「若者は政治に関心がない」。投票率の低さからそう言われるが、今多くの若者が団体を立ち上げ、異なるアプローチで日本の政治を変えようとしている。
彼ら彼女らは日本の政治にどこに問題を感じ、どう変えようとしているのか。20代を代表する6人を紹介する。
NPO法人Mielka・徐東輝さん:震災後、投票率が下がったことに焦りを感じた
まずは先の衆院選期間中に選挙情報サイト「JAPAN CHOICE」を立ち上げたNPO法人Mielkaの徐東輝(そぉ・とんふぃ)さん(26)。
関連記事:「テクノロジーとデザインとデータが民主主義を前進させる」——10、20代が立ち上げた選挙情報サイト
東輝さんは2014年、Mielkaの前身となるivote関西を立ち上げ、若者の投票率向上のため、主権者教育やイベントなど政治と若者をつなぐ活動を行ってきた。
2015年に開催した若者超会議では全国で活動する社会問題解決型の学生団体代表らが集まり、問題提起・提言を行った。
提供:徐東輝
活動を始めるきっかけになったのは、大きな二つの出来事だった。
一つは、2011年3月11日の東日本大震災。阪神淡路大震災やニュージーランドの大震災を経験していた東輝さんは、震災の中でかろうじて生きてきた意識があるという。
「あれだけの災害が起きて、これからの日本の姿を決めようという総選挙で投票率が10%も下がったことに焦りを感じた」
もう一つのきっかけは、大学院に入る直前22歳で海外に旅をした時。ヨーロッパや中東、北アフリカの国々で、同世代の若者が熱く国や政治のことについて語る姿を目の当たりにした。日本でも若者が政治について語る土壌を作るべきではないのか ——。
ivote関西では主権者教育などを通して投票率向上の活動を続けたが、今は単に投票を促すのではなく、情報の可視化を進め、投票以外の政治参加のあり方も模索している。
SEALDs・諏訪原健さん:デモを当たり前にもっと参加しやすい形に
若者と政治参加という意味でこの数年象徴的に語られていたのが、安保法制に反対するSEALDsだった。中心メンバーだった諏訪原健さん(25)は、SEALDsの前身となるSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加するまでは大企業でインターンをし、特定秘密保護法や貧困に対して問題意識はありながらも、「デモをするのは一部の怪しい人たち」だと思っていたという。
「日本ではデモが特別視されるけど、海外では政治に関わる身近な手法の一つで、SASPLのメンバーは、だからこそデモをどうアップデートすれば『デモが当たり前』になるか、個人が政治に関わりやすくなるかを話していて、それなら自分も参加できると思った」
リズミカルな掛け声、デザインにこだわったチラシやプラカード、SNSを駆使した情報発信など、SEALDsは新しい形のデモを実現した。
出典:Thomas Peter/Reuters
その後SEALDsとなり規模も広がる中で、若者の政治参加から市民の政治参加へ、そして政党と市民の関わり方へと、意識も変わっていった。
「立憲民主党のHPでは市民参加の方法がまとめられ、ハッシュタグなどSNSを駆使し話題を集めたけど、今まで自分たちなどがやってきたことを政党が上手く取り入れただけ。国会前デモで結果が出なかったと言われるけど、民主主義はプロセス論で、どういうものを積み上げていくかが重要。政党の形についても、個人が多様化している今の時代は、政党がトップダウンで決めるのではなく、ボトムアップで決めていくべきだと思う」
SEALDsは2016年8月に一定の役割を終えたとして、いったん活動を休止。しかし、メンバーたちはReDEMOS(政策提言を行うシンクタンク、2015年12月設立)を設立し、市民連合(安保法制の廃止や立憲主義の回復などを求め野党統一候補擁立を目指し選挙運動を行う連合組織ーー2015年12月設立)でも活動は続けてきた。「政治に個人がどう関わるか」という根底にある問題意識は変わらない。
諏訪原さんは現在、筑波大学大学院で教育社会学を専攻している。「政党自体のあり方も変えたい」という想いから、政党が「地域のパートナーとして」市民と一緒に候補者選出や選挙活動をしようと野党に呼びかけてきた。立憲民主党の菅直人元首相が先の衆院選後のブログで、次の選挙に向けては候補者選びから党員が関与できる市民参加型を始めるなど、少しずつではあるが結実しつつある。
ぼくいち・後藤寛勝さん:政治に希望を感じる体験を届ける票育
NPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」(通称ぼくいち)代表理事の後藤寛勝(23)さんが政治に関心を持ったのは高校生の時。今の活動は18歳から始めた。
「音楽や農業など夢を持っていた友人たちが進路を選択する時に、先生や周りから『今の日本では夢より現実』だと言われ、得意分野よりも進学を優先してしまい、強い違和感と悔しさを感じたことを覚えている。『誰もが夢をかなえられる社会はどうやったらつくれるのだろう?』と考えた時に出会ったのが『政治家』という職業だった」
2012年に団体を設立した当初は、高校生と国会議員のディスカッションイベント「高校生100人×国会議員」を開催していたが、全国の学生に「政治に希望を感じる」体験を届けるために2015年からは「票育」を行う。
学校単位ではなく、行政と提携することで市内の学校全てに票育を届けようとしている。一番右が後藤さん。
提供:後藤寛勝
「票育」とは、それぞれの地域の22歳以下のメンバーが”票育CREW”として各地域の課題発見や解決策を考える授業プログラムを提供する政治教育だ。
2016年夏に全米一住みたい街と呼ばれるポートランドを訪問し、「多くの人が政治に参加し、みんなで街を作っていくことのできる仕組みを整えること」と「その制度を活用したくなるモチベーションづくり」を両輪で進めていくことの大切さを強く感じたという。
2017年からは、より直接的に若者の声を届けるために岐阜県美濃加茂市と業務提携を結び、25歳以下の若者が1年かけて課題発見・政策提言・政策実行を行う「若者委員会」を発足させた。“内側”から行政を変えようとしている。
名古屋わかもの会議・水野翔太さん:内向的な名古屋を若者で盛り上げたい
ぼくいちのメンバーとして活動し、今では地元・名古屋で街づくりに関わっているのが、名古屋わかもの会議の水野翔太さん(22)だ。
最初に政治に関心を持ったのは2010年に名古屋で行われたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)。ボランティアとして参加した。同時に開催されたこどもCOP10でユース世代の提言書に大人の意見ばかりが入ったことに違和感を持ち、「だったら自分たちで作ればいいじゃん」と学生環境団体NEOを創設。大学は東京に進学したが、「名古屋を盛り上げたい」という想いから、2013年に名古屋わかもの会議を立ち上げた。いまは名古屋の会社で働きながら総合統括として活動を続けている。
2016年には愛知県と共同であいちの離島振興事業を行った。一番右が水野さん。
提供:水野翔太
わかもの会議では実際に街づくりに関与しようと行政に「若者議会」などを提言し、今では愛知県と共同で、愛知の離島をどう活性化させるか考えPRを行う「あいちの離島アジト化計画」や、サッカーチームの「名古屋グランパス」やバスケBリーグの「名古屋ダイヤモンドドルフィンズ」などとスポーツを通してどう名古屋を盛り上げるか考える企画を共同で行い、政治に関心のない若者も巻き込みながら街づくりに参加している。
水野さん自身は近い将来政治家になりたいと語る。
「街を変える手段として政治の力は大きい。将来を担う若い世代がもっと街づくりに関わるべきで、20、30代のうちに政治家になりたい」
芸人・たかまつななさん:お笑いで若者と政治を繋ぐ架け橋に
お笑い芸人として政治をわかりやすく伝えようとしているたかまつななさん(24)。慶應義塾大学大学院に通う現役の大学院生だ。
小学校4年生の時にアルピニストの野口健さんが開催していた自然教室に参加し、富士山の不法投棄問題を知った。その後、読売新聞のこども記者としてその問題を伝えようとしたが、なかなか同世代には伝わらなかった。
オリジナルで政治教育の教材を作り、無関心の学生にも興味を持ってもらえるように、お笑いやゲームを使いながら感覚的に伝えている。
提供:たかまつなな
お笑い芸人を目指そうと思ったきっかけは、中学2年生の時に読んだ『憲法九条を世界遺産に』という対談本。この本の中で爆笑問題の太田光さんのユニークな提言に感銘を受けたという。
「太田光さんは文中でこう語っていた。『憲法九条は、たった一つ日本に残された夢であり理想であり、拠り所なんですよね。どんなに非難されようと、一貫して他国と戦わない。二度と戦争を起こさないという姿勢を貫き通してきたことに、日本人の誇りはあると思うんです。他国からは、弱気、弱腰とか批判されるけど、その嘲笑される部分にこそ誇りを感じていいと思います』。つまり、憲法九条は破綻しているが、だからこそ世界に希望を与えられる象徴なのではないかと」
たかまつさんは最初、太田さんを「ユニークな政策を提言される学者」と誤解していたのだが、巻末で初めてお笑いコンビ「爆笑問題」の芸人だと知り、お笑い芸人を目指すことを決意する。
「お笑い芸人はユニークなことを考える素晴らしい職業だと気づき、お笑いを通して政治や社会問題について伝えたら、今まで興味がなかった人にも興味を持ってもらえるんじゃないかと思った」
18歳選挙権が実現したとき、「これで、政治の面白い教材ができる!」と期待していたのに、「そんなものはできなかった」。だったら「芸人の私が作る!」と株式会社「笑下村塾」を設立、全国の小学校・中学校・高校・大学で出張授業を届けている。
都議会議員・鈴木邦和さん:ITを使った政治のイノベーションを目指す
政治家として現場から政治を変えようとする人も出てきている。
小池百合子東京都知事の「情報公開するだけではダメで、わかりやすく伝えて初めて有権者に届く」という言葉に共感し、2017年7月の東京都議会議員選挙に「都民ファーストの会」から出馬・当選した。
提供:鈴木邦和事務所
東京都議会議員の鈴木邦和さん(28)は7月の都議選で政治家になった。
もともと政治に興味があったわけではない。東日本大震災の復興支援に関わる中で政治・行政の重要性を感じ、「有権者と政治家との間のディスコミュニケーションをなくしたい」と、大手企業の内定を辞退して、選挙情報サイト「日本政治.com」を立ち上げた。
サイトは2012年衆院選以降の国政選挙で100万人以上の有権者に利用されたものの、「公約のPDCAが回っていない」と感じ、政治家を志す。
選挙で各党は公約を掲げるが、それがどこまで実現され、結果を出したのか十分な検証もされないまま、次の選挙でも同様の政策が掲げられているのが現状だ。
「今はコミュニケーションのツールが発達しているにも関わらず、日本では4年に1回の選挙以外に政治家と有権者がコミュニケーションをとる機会がほとんどない。モスクワではアプリで毎週市長と市民がコミュニケーションし、パリでは年間予算の5%の使い道について市民が自由に政策のアイデアを出している。他方、日本では前例がなく、実現できないと言われる。だったら自分が前例を作ろうと」
まだ初当選から半年も経っていないが、既にパリと同様に、都民からの提案を予算に反映させる「都民による事業提案制度」を実現、自身のHP上では公約の進捗開示やアンケートを常時行うなど、着実に「ITを使った政治のイノベーション」を起こそうとしている。
6人とも根底にある問題意識や目指す先にあるのは、個人の政治への参加、民主主義の発展だ。今回紹介できていない20代の団体や個人もまだまだあり、それぞれ新しい取り組みを始めている。一方で選挙権は18歳以上に引き下げられたものの、被選挙権年齢は25歳以上、先日の衆院選での最年少当選者は31歳、平均年齢は54.74歳、大臣に40代以下は存在せず、閣僚の平均年齢はG7諸国の中で最も高いという現実がある。
(文・室橋祐貴)