就活負け組の33歳女性、ロシアで生き抜いた経験は日本で通用するか

ロシアで日本語教師として働き始めて数カ月間、給料日になると事務室の担当者と同じやり取りを繰り返した。

「給料が振り込まれていないんだけど……」

相手の返事はいつも同じだった。

「大丈夫。私たちもだ」

今夏、一時帰国した伊藤貴恵(33)は、秘書に「違うだろー!」と絶叫する議員のニュースを見て、「私もロシアでは日々、『違うだろー!』と怒ってるなあ」と、思わず笑ってしまった。実際、我を忘れるほど怒鳴ったことが、何度かある。

「私、こんなに大声出せるんだ」

微妙な自己発見だった。

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ロシアにはYouTuberに憧れて日本語を学ぶ学生もいる。

伊藤貴恵提供

「ロシアってものすごくトップダウンの国なんですよ。上の一言で全部ひっくり返ることも珍しくないから、その結果、ぎりぎりまで何もしなくなるんです」

ロシアの前は中国で3年間働いていたが、中国人との方が断然分かりあえると感じるほど、今はいらだつことの連続だ。にもかかわらず伊藤は当初2年だった契約を1年延長し、8月末にロシアに戻った。イルクーツクで働くたった1人の日本人として、そこに住む人々のためにどうしてもやり遂げたいことが残っているからだ。

東京よりも身近だった海外

山形大学で日本文学を専攻した伊藤は、「もう少し勉強したい」と大学院に進学し、2010年9月に修了した。進学時には「文系大学院は就職が厳しくなるよ」と忠告された。

花笠を作る伊藤さん②

日本語の授業で花笠を作る伊藤

伊藤貴恵提供

実際の厳しさは聞いていた以上だった。面接で「大学院まで出た人がうちに来ても、やってもらうことはない」とはっきり言われたこともある。

東日本大震災で一旦就職活動を封印。臨時雇用の仕事をしながら一旦全てを保留にした。1年ほど経って周囲が落ち着いてくると、再び仕事を探し始めた。視界に入ったのは、海外だった。

大学院時代、中国・ハルビンの大学に日本語教師として派遣され、1年間働いた。県外の大都市よりも、一度働いたことのある中国の方が近く感じた。中国の複数の大学に履歴書を送り、最初に返事をくれた大連理工大学で、2012年9月から働き始めた。

椅子も机もない「教室」

大連は歴史的にロシア、日本の両国と関係が深い。日露戦争の激戦地だった旅順を擁し、今も多くのロシア人が住んでいる。

ロシアはアメリカ、中国と並ぶ大国だが、政治以外の情報は日本にはあまり入ってこない。キャンパスや街中でロシア人をよく見かける暮らしの中で、次第にその国への興味が膨らんだ。

「国の名前は誰でも知っているけど、それ以外のことはあまり知らないなあと感じて」

大連で3年働いた後、ロシアのシベリア南部にあるイルクーツク外国語大学を次の仕事場所に選び、2015年秋に赴任した。中国生活で、ちょっとやそっとの不条理には動じないと自信があったが、ロシアのハードさは想像以上だった。

イルクーツクの街並み

「シベリアのパリ」とも呼ばれる美しい街並みを持つイルクーツク。

伊藤貴恵提供

大学到着後に渡された契約書の給料の額が、事前に聞いていたものと違った。抗議すると担当者は面倒くさそうに、「サインしないならビザが出ないから、不法滞在になるだけよ」と言った。

赴任2年目の昨秋、大学は同じ地域の総合大学に統合され、「イルクーツク大学」と名を変えた。指定された教室に行くと、机も椅子も黒板もなく、学生が立って待っていた。伊藤は翌日から日本の100円ショップで買ったミニホワイトボードを持参し、授業を進めた。

YouTuberに憧れて日本語を学ぶロシア人

大学で教える内容は、中国時代とそれほど違うわけではない。しかし、同じ日本語学習者でも、ロシア人と中国人ではモチベーションに大きな違いがあるという。

日本企業が多く立地し、日本企業と取引がある中国企業が多い中国では、日本語学習者は主に仕事のために日本語を学ぶ。

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日本語を使う機会が少なく、モチベーションが下がりがちなのが今の悩みだ。

伊藤貴恵提供

「でも、ロシアの大学で日本語を学ぶ学生は、ほぼ全員が日本のコンテンツに魅了され、アニメやネットで見たクールな言葉を喋れるようになりたいと日本語学科に入ってきます。好きなYouTuberと話したいと夢を語る学生もいるんです」

学生たちの学習意欲は、入学時がピーク。

2年生になると、「~られる」など受け身表現や敬語に混乱し、落ちこぼれが出始め、3年生になると「日本語能力を生かした就職先」がほとんどない現実を知って、「中国語を専攻すればよかった」と後悔する。

「日本語を学ぶロシア人は、習得した言葉を実際に使う機会が少なく、モチベーションが下がりがちです。日本人の誰かがここにいる必要性は、強く感じています」

「島の子どもたちに、日本を見せたい」

伊藤がロシア勤務を延長した理由はこれだけではない。この1年でやり遂げたいと思っていることはイルクーツク中心部から300キロ離れた場所にあるオリホン島の子どもたちに、日本の土を踏ませることだ。

バイカル湖に浮かぶこの島を、伊藤が旅行で訪れたのは2016年4月。ゲストハウスに着くと、伊藤が日本人だと分かったオーナーが話しかけてきた。

ニキータ

今年1月、ニキータ(左)は山形まで遊びに来た。

伊藤貴恵提供

若い頃はソ連で有名な卓球選手だったという彼、ニキータ(56)は国際試合で1982年に北海道、1984年に金沢を訪れ、地元の人々に親切にしてもらったという。以来、すっかり日本びいきになり、独学で日本語を勉強し、時々日本を訪ねている。

「島の子どもたちにも、日本を見せたい」

片言の日本語で、ニキータは熱く語った。その後、ニキータは用事でイルクーツクに出て来るたびに必ず、「子どもたちを日本に連れて行きたい」と言った。伊藤も次第にその情熱に巻き込まれ、日露青年交流センターや現地の日本領事館に相談。若者の交流を深める取り組みに、現地滞在費などを支援する「日露青年交流事業」への申請を勧められた。

「せっかくなら私の地元でやりたい」

今年の正月、一時帰国した伊藤は、山形の国際交流団体や大学を訪問し、子どもたちの受け入れを依頼した。ニキータもやる気満々ではるばる山形までやって来た。

県内の大学が今年夏、「以前にも外国のグループと音楽交流をしたことがあるから、やってみましょう」と返事をくれ、ニキータの長年の夢は、実現の道筋が開けた。準備が順調に進めば、オリホン島の子どもたち約20人が、来年夏に日本へやって来る。

そろそろ日本に……通用するかは不安だけど

伊藤は11月に34歳になる。姉は昨年、妹は今年9月に結婚し、「3人姉妹で唯一の独身になった」と言うが、切迫感はあまりない。ただ、この先の仕事のことは、心配している。

日本語教師という職業上、外国語が堪能とまでは言えない伊藤は、「アメリカの大学を卒業して、TOEIC900点台というような人に比べて、私の人材としての価値は、何となく低い気がする。日本でグローバル人材というと、留学しました、英語ペラペラですというイメージですもんね」と話す。

授業の素材

授業に使う小道具。和紙や便せんは日本から持ってきた。

伊藤貴恵提供

同時に、「けど、少なくとも新興国は、最後は根性勝負だと思うんです」

今年6月、学年最後の授業で、ロシア人学生たちがサプライズでケーキを用意してくれた。伊藤は学生とケーキを食べ、紅茶を飲んで「ロシア大好き」と思ったが、その直後、アナフィラキシーショックを起こして病院に運ばれた。「犯人」はケーキとしか思えないが、医師は「ここではこれ以上分からないから、日本に帰って検査をしてもらいなさい」と言うだけだった。

中国とロシアで計6年。2つの大国を経験し、来年は日本に帰り職を探そうと思っている。ニキータの夢をかなえるために、あちこちに連絡を取り、訪問しながら「異文化をつなげる役割を果たしたい」と目標も見えてきた。

「大学院時代に就活がうまく行かず、面接で『院卒で女子、いらないねえ』と言われたのはまだ忘れられません。日本できちんと働いた経験もないから、こんな私を採用してくれる会社があるのか分かりません。根性とタフさは負けませんって、誰でも言えるだろうし」

ロシア生活を語るときとは別人のような、自信なさげな表情になった。

(文中敬称略)

(文・浦上早苗)

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