スープストック創業者に聞く「人生100年時代の最大リスク」の乗り越え方

「1社1職種」の肩書きにとらわれずキャリアを切り開く「複業」という働き方。その先進的モデルとして、複業研究家でHERES代表の西村創一朗さんが注目するのが、スマイルズ代表の遠山正道さんだ。三菱商事社員時代から趣味の絵の個展を開催し、「スープストックトーキョー」を創業、さらにネクタイブランドや書店、ホテルなど多様な事業を生み出し続けてきた。2017年4月、複業時代の新サービスとして「業務外業務 – WORK WITHOUT WORK-」を立ち上げたというスマイルズ。遠山さんが描く「人生100年時代の企業の成長戦略」とは?

遠山さんと西村さん

スープストックトーキョーを創業し、書店・ホテルなど多様な事業を生み出してきたスマイルズ代表の遠山正道さん(左)。

遠山さんに学ぶ、これからの働き方の流儀

・仕事を“自分ごと”にして楽しむ。

・制度より、事例をつくる。

・経営者こそ複業体験を。

遠山正道社長(以下、遠山):最近、「働き方改革」って言われますが、「いかに労働時間を削減するか」という議論になっているような気がします。 もともと個人的な経験として、20年ほど在籍した三菱商事時代から、おでんの屋台やアートの個展など、好きで始めた活動がきっかけとなって仕事と自分の人生が自然と結びついていった感覚があるんです。仕事はいつも“自分ごと”で、勝手に面白がってしまうもの。

もともとうちの社員で、香川県に移住してホテルを始めちゃった夫婦とか、1冊の本しか売らない変わった書店を銀座に開いた森岡くんも、きっと同じ感覚なのかな。「働く」の“時間”より“中身”に興味が向くし、やりがいを感じていたら苦労を苦労と感じない時もありますよね。そういう働き方をしてくれると、会社としてもパフォーマンスが上がるし、個人も楽しい。 経営者としても個人がいかに“自分ごと”で仕事を楽しめるかという環境をつくるかが大事で、その環境をつくるのは、決して制度ではないと思っているんですよね。

西村創一朗さん(以下、西村):制度より文化であると。

1日社員から発展したフィンランドとの縁

遠山:ですよね。私自身も三菱商事で社内ベンチャー起業第1号でしたけれど、結局、やる人は制度の有無に限らずやっちゃう。つくるべきは「画一的な制度」より、「多様な事例」でしょう。身近にモデルがいれば、後は「自分も行動するか否か」という意志だけの問題になる。 その行動の形は、起業のような大きなことを計画する必要もなくて、もっとささやかな行動や思いつきで“試し打ち”するくらいの感覚がベター。それでこの夏から始めたのが「業務外業務」というサービスで、「本業以外でこんなこともやってみたい人」と「面白い人に仕事を頼みたい人」をつなぐマッチングサイトです。私も登録していて、「服のスタイリング」「タイルアート制作」「乾杯の音頭」といった業務外業務のご注文をお待ちしています(笑)。

対談風景

西村:面白いですね! しかし、不思議です。一般的には「外で働く機会を与えたら本業に支障を来すんじゃないか」と足踏みする経営者の方が多い中で、どうして積極的に複業的働き方を促進しているんですか?

遠山:私の場合、「改革するぞ」という清い志ではなく、単に「自分でやってみたらいいことばかりだった」という実感がベースにあります。 昨年のエイプリルフールに、洒落のつもりで「遠山が1日社員になります」って発信したら、たくさんのご応募をいただきました(笑)。その中から僕が選ばせてもらったのが、「日本フィンランドデザイン協会」というところ。たった1日の社員体験だったんですが、その活動を通じてフィンランド大使館とコネクションができたり、本業にどんどん拡がりが出たんです。1年経った今年、「北欧の食 ときどき大蚤の市」というイベントにまで発展したんですよね。

西村:すごい! 社長自ら軽く複業体験してみた結果、「本業へのメリット」をダイレクトに感じたと。

未来を規定するとそれ以外できなくなる

遠山:あと、他社と一定期間社員を交換して経験の幅を広げる「交換留職」というのも、はじめは言葉遊びから始めたようなものだけど、やってみるとよかった。これまで星野リゾート、博報堂ケトル、フローレンス、直島文化村などと交換してます。明確な狙いがあったというより、楽しむつもりでいろんな方向に目を向けて動いてみたら自然と事業につながった。 まぁ、うちはみんなそういうものばっかりです。

だって、おかしいでしょ。スープ屋なのに、ネクタイ屋もやっていて、リサイクルショップやホテルまで。直近では、西早稲田で「羊のロッヂ」というジンギスカン屋を始めました。

西村:一見、バラバラのようですが、まさに“非連続のイノベーション”を表すものではないでしょうか。

遠山:計画っていうのはどうも苦手で(笑)。未来の行動を規定しちゃうと、それ以外ができなくなっちゃうリスクのほうが怖いんですよね。人生100年時代と言われていて、僕もあと50年くらい生きるかもしれないと思うと、最大のリスクは「固定」だと気づいたんです。だから、常に「オンエア中」(笑)。

西村さん

西村:遠山さんの実体験が、グループ全体の制度の模範になっているのですね。最近も分社化したスープストックトーキョーがアルバイトも対象にした「体温が上がる人事制度」を始めたと聞きました。

遠山:あ、それ、私も記事で読みました(笑)。

西村:それって最高じゃないですか! 社長のコントロールを超えたところで、働き方改革が自走しているなんて。普通、100%オーナーであるグループ代表がいれば、決済なくして人事制度が決まるなんてあり得ないのに。

遠山:一事が万事、そうなんです。私、経営会議で発言するのは大体3つと決まっていて、「へぇ〜」「ほぉー」「じゃ、よろしく」。使い分け方としては、「へぇ〜」は報告を受けたとき、「ほぉー」は同意の意味、「じゃ、よろしく」は激励です。

西村:すごい。まさに経営者が決めない経営会議。

遠山:ネタじゃなくて本当だよね?(と聞かれた社員も深く頷く)

社員:遠山さんのハンコがないと進まないのは、社長自身の経費精算のときだけです。事業はその責任者に全面的に任せるというスタンスが徹底しています

仕事は得意な人がやればいい

西村:また疑問です。なぜそこまで任せられるんですか? 古巣の三菱商事では、きっと決済必須の文化だったはずですが。

遠山:そもそも、「仕事は得意な人がやるべきだ」という信条があるんですよね。僕は経理をできないし、スープをきれいによそうこともできない。人事だって、一応最終面接はしますが、僕の時点で落とした人はこれまでいないはず。三菱商事でも、仕事は自分で創り出す文化の中で育てられたと思っています。

西村:ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス取締役の島田由香さんが、「労働管理の息苦しさを打開する方法は、上司の部下に対する『心配』を『信頼』に転換すること」だと。

遠山:同感です。

西村:そうはいっても、「部下を管理せず任せる」を行動レベルで実行できる方はなかなかいないと思うのですが。

遠山さん

遠山:そもそも部下らしい部下を持つ前に社長になってしまったので、ずっと横並びの感覚なんです。

西村:ヒエラルキー(階層的上下関係)ではなくホラクラシー(横とつながる水平関係)の組織を、自然とつくられてきたのですね。

遠山:創業したばかりの頃には「野球を5人でやるイメージ」と言っていました。

西村:4人足りませんね(笑)。

遠山:セカンドだけ守っていればいいという人は誰もいなくて、ボールが右に来たら右に走るし、投げるも打つもやる。僕もいまだに、ロゴの文字書きを頼まれますよ。


「年齢は三捨四入だ」と急かされ

西村:遠山さんの原点であるという、三菱商事時代に実行した個展開催の経験について改めてうかがえますか? どんなにリベラルな組織にいても、「いつかやってみたい」を実行するには、勇気とエネルギーを要するものです。

遠山:一言で言えば、「このまま定年を迎えたくない」という気持ちが湧いたということですね。160人いる同期のうち部長に上がれるのは2人くらい。運良くその2人になって、社長になれてもそれは60代になってから。キャリアの最終コーナーでバトンを握ってもできることは限られる気がしたんです。 趣味で絵はずっと描いていて、「いつかは個展を」という憧れを抱いていたわけです。それをある方の前で口にしたら、背中をど突かれて後戻りできなくなっちゃった。

西村:ある方というのは?

遠山:チェッカーズやキョンキョンのプロデュースをしていた秋山道男さんです。秋山さんから「夢は?」と聞かれたので、「個展かな」と言ったら、「いつやるの?」って。当時、私は32歳で「35歳になると四捨五入で40歳だから、34歳までに」と答えたら、「年齢は三捨四入だ」と急かされて33歳までとゴールを切られてしまった。

西村:コピーライティングの力ってすごいですね。

遠山:それで1年後にギャラリーを予約しました。絵は1枚も描いていないのに(笑)。キャンバスに筆で描くような大きな絵を描いたことすらなかったけれど、「筆を使わず野菜で描くというオリジナルの手法なら上手いも下手もない」と1年で70点以上描きました。

西村:週に1枚では済まないペースですね!

遠山:一応商社勤めで忙しくしていたので、朝4時に起きたり、金曜の夜だけ早く帰ってアトリエにこもったりと、大変でしたけれど。でも、好きだから苦にはなりませんでしたね。 そうやってみたら、本当に個展ができた。そして、すごく楽しかった。商社の仕事もやりがいはあったけれど、どうしてもメーカーが作った商品を流通につなぐ役割とか、なんとなく「まるっと語れない感じ」があって。個展は、企画から制作、販売まで全てに直接深く関わる。その楽しさや喜びを正面からドーン!と知ってしまったから、本業でも小売りをやりたくなったんです。

物語風の企画書に手ぬぐいユニフォーム

西村:それで、日本ケンタッキー・フライド・チキンに出向して、スープストックトーキョーの立ち上げへとつながっていくわけですね。

遠山さん

遠山:当時のケンタッキーの社長と三菱商事の常務がパーティーの立ち話で「何か一緒にやりましょう」と言っていたと聞きつけて、これはチャンスだ!と。でも、いきなり直球ではなくて、当時私が在籍していた情報産業グループらしく、「全店舗に情報配信するサービス提案」のプランを持って出向しました。入ってしまったら、もう情報配信の話はどっかに行ってしまって(笑)、小売りの企画をどんどん進めていきました。

西村:遠山さんは「新規事業を立ち上げる時の重要な視点」として、社員に「やりたいこと、必然性、意義、なかったという価値」の4つを伝えていらっしゃるそうですが、ケンタッキーでもこれを受け入れてくれたんですか。

遠山:おそらく遠山という“異物”を面白がってくださったんだと思います。20年前くらいのことで、ケンタッキーさんも順調に利益も出していたけれども、成長しているときほど優秀な経営者は「このままではいけない」と先手を打つものだと思います。

今考えると、当時の私はおかしなことばかりやっていましたよ。スープの企画書も物語風に作ったものだから、会議の出席者全員に事前に読んでもらう必要があって、社長や専務、三菱商事側の担当者だった新浪さん(現サントリーホールディングス社長)に「必ず読んでおいてください」と念を押したり。普通、できませんよね?

西村:できないです(笑)。秘書を通じてプレゼンのアポを取るのもやっとの方々じゃないですか。

遠山:完全に自分しか見えていない。夢中だったんです。ユニフォーム決定会議の時も、自分の考えを貫きました。その頃、ニューヨーク風のキャップをかぶるのが流行っていたけれど、真似事はしたくなくて「手ぬぐい」にこだわったんです。会議では「キムタクくらいしか似合いません」って反対されたんだけど、会議終わったらすぐに発注。一応意見は聞くけれど、自分の中ではやりたいことが明確でした。やってみると、「手ぬぐい、いいよね」って皆言ってくれましたよ。

仕事を“自分ごと”として楽しめるか

西村:遠山さんは自ら描くビジョンや物語に絶対的な自信があるから、突き通せるし、夢中になれた。その自信の源は、個展を自らの手と足で実行できたという成功体験が大きいのでは?

遠山:それはとても大きかったと思いますね。

西村:僕が複業関係のコンサルティングを重ねている中で強く感じるのは、本業以外で自分の好きで得意なことを徹底してやっている人は、自分の生み出すモノやコトに自信を持つ経験ができているので、本業でも周りに流されることなく高いパフォーマンスを出すことができるんです。副業・複業を通じて、自己肯定感がすごく高まる。自分でやると決めたことだからこそ、失敗も素直に受け入れられるし、全てが自信につながる経験になる。

スープストック

遠山:おっしゃるとおりで、うちでは“自分ごと”と言っている感覚ですね。飲食業って構造的にコストが高いし、苦労の連続です。長く続けるためには粘りや耐性が絶対的に必要で、外から「やらされている」感覚では続かないんです。うまくいかないときを乗り切るために不可欠なのが、仕事を“自分ごと”として楽しめる意識。

西村:特に「なぜやるべきか」という必然性を、社員の一人ひとりが自分の人生と紐付けて考えられるかどうかですよね。

遠山:だからどうしても、一つひとつの事業のサイズは小さくなるんです。1店舗に1冊の本しか置かない「森岡書店」の森岡君にしても、個人が深く関われる範囲ってどうしても狭くなる。でも、深くて狭いからこそ拡がる世界もあって、彼はOSIROというプラットフォームでコミュニティー活動を始めていますね。私は“ひとりぼっちの産業革命”なんて呼んでいます。

西村:素敵ですね。

勝手に虎視眈々と狙ってくれれば

遠山:そもそも「大きくなればいい」という考えも私にはなくて、スープストックトーキョーは事業計画の段階から「店舗数は50で打ち止め」と決めていました。時代に応じて最適値は変わっていくと思っていますが。人とコトと理由がしっかりと紐付くことが、うちの場合は新規事業のGOサインが出る条件かな。 逆に言えば、それさえあればいい。

西早稲田のラム専門店「羊のロッヂ」を開いた越坂部(おさかべ)君も面白い。彼は就職前に初めてアルバイトした店がジンギスカン屋で、ラム肉のおいしさしさや飲食店の面白さを知り、他社の内定取っていたのにジンギスカン屋さんに就職して、そこで4年働いたんですよ。で、うちに入ってきてくれたんですが、「やっぱりジンギスカンの原体験が忘れられない」と、店を始めたんです。「お客さんと会話できる店にしたい」とピッタリの物件を見つけてきたり、完全に“自分ごと”だからあっという間に仕事が進む。

一方で、会社としてはセーフティーネットは用意していて、うちの社員のまま子会社を作ってそこに出向する形にしているんです。2年間限定という約束で給料も出ます。私としては巣立ってほしいけれど、ダメだったら戻ってきてもいい。

西村:社員としてはとてもありがたいサポートだと思います。

遠山:そういうベンチャースピリットみたいな思いは、大なり小なり誰もが持っているものだと勝手に思っているんです。「できたらいいな」という思いが実現する例が、1個でも2個でも多く生まれてくれれば、あとはもう全員が“自分次第”じゃないですか。勝手に虎視眈々と時期を狙って、「今だ!」と飛びつく。楽しいですよね。

西村さんと遠山さん

西村:その期間限定出向型起業というのは、制度として名前をつけているんですか?

遠山:うーん、ないかな。 個別に相談に乗って、合う形を考えるだけですから

そういう意味では、もう一人、早稲田大から新卒で入ってきた古川君というのが面接当時から「将来は実家のクリーニング屋を継ぎたいです」と言っていたんですね。おじいさんがアイロンの蒸気をブワーッと舞い上げる姿に憧れていたらしいです。私も「いつからやるの?」って時々突きながら楽しみにしていたんですが、彼は入社6年目くらいから時短勤務制度を使ってクリーニング業の資格を取る学校に通い始めたんです。資格を取った後に「僕に5年間の時間をください」と言ってきました。いよいよおじいさんが引退を決めたから、知人のクリーニング店に修業に行きたいと。もちろん了承しました。なので今は5年間の休業中で、「修行期間を終えたらスマイルズと一緒にクリーニング店をやろう」と伝えています。

西村:うわー、泣けてきます!感動的ですね。

“試し打ち”のチャンスを作る「業務外業務」

遠山:これはすごく理想的なパターンで、出口もはっきりと見えている。きっとカフェ併設型のクリーニング店だったり、インターネットでオーダーを取れる店だったりと、おじいさんとは違うスタイルで彼なりの面白い店を作ってくれると思うんです。彼の動機が強いから、一時的に売り上げが多少落ちようが「絶対にいい店を作って、じいちゃんが生きているうちに見せてやる」と踏ん張ってくれるはずです。

西村:本当は社員の数だけストーリーはあるはずですよね。

遠山:本当は。でも、なかなか最初から強い思いがある人は滅多にいなくて、私だって成り行きで個展を始めなければこうはならなかった。だから、“試し打ち”みたいなチャンスはあったほうがよくて、それが「業務外業務」や「交換留職」だったらいいなと思っています。

先日、出身中学に講演に行ったときには少年たちに「やりたいことを100個書いておくといいよ」と伝えました。個人が「やってみたい」と記録したという事実は誰にも否定できないものだし、後から「オレ、昔こんなこと言ってたんだ」ときっかけになるかもしれない。

西村:今は明確にやりたいことがなくても、モデルケースをいくつもつくって見せることで、「この会社で頑張り続けたら、夢を実現もできる」という希望も一人ひとりの中で育つ。結果的に、社員の皆さんが本来持っている能力を発揮して頑張るモチベーションにつながって、会社の業績も伸びる。 飲食業界は人手不足の問題も深刻で「副業解禁なんて言っている場合じゃない」という否定的な声も聞かれます。でも、本来は“人こそ資本”の業界だからこそ、人材の力を最大化する仕組みを導入すべきだと僕は思っているのですが。

遠山:そうですね。会社も個人も今の時代の流れをうまく利用して、「国も言っているじゃん」と言質とって、本来やりたいことを実現できる環境にすればいいと思います。

47人の集団脱サラで2年間は給料半分

西村:遠山さんが「1日社員体験」をしたように、経営者自身が体験する機会をつくるのは効果的かもしれませんよね。

遠山:実はね、ずっと温めている提案があって……、「47人の集団脱サラ」というものなんですが。

西村:おお! 何ですか、それは?

遠山:「脱サラ」ってなんかちょっと懐かしくていい響きでしょ。でも、1人で新しいこと始めるのってちょっと怖いじゃないですか。まして人生を賭ける挑戦なら、特に。

だから、学校の1クラス分くらいの人数、47人の希望者を募り本業をいったん辞めさせるんです。「2年は給料半分出すから、何でもいいから好きなことに挑戦しなさい」と放り出す。成功すればそのままで、ダメなら帰ってきてもよし。7カ条も作ったんですよ。これ、某大企業に呼ばれた講演の場では話しましたが、世間には初公開です(笑)。

<仕掛け> 47人の集団脱サラ ~会社と自分が契る7ヶ条~

1.内容不問、社会か会社か自分のために。

2.公約あり、落選なし。

3.掛け金、給与、要交渉。

4.言い訳無用、全ては自分に帰ってくる。

5.2年後人生再プレゼン。

6.大きくなって帰ってこいよ。

7.その他、細かい定めなし。

西村:最高ですね!

遠山:仮に47人すべての事業が失敗したとしても、それを補って余りある経験になるはずです。会社としても懐の深さを示せる。

西村:これは僕が委員を務めている経済産業省主催の委員会でもぜひ提案してみたいアイディアです。より実現可能性を高めるならば、日本企業特有の横並び意識を刺激して、「47人×47社」のプロジェクトにするのはどうですか。

遠山:なるほど。赤信号、みんなで渡ればの精神で。

西村:これは、大企業も経験した経営者である遠山さんが、経営者に発信する働き方改革提案ですね。

遠山仕事を“自分ごと”にできる種は、誰もが自分の中から掘り起こせるものだと思います。

例の企業の講演ではワークショップもやりまして、一人ひとりに脱サラ計画を練ってもらったんです。子会社の人事部長の方だったかな。私が「何か浮かびましたか?」と声をかけたら、「全然。自転車に乗ってどこかに行って、ベンチで缶ビール飲んでいる姿くらいしか」って言うんですよね。私は「それ、いいですね」って返して、「私だったら、日本中に100カ所の『絶景のベンチ』を企画して、ビール会社と組んで市町村にベンチ1台200万円くらいの予算で提案して、若手デザイナーにベンチをデザインしてもらいますよ。あとは自販機とゴミ箱を用意すればできちゃいますね」ってお話ししました。ワンシーン浮かぶだけで、充分なんです。

西村:あえてカチッとした制度ではなく、試行型のプロジェクトを提案するという点も納得できます。つまり、「制度をつくって終わり」にはせず、本質的な効果にこだわる。「47人の脱サラ計画」が実行されて話題になる日を想像するだけで、ワクワクします。

(構成・宮本恵里子、写真:竹井俊晴)


遠山正道:1962年東京都生まれ。1985年慶應義塾大学商学部卒業後、三菱商事に入社。情報産業分野を担当する傍ら、アート活動を始め34歳で初の個展を開催。翌年、同社傘下の日本ケンタッキー・フライド・チキンに出向し、新規事業を企画。1999年、スープ専門店「スープストックトーキョー」1号店をオープン。翌年、社内起業でスマイルズを設立。2008年にMBOによって株式100%を取得し、三菱商事を退社。ネクタイブランド「giraffe(ジラフ)」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、「檸檬ホテル」など多業態を次々に打ち出す。

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