたアキオさんが、クリコさんお手製のごはんを食べるようになったら、「おー!」と雄叫びを上げるぐらい「おいしい」を連発していたことです。
クリコ:「おいちい」とか「うまぁ〜い!」とか(笑)。そう言ってもらえると、作りがいがありましたね。いかに「介護食感」を払拭できるかっていう挑戦でした。
——それで発明したのが、「ふわふわ鶏シート肉」?
牛肉と豚肉に豆腐、大和芋、麸などを混ぜて作った「ふわふわ牛豚シート肉」。甘辛い焼肉のタレで煮立たせてごはんにのせ、焼肉丼に。
写真:本人提供
クリコ:はい。これはまさしく、〈肉〉です。あまりにもちゃんと肉の見た目なので、最初、彼が、「これ、僕が食べても大丈夫?」と不安がったぐらい(笑)。これを棒状に切ってゴマだれをかけたバンバンジーを作ったら、アキオは「何これ、すごいおいしい! クリコ、てんさ〜〜い!」って。このシート肉の登場で、鶏のカツ煮、照り焼き、生姜焼き……とレパートリーが飛躍的に広がりました。
クリコさん言うところの「まい泉式」とは肉叩きで徹底的に叩いて薄く伸ばした肉を寄せて成形する方法。すると、繊維が断ち切られて肉がものすごく柔らかくなる。だが、そこからいきなり「ふわふわ鶏シート肉」を考案したわけではない。
もう一つのヒントは、クリコ家の定番料理「ふわふわ鶏肉団子」という、いわゆるつみれ団子だった。「あれを団子にせずに伸ばして薄切り肉みたいにすれば」と、発想した。それから「ふわふわ牛豚シート肉」「ふわふわ豚シート肉」と広げ、トンカツや焼き肉などのレシピを増やしていった。
初めはミキサーと格闘。「まるで工事現場のドリル」
——「力作」を次々に開発していったアイデアの源泉はどこに?
クリコ:究極はアキオの笑顔です。口に含んだ瞬間、パーッと明るい表情になってね。あの笑顔をもう一度見たいと。「じゃあ、また次は何を食べさせてあげようかな」って、すごくいいスパイラルが私の中に生まれてきて、どんどんアイデアが浮かんできたんです。改良を重ねてうまくいくと、キッチンで「ヨッシャあー!」とガッツポーズしていたりね。
——そうはいっても、最初から全部うまくいったわけではないですよね?
クリコ:最初は失敗の連続でした。私は料理研究家として和食とイタリア料理をつくってきて、調理はそれなりに自信はありましたが、介護や介護食づくりは初めてでした。うどん一つを作るのにも、何分ゆでたらアキオが食べられる柔らかさになるのかも分からなかった。すべて手探りでした。
——介護食の市販品は使ってみましたか?
クリコ:市販品は業務向けが多くて、初めて介護食を作ることになった2012年の当時はあまり選択肢はありませんでしたが、いくつかは試してみました。アキオの口の状態に合わなくて使えなかったものもありました。でも、何と言っても、彼の味の好みに合わないものばかりで……。軟らかくても、「おいしくない」と言われて。
——クリコさんお手製の野菜のピュレは、イタリアンジェラートみたいに彩り鮮やか! ただ、これだけ凝っている料理を毎食食卓に並べるのは大変そうですね?
クリコ:最初はビタミンやミネラルなどの栄養も豊富な野菜も食べてほしいからと、毎回それぞれの食材をフードプロセッサーやミキサーにかけていたんですよ。彼の食の好みもあり、「全部混ぜ」にはしまいと決めていたから、一つ一つの食材を全部別々に、グイーングイーンと。もう、手はその振動でブルブル。1日工事現場でドリル使っている人の腕みたいでしたよ。
アキオさんが入院中にクリコさんがつけていた日記とメモ。手術後の口の状態を考え、食べられそうなレシピのアイデアも書きつけていた。
写真:今村拓馬
フードプロセッサーは洗うのも大変だから、食事の後、食器も調理器具も洗って一息つこうにも、もう次の食事を準備する時間に。毎日3食続けていたら、1日中キッチンにこもるようになってしまって……。そんな時、アキオからお粥の水分量を変えてほしいと要望されて、私、爆発しちゃったの。「何でそんなわがまま言うの? 昨日はこの分量で食べられたじゃない!」と。
「手術の傷が治っていくと、口の中がなんだか変わるみたいなんだ。昨日は食べられたけれど、今日はうまく食べられないんだよ」
クリコさんは、「えっ、そういうこともあるの?」と驚いた。と同時に、申し訳なかったなと思ったという。
——「うまく食べられない」という状態をリアルに分かるって、難しいですよね?
クリコ:だから、歯を使わないで食べるってどういうことなのか、自分でも試してみたんです。でも私、途中で我慢できなくなって、結局は歯を使っちゃった。そうやって追体験してみて、食べるって、唇も、顎も、舌も、頰の筋肉も総動員して、はじめて飲み込むことができるんだってわかって。そうすると、ああ、料理の前にアキオの口の状態を知ることからだなって、やっと理解できました。
——悪戦苦闘から脱して、介護ごはんづくりがうまくいくようになったきっかけは?
クリコ:クリームシチューづくりからですね。いくら食材ごとに分けてミキサーにかけても、ドロドロ食はやっぱりドロドロ食。見た目がなかなかおいしそうにならないというジレンマがあって。まずはアキオの好きな料理に立ち返ってみようと思ったんです。クリームシチューは、以前から彼が大好きでしたから。
——写真を見ると、見た目にもクリームシチュー!流動食には見えません。
悪戦苦闘の介護食作りから脱出するきっかけになった、流動食のクリームシチュー。具材の色や形を残すことで、「おいしそう度」がぐんとアップ。
写真:本人提供
クリコ:一つ一つの食材を形が残るぎりぎり、7ミリ角ぐらいまで小さくして、まず、舌でつぶせる柔らかさになるまでクタクタに煮てからホワイトソースを混ぜるやり方にしました。普通の鮭よりも柔らかい「鮭のハラス」をオリーブ油で7割程度火を通し、細かくほぐしてシチューに混ぜてみました。これが大成功! 私なりの「介護食攻略法」が見つかったっていう感じでしたね。
職場復帰を果たした夫。「あー、命がつながったんだな」
実はアキオさんは口腔底がんの手術を受ける前に、初期の食道ガンも見つかっていて、口腔底がんの術後、体力の回復を待って、今度は食道ガンの内視鏡手術を行うことになっていた。食道がんが進行しないうちに内視鏡手術を受けないとならないが、体力が回復していないと手術はできないと。
クリコさんは「私がつくる食事に命がかかっている?」というプレッシャーで押しつぶされそうだった。だから、アキオさんの体重が7キロ戻って元の体重になり、「手術を受けられる」と聞いたときは、足の力が抜けて、病院の床にへたり込むような感じだった。「あー、命がつながったんだな」と。
口腔底がんの手術からの5カ月間、クリコさんにとって今まで生きてきた中で一番長く感じた時間だった。心配で心配で、本当に生きた心地がしなかった。
——極度のプレッシャーの中、介護食づくりを「めっちゃ楽しい」と感じるところまで気持ちを高められた原動力は何だったのでしょう?
クリコ:彼が食べることを諦めなかったということですね。食べたいという気持ち、生きたいという気持ちがものすごく強かった。食べることこそ、その時点での彼の未来への希望だったんです。その、闘志を燃やす彼の姿が私の背中を押してくれました。
——だから、本のタイトルも『希望のごはん』と。
クリコ:ごはんって、すぐには結果が出ないんだけれど、日々の積み重ねで少しずつ、少しずつ元気になっていく。体重が増える度に2人で大喜びしていました。私、子どもを育てたことがないので、食べさせてあげたものが、人の血となり肉となって成長していくという過程を見たことがないんですが、夫が日々の食事を糧にして、体が回復し、笑顔が見られて、心も回復していくのを目の当たりにして、初めて「食べることは生きること」なんだなというのを実感しました。
帰宅後は、小学生の子どもみたいに、「こうだった、ああだった」と興奮気味に会社での様子を報告。クリコさんは、ちゃんとお昼を食べられるのかなとか、1日中心配していた。アキオさんはこの頃にはもう噛む力が少しずつ強くなっていたが、お粥がやっとという状況だった。
やわらかくて海老の香ばしい風味があとをひく「ふわふわ海老すり身のフライ」。搾り出し袋に「ふわふわ海老すり身」のタネを入れて棒状に搾り出し、海老の形に成形する。
写真:本人提供
——でも、その少し後に、外食をしたり、クリコさんお手製の海老フライを食べたりするまでになったというのは驚きでした。
クリコ:「なんちゃって海老フライ」なんですけれどね。そこまで食べられるようになるのには前段があって、まず、やっと探し当てた歯科大学の先生が、下の歯が1本しかなくなったアキオのために入れ歯を作ってくださいました。
とはいえ、「仮の入れ歯」でしたから、十分な咀嚼までは難しかったですが、それを装着したアキオは5カ月ぶりに家で普通に炊いたごはんを食べ、「うまあ〜い!」。外食でかなり柔らかめのタンシチューまで平らげて、「うん、おいしい!」を連発。だったら、「大好物の海老フライもイケるかも」と。といっても、プリップリのは食べられないので、オリジナルバージョンを開発しました。まず、ふわふわした海老すり身をつくって、海老の風味を増すように「魔法の粉」を混ぜ込んでね。
——「魔法の粉」?
クリコ:干し海老をミキサーにかけたものです。このすり身を絞り出して海老みたいな形に整えてから電子レンジでちょっと加熱して。そこに、キメの細かいパン粉の衣をまぶして、油でさっと揚げる。
——いかにも美味しそう! 写真を見ると、見た目にも「海老フライ」ですし。
クリコ:はい。アキオも目をキラキラさせて「おお〜、うまい!ふわふわだ」と大興奮でした。
大事なのは、料理の時間よりも「心のゆとり」
——これらのレシピは、料理のプロじゃない私たちでも気軽につくれますか?
クリコ:ええ。家庭料理の延長線上でできるものばかりです。例えば、デザートを作るのに、介護食用の「ゲル化剤」というゼリー状に固める凝固剤を使っていました。ちょっと名前が物々しいので、私は「ゼリー化パウダー」と呼んでいるんですが、これを使うと、ものの6分程度でジュースがゼリーに早変わりします。常温で固まって、すぐできて、普通の人向けのデザート作りにもすごくいいと思いました。要は、寒天やゼラチンの仲間です。このパウダー、一度使ったら手放せません。時短調理には必須アイテムになりました。ポン酢をゆるいゼリー状にした「ポン酢のジュレ」をつくったり。
冷凍した野菜のピュレ。クリコさんは、料理に甘味や風味、旨み、コクを追加するために「ミックスキノコ」「ソーセージ」「飴色玉ねぎ」の3つのピュレを作り置きして常備していた。
写真:本人提供
時短料理でいくなら、ピュレ(果物や野菜を生のまま、あるいは加熱し、ミキサーなどですりつぶした、とろみのある食品)なんかが最適です。大量に作って小分けで冷凍してストックしておけば、ものすごく重宝します。私もこれを必要な時にささっと使うようになって、キッチンにおこもりしなくてよくなりましたから。栄養も満点だし。
——それから4年が過ぎ、クリコさんは今、どんなことを感じていますか?
クリコ:今あらためて、作ってきたごはんの一つ一つ、どれもが愛おしく感じますね。このレシピ自体が、夫が遺してくれた大きなプレゼントだと思っています。彼が教えてくれたのは、日常の何気ないことの大切さです。毎日の当たり前のごはんが、笑顔がこぼれる食卓が、どれほど価値のあることだったのかと。
——実は今も、〈アキオごはん〉は進化しているんですよね?
「大好きなイタリア料理の教室を開きたい」という夢を、「クリコが楽しいと思うことは何でもやればいいよ」と応援してくれたアキオさん。自宅で教室を開く時、チラシを一緒にポスティングしてくれた。「夫の後押しがなければ、今の私はないと思っています」
写真:今村拓馬
クリコ:ホームページ(クリコ流ひとりひとりの介護ごはん)を立ち上げまして。そこに、新作レシピを載せています。私自身、いざ介護ってなり、最初はすごく困った。介護食という言葉さえも知らなくて、ゼロから調べるところからでした。今度は自分が得た経験や知識を、今まさに困っていらっしゃる方々に使っていただきたいと思っています。
私はこの本で、どれだけ料理に時間をかけたかではなく、家族と過ごす心のゆとりを伝えたかったんです。私が悪戦苦闘して編み出した時短の方法や、おいしく見える調理や盛り付けなど、使えそうなエッセンスだけ取り入れてもらえれば、当初の私みたいに、キッチンにおこもりしなくてよくなりますから(笑)。
そしてまずは、世の中にもっと介護食のことを知ってもらいたいんです。スーパーで「介護食、どこにありますか?」と尋ねても通じなくって。欲を言えば、市販の介護食品の種類が豊富になって、味ももうちょっと向上してもらえば、ごはんで困っている家族に選択肢が増えると思うんです。
(文・古川雅子)