Sponsored

個人事業主という働き方は“女性活躍”の切り札になるか

横浜赤レンガ倉庫や山下公園から徒歩圏内、神奈川県庁や重厚な西洋建築が立ち並ぶ日本大通り沿いという好立地にある「POLA THE BEAUTY 関内店」。

この店でショップマネージャーを務める國吉香奈さん(36)の本格的なキャリアは30歳の時、この店から始まった。

ポーラ國吉さん

一度は専業主婦になった國吉さんだが、働く母や叔母の姿を見て育ったので、再び働き出すことに迷いはなかった。

POLA THE BEAUTY」は、それぞれの肌に合わせて、ポーラの商品とエステサービスを提供するサロン型ショップだ。ここで働くスタッフは「ビューティーディレクター(BD)」と呼ばれ、カウンセリングからエステ、商品の提案までを担う。彼女たちはみなポーラ社員ではなく、委託販売契約にもとづく個人事業主だ。

母も働く女性だったから、働き出すことに迷いはなかった

國吉さんが中学生の時、母親ががんを発病した。長期入院と寛解(病状が収まること)を繰り返す母に代わり、家族の食事を用意し、遠くの病院に入院する母の世話をするのは國吉さんの役目だった。

「母が寛解したら就職。また再発したら家事と看病という生活でした」

高校卒業後1年間はアルバイト、1年半不動産の営業を務め、2年間営業事務と職を転々とした。23歳で結婚すると同時に専業主婦になった。國吉さんが27歳のとき、生まれたばかりの次女の顔を見たあとに母は亡くなった。

BDとして働こうと思い立ったのは、長女が幼稚園年長、次女が年少のときだった。BDとして活躍している叔母の勧めだった。母親も働く女性だった。「家事と仕事を両立させている女性を見て育ったので、働き出すことに迷いはなかった」という。

M字カーブ

出典:男女共同参画白書2017年版

第1子の出産後に6割の女性が依然として退職する日本。女性の労働力率(15歳以上人口に占める労働力人口の割合)は、30代の結婚・出産期に低下し、子育てが一段落した40代後半あたりに再び上昇する、いわゆる「M字カーブ」を描いている。

しかし、いったん離職すると、再就職しても退職前と同等の収入が得られる仕事に就ける可能性は低い。パートや派遣社員など非正規社員での再就職がほとんどで、賃金が抑えられるためだ。

そのため今は離職せずに働き続けることを望む女性も近年増えてきているが、今度はそこに保育園や待機児童の問題が立ちはだかる。正社員で育休から復帰したとしても、今度は昇進が望めない「マミートラック」に乗せられてやりがいを失うという問題も起きている。

再就職でも、保育園がなくても、キャリアがなくても

再就職でも、キャリアがなくても、保育園がなくても —— 。國吉さんの2人の子どもは保育園ではなく幼稚園に通っていた。母親が専業主婦であることを前提としているため、延長保育はあったが働ける時間は限られており、毎日の弁当作りもあった。親が参加しなければならない行事も多く、ママ友たちとのお付き合いも無視するというわけにはいかない。

「当時は収入よりも家事育児との両立が優先でした」と語る國吉さんにとって、時間の融通がきく個人事業主という働き方は都合がよかった。子どもが手を離れたら仕事に打ち込めばいい。やっただけ報酬が得られることは、働き続ける励みにもなるだろうと考えた。

國吉さん

「仕事で困ったことは思い浮かばない」と國吉さん。一緒に働くBDには先輩主婦が多く、困った時はなんでも相談できた。

毎朝5時半に起きてお弁当を作り、洗濯、掃除、子どもを自転車に乗せて8時半に幼稚園へ送り届け、そのまま出勤。14時には店からお迎えに直行。子どもが慣れてきたら15時、16時と勤務時間を伸ばしていった。

化粧品を販売する仕事をしながら、ポーラのエステ研修にも参加した。1カ月ほど勉強と実習を重ね、検定に合格して初めてエステを担当できる。その後、日本エステティック協会の認定資格も取得。当初予想していた以上の忙しさだったが、それが「楽しかった」と振り返る。

「仕事で困ったこと……思い浮かばないですね。一緒に働いているBDは先輩主婦が多く、経験も豊かで、プライベートでも仕事でも困った時はなんでも相談できた。子どもが急に発熱したときも、『早く帰ってあげなさい』と言われて。別のスタッフが施術を代わってくれたこともありました」

現在は月曜から土曜まで出店。帰りは19時を過ぎるので出店前に夕食の準備をする。夕方、娘たちから「お米、何合炊く?」とメールが来ることもある。

生き方に寄り添うように、いつも仕事がある

忙しさにかまけて、子どもに頼まれていたことをうっかり忘れてしまい、チクリとした思いが胸を刺すこともある。だが、それでも店に立つことが励みとなっている。

國吉さん仕事風景

さまざまな年齢、環境の女性たちとの会話が、國吉さんにしなやかな強さをもたらした。

「お客様はみなさんはつらつとして意志を持った強い女性が多いんです」

幅広い年齢層、さまざまな環境にいる女性たちとの対話が、國吉さんにしなやかな強さをもたらした。

若いときから母の代わりとなり、家の中のことを自分中心で回してきた。

「そのせいか、BDになったばかりのころは、おばに『お山の大将だね』とよく言われたんです。確かに、それまで私に意見を言う人がいなかった。BDになってたくさんのことを勉強して、たくさんの人と接することで、ものごとにはさまざまな考え方があるということに気づかせてもらえました。子どもに対しても広い視野を持って接することができるようになったと思います。今、とても充実しています」

2017年ショップマネージャーに昇進した。子どもはこれから思春期を迎え、進学など忙しい状況が続くだろう。だが、子どもの成長とともに仕事に集中できる時間は確実に増えていることも感じている。

BDに定年はない。売り上げが規定を超えたら、ショップオーナーとして自分の店を持つこともできる。

経済産業省の女性起業家等実態調査(2015年)によると、女性の開業動機は2009年では「仕事の経歴や資格を生かしたかった」が最多だったが、2014年には「自由に仕事をしたかった」が1位に浮上した。

國吉さんは言う。

「仕事を始めたときは、自分がショップマネージャーになるなんて思っていなかった。将来は自分のお店を持ちたい。これからが楽しみでしょうがない」

國吉さんの脳裏には、闘病の合間にも楽しそうに働いていた母の姿が焼き付いている。仕事に生き方を合わせるのではなく、國吉さんの生き方に寄り添うように、仕事がいつもそばにある。

ソーシャルメディアでも最新のビジネス情報をいち早く配信中