私がレシピ本と決別したワケ—— レシピ依存をやめ毎日同じ献立にするとご飯はこんなに楽しい

『魂の退社』『寂しい生活』の著者で、「アフロ記者」として知られる稲垣えみ子さんは、東日本大震災を契機に「個人的脱原発運動」をはじめ、洗濯、テレビ、冷蔵庫……と家の中からモノを一つ一つ手放していき、最終的には会社員という地位をも手放した。給料をもらえない生活になったが、「それでも全く不安はない」という。稲垣さんを支えているのは、「貯金」でも「収入」でもなく、「料理」だった——。

つまり、多くの人が「お金さえあれば安心」と思っているけれど、ことはそれほど単純じゃない。(中略)で、私。いやもう全然安心。全然自由。ハテそれはなぜなんだろうと改めて考えてみたわけです。で、まさかの結論に気づいてしまったのでした。私に自由をもたらしたのは、お金でも資産でもなく、特別な才能でもない。「料理」だったんです。

(引用『もうレシピ本はいらない』p.4-5)

稲垣さんを救っていたのは、料理だったのである。だが、最新刊のタイトルは『もうレシピ本はいらない』。料理好きなのに、なぜ? 朝日新聞社時代の元同僚で、Business Insider Japan編集長の浜田敬子が聞いた。

ニラ炒め

厚揚げとトマトとニラの味噌炒め・ワカメとニラの味噌汁・玄米ご飯と梅干し。最新刊『もうレシピ本はいらない』には、稲垣さんの普段の料理生活が紹介されている。

A印依存ではなく自分の味覚を頼るべし

浜田:私もレシピ本を買い込んでは、結局時間がなくて作れないってことを繰り返してきたので、『もうレシピ本はいらない』を読んで、「痛いところを突かれた」と思いました(笑)。この本に載ってる料理はほぼ決まった調理方法と調味料だけで作られているけど、どれも本当においしそうですよね。これだけシンプルな調理方法なのに、レパートリー豊富でおいしそうなご飯ができるんだ、と驚きました。

稲垣: 浜田さんが「時間がなくて作れない」のは、ガンバってごちそうを作ろうとしすぎているんですよ! 褒めていただいてナンですが、私の料理は食材が季節で変わっていくだけで、基本「飯・汁・漬物」のワンパターンな献立の繰り返し。あとはせいぜい厚揚げを焼くとか野菜を炒めるとか。

もともとごちそう大好き人間だったから、自分でもこんなことになろうとは思ってもみなかったんですが、冷蔵庫をやめたのと、会社を辞めて家賃圧縮のためワンルーム生活になったのとで、結果、江戸時代の貧乏長屋みたいな食生活にせざるをえなくなった。

でもそう割り切ってしまったらこれが案外いけるんです。いや実を言えばウチのご飯が楽しみすぎて、毎日走って家に帰るという我ながら驚きの現実(笑)。

浜田:稲垣さんは冷蔵庫を持ってないから、そもそも食品の買い置きも作り置きもできない。だから、作れる料理も限られる。それなのに、「自由」な感じがしたんです。たくさんのレシピ本や調味料を使えばどんな料理でも作れるけど、実はレシピに縛られていて、自由ではないんですよね。

稲垣えみ子さん

稲垣:私も以前はレシピ本マニアで、仕事の合間に本屋さんに立ち寄っては必ずレシピ本のコーナーに吸い寄せられてました。次々と提案される美しい料理の数々を作ることって、ちょっとやる気になればできるじゃないですか。思うように行かない会社員生活のストレス解消でもあった気がします。でも、今思えば本当の「料理」をじゃなかったんじゃないかと。

レシピに書いてある通りに作るだけ。味付けも(A)醤油大さじ2、砂糖小さじ1……と書かれた調味料を混ぜるだけ。完成した味がイマイチと思っても、調味料をいっぱい使ってるからどれをどう調整していいのわからず著者を毒付くしかない(笑)。で、いつまでたっても、本を見ないと何も作れない。つまりA印依存症だったんです。

浜田:確かにレシピ本を見ながらだと、料理の手順を覚えない。しまいにはレシピ本がなければ料理が作れなくなってしまう。

稲垣:なんかもう全てが増えていくんですよね。レシピにはA印だけじゃなくてBもCも出現したりして(笑)。で、レシピ本も調味料も 増える一方でどこに何があるのやら。さらにゴールが見えないんです。いくらレシピ本を買っても、際限なく次々とおいしそうなレシピ本が出てくる。それを見るたびにどこかで「今の自分じゃダメなんだ」って思わされていた気がします。

ところが飯・汁・漬物でいいとなると、「小さじ1」とか測る必要も、レシピを見る必要もない。っていうか、ご飯を炊いて、味噌汁に味噌を溶かして、ぬか漬けを切るだけなら、味付けの場面そのものもほとんどないじゃないかと(笑)。で、大量のレシピ本はほとんど人にあげてしまいました。いやー本当にすっきり! まるで牢屋から解き放たれたような……。

「メシ、汁、漬物」という軸さえあれば

稲垣: でもこんな料理って、ごちそうが溢れている今の世の中ではあまりにも貧しいじゃないですか。だから人様に勧めようとか、本を書こうなんて考えてもみなかった。

でも退社後の暮らしぶりを「情熱大陸」で取材されることになって、あまりにも華のない映像だったせいか結果的に家でご飯を食べるシーンが多くなっちゃって、自分ではこんなひどい食生活をお見せするのはどうかと思っていたんですが、蓋を開けてみたら一番多かった感想が「ご飯がおいしそう」。えっ、もっといいこといっぱい言ったんだけど……(笑)。っていうかそれが本当にびっくりで、もしやこういう単純な食事って案外と実はみんなが心の底で求めているものなんじゃないかと。

浜田:確かに、よくある企画で「死ぬ前に食べたいもの」って聞くと、結構みんな「お味噌汁」とか「卵かけご飯」とか意外とシンプルなものを答えるんですよね。

稲垣: そういうふうに究極のところを聞かれると「本当に食べたいもの」を考えますよね。でもこれだけ情報が溢れていると、つい派手なもの、華やかなものにばかりに目を奪われてしまう。私もずっと、おかずがたくさん並ぶのが豊かな食卓だと思っていました。おかずが主役。ご飯と味噌汁は脇役。

でも、今みたいな食生活になってご飯を主役に戻したら、十分うまいじゃないか、これさえあれば幸せじゃないかと。これまでずっと、食生活の軸をないがしろにしてきたことに気づいたんです。軸がないからレシピ本を見るたびに新しい料理に心を奪われて、あれもこれも食べたくなる。で、いつまでたっても満足できない。

梅定食

玄米ご飯・ニンジンとカブのぬか漬け・干しキャベツとエノキの味噌汁、と「メシ、汁、漬け物」を軸とした献立。がんもどきの上には、干した(しなびた)大根おろしたものがのっている。「実はしなびた大根の方が旨味が凝縮されていておいしいんですよ」と稲垣さん。小皿を5つ並べた様子が梅の花のようなので「梅定食」(稲垣さん)と呼んでいる。

浜田:今はレシピはどんどん進化していて、クックパッドだけでなく、料理動画なども。SNSでもみんな作った料理をアップしてるし。そうすると、自分もレパートリーを増やさなきゃってプレッシャーを感じることもありますね。

稲垣: ダメですよ、レパートリーを増やさなきゃなんて思ったら! だってキリがない。料理って毎日のことだからもっと単純でいい。レパートリーは少ないほどよし! っていうか毎日同じでいいじゃないですか。

同じ飯・汁・漬物でも、食材が変われば見た目も味も変わる。凝ったものや変わったものが食べたければ、たまの外食を楽しめばいいんです。家の食事が地味だからこそ、華やかな外食が楽しいんです。

浜田:多くの人が洋服がいっぱいあるのに「今日何着よう」と悩むのと、レシピ本を山ほど持っているのに「今日何作ろう」と思うのって似てませんか? 献立を考えるのが苦痛という女性多いですよね? 毎日違うものを作らなくちゃという呪縛は強いです。

稲垣:料理が趣味で楽しくて仕方っていう人は、毎日違う料理を作ればいいと思うんです。でも、みんながみんな毎日毎日違う料理を作らなきゃいけないとなると、そんなの絶対無理ですよ! 働く女性も増えているわけですし。実際、それが苦痛で料理そのものが嫌になっている人も多いと思う。

でね、どうして毎日違う料理を作らなきゃいけないかっていうと、 それは「ごちそう」を作りすぎているからなんです。おいしいものって飽きる。高級ステーキも毎日食べろって言われたら拷問です。つまりは努力すればするほどさらに努力しなきゃいけないという無間地獄! でも飯・汁・漬物っていう質素な食事だと全然飽きないんですこれが。いやほんと。調理時間も10分程度。今日は何を作ろうかって考えることもないから本当にラク。

料理を自分で作れるようになると、不安から自由になれる

息苦しい世の中で、少なからぬ人が「こんなはずじゃなかった」と人を呪いながら生きている。でも料理ができるあなたは、そんな世界とは無縁である。どんな状況にあっても自分の足ですくっと立って、背筋を伸ばして歩いていくことができる。そんなことができたなら、何を恐れることがあるだろう。これを自由というんじゃないだろうか。

(引用『もうレシピ本はいらない』p.268)

稲垣えみ子さん

浜田:今回の本で、稲垣さんは「自分で食べるものを自分で作ることで自由を手に入れられる」と書かれてますよね。それって具体的にはどういうことなんでしょう?

稲垣:料理ができれば、「自分で自分を食わせていく」ことができます。そうすると自立できるし、「何があっても生きていける」と自然と自信が湧いてきます。自立って、単に自分でお金を稼げるようになることだけじゃなくて、自分で自分の世話ができることだと思うんです。それができるようになると、必ずしもお金がたくさんなくたって豊かに生きられる。そうなればいろんな不安が解消されて自由になれますよ。

巷では家事論争があって誰が家事をやるかが問題になっているけど、いやいや、家事は誰かに押し付けてる場合じゃないぞと。むしろ「取りに行け」と思うんですね。家事をやってもらえるのって一見ラクだけど、自立できなくなるという点ですごいリスクだと思うんです。

高齢化社会で多くの人が長い老後を生きることを考えても、自分で家事ができるかどうかは決定的に生活の質を左右する。

でも、こういう話をすると、「自分は料理なんてできないよ」って思う人もいると思うんですね。でもそれは、料理というものを難しく考えすぎているんじゃないでしょうか。華麗なごちそうなんて作らなくていい。まずはキャンプに行ったと思って、鍋でご飯を炊いてみる。失敗もまた楽しいです。私もいまだにしょっちゅう失敗してますけど、それでも少しずつ上手くなっていく。

料理をするための力はすでに自分の中に備わっているんです。で、ご飯さえ炊けたらなんとかなります。生きていける。そう思うだけで、私は生きることが怖くなくなりました。

トマトと干し玉ねぎとズッキーニの酸っぱい味噌汁・全粒粉のパンとゴマ味噌・人参とぬか漬けと生ピーマンのラー油和え、枝豆のぬか漬け。トマトは皮ごとザクザク切って入れるだけでうまずっぱい最高の味噌汁に。冷蔵庫がないので、余った野菜はぬか漬けにするか、干すか。干し野菜は最高の出汁がでる。

トマト味噌汁


アボカド寿司・干しゴボウと干し椎茸のきんぴら・人参のぬか漬け・干しエノキとワカメと麩の味噌汁。アボカドを切って醤油と柚子胡椒とご飯を混ぜたもの。「私、寿司の定義を勝手に拡大しました。とにかく酸っぱいものが混ざってりゃ寿司だと」(稲垣さん)

アボカド寿司


干し野菜と油揚げのおじや・カブと新生姜のぬか漬け。残りご飯と干し野菜・油揚げに水を足して味噌を入れてグツグツ煮込む。これ一品で「ご飯と味噌汁」を兼ねているため、作るのも片付けもラックラクだという。

おじや



稲垣えみ子(いながき・えみこ):1965年生まれ。一橋大学卒業。朝日新聞社では大阪本社社会部、「週刊朝日」編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、アフロヘアの写真入り連載コラムや「報道ステーション」出演で注目を集める。2016年1月退社。著書に『魂の退社』『寂しい生活』など。

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