働き方改革の流れで近年、注目を集めるのが、人事にデータサイエンスを導入したヒューマン・リソース(HR)テクノロジーだ。採用から評価制度といった人事戦略にテクノロジーを駆使することで、どんな効果が生まれるのか。HRテクノロジー分野では、人工知能(AI)ワトソンを手がける日本IBMは、HRテクノロジーの先駆者として知られる人事担当の常務執行役員、ゼイン・ズンボーリンさんを、複業研究家でHRコンサルティングも手がける西村創一朗さんが訪ねた。
日本IBM人事担当役員のズンボーリンさん(左)と西村さん。社内には、和室はじめ社員同士が対話する場が多く設けられている。
西村創一朗さん(以下、西村):(ブルーに染めた前髪を見て)素敵な髪ですね。日本にいらしてからですか?
ゼイン・ズンボーリン常務執行役員(以下、ズンボーリン):日本に来て2年ですが、1年半位前からですね。グローバルにしても日本にしてもみんなおとなしいので、何か挑戦的な、刺激的なことをやりたいと思って。多少、変わっていたり人と違っていたりしてもOKなんだよ、と伝えたいのです。うれしいと青くなるんですよ(笑)。
西村:なるほど、今日はハッピーということですね(笑)。さて、今秋にはHRテクノロジー大賞(HRテクノロジー大賞実行委員会、経済産業省など後援)を受賞されていますが、日本IBMといえばワトソンを始めAIやビッグデータ、ソーシャル、モバイルを活用した人事の取り組みで知られていますね。今回も5つの柱が評価されています。
日本IBMのHRテクノロジー5つの柱
(1):ワトソンやコミュニケーションツール「チェックポイント」など、最先端テクノロジーをHRシステムに導入
(2):人事業務の効率化による、1人当たり生産性の向上
(3):退職者未然防止など、データ活用による予防的な対策
(4):エンプロイーエンゲージメント(従業員と組織との絆)への注力
(5):(1)〜(4)の活用により、人事の仕事を事務作業からコンサルティングへシフト
西村:私も多くの企業の人事部門でコンサルティングやアドバイスをさせていただく中で感じることですが、こうした取り組みはやろう、という声かけはできるけれど、やり切ることはなかなか難しい。特に、IBMのような大規模の会社では。どんな取り組みや工夫をされていますか。
「多少、変わっていたり人と違っていてもOK」と語る、常務執行役員のズンボーリンさん。
ズンボーリン:大きな会社なので、個人と個人がつながりをもてるように、ファミリーデーといって会社解放をして社員の子どもたちをはじめ家族を呼べる日を設けたり、社員が集うイベントを仕掛けたりしています。社員が一つに集まって参加することで、仲間であると感じられるような仕組みをつくり、 “IBM”をつくりあげる努力をしています。
日本IBM社員:ハロウィンでは率先して仮装し、クリスマスにはサンタ・クロースに扮(ふん)して、事業所内保育園の子どもたちを沸かせています。(ズンボーリンさんについて)周囲の社員からは「ファンキーな人」と言われています。
西村:そこもまさにエンプロイーエンゲージメント(従業員と組織との絆)につながっているわけですね。そんな中で進めてこられたHRテクノロジーの5つの柱についてですが、IBMではいつからどういう流れで浸透させ、結果を出すまでになったのでしょうか。
日本IBMのHRテクノロジー浸透の極意を、3つのポイントからみてみよう。
1.エンプロイーエンゲージメントの可視化
日本IBMでは15年近く前から徹底されているのが「人事評価と給与体型をがっちり組み合わせたシステム」(ズンボーリンさん)。こうした明快な評価システムはある種のシビアさも伴うが、そことセットで行うのが緻密な「エンプロイーエンゲージメント調査」の実施による、社員の状況の把握だ。年に3回の調査を実施し「組織の脈」(ズンボーリンさん)を測っている。
2.組織と社員の密なコミュニケーション
会社と社員の積極的かつ密なコミュニケーションは特徴的だ。エンプロイーエンゲージメント調査は、やりっ放しでは意味がない。対話型の集会や社内行事としてのイベントで、常に社員から調査内容に関するフィードバックを集め、再度の精査を怠らない。年に2回のマネージメント層の研修は内容そのものを毎年、参加者に考えてもらい、そのニーズを踏まえた上で組み立てている。
人事分野でのデータサイエンスの活用のポイントとは。
新卒採用も同様だ。学生に接触する段階から、内定者へのフォロー、2年にわたる入社後フォローで、集中的に研修やコミュニケーションを図る専門部隊を3年前に発足。「売り手市場で辞退率が6割程度といわれる中で、日本IBMでは3割程度に抑えられています」(ズンボーリンさん)。
3.人事データを統合させる。
西村さんが「HRテクノロジーの活用方法でアドバイスは」と尋ねたところ「システムやデータの分断は課題」との指摘が、同席した人事部門担当者から上がった。人事にはあらゆるデータが集まってくるが「職位コードや退社・入社時のカテゴリーコードの統一化が図れていないと、結局データが分立して意味がなくなってしまう」(日本IBM人事部門担当者)からだ。
IBMでは、早くから一つのシステムに集約して人事データの統計を作り上げてきた実績があるという。「他社の方と話をしていて、システムは入れたものの、データ同士がつながっていないというケースが多い。人事データの存在に気付き、それを連携させることで統括的に自社で分析できる体制づくりが肝心です」(同)。
人事分野においても「Aiと人間はコンビネーション」(ズンボーリンさん)と考えているという。
AI時代の人事とは
気になるAI時代の人間の役割にも話は及んだ。
西村:人事データを活用し、テクノロジーを活用する中で、AIによるサジェスチョンも進んでいるのですか。
ズンボーリン:実験的には始めています。誰が離職しそうかということをAIが予測しています。ただ、基本的に辞めそうな人たちに対して、AIはデータ分析で予兆は出せますが、顔色を見て励ますことはできない。結局はAIと人間とのコンビネーションだと考えています。人間のサポートとして判断の材料を提供したい。
(IBMのAIサービスである)ワトソンの好事例としては、がん治療で複数のドクターの情報をワトソンが集約し、解析した結果に基づき主治医が治療方針を変え、快方に向かったケースもある。人事も同様で、AIが散らばっていた社員のデータを活用できるように、つなげてマネジャーに渡す。そこから実際に社員とコミュニケーションするのはマネジャーです。
データ解析による可能性をAIが判断材料として提供し、その内容と現実とのギャップを埋めるのは、人間同士の付き合いではないでしょうか。
西村創一朗のきょうのHRテック分析
だからこそ日本IBMは、導入して終了ではなくて、どう使うかに力を割いている。エンゲージメントを(調査を通して)可視化した上でファミリーデーをやったりマネージメント層を集めてディスカッションをやったり。デジタルでデータを整えた上で、組織をどう変えていくかは、日々の人間関係やコミュニケーションにあると感じた。
人間をテクノロジーが奪うと思われがちだが、むしろ逆。HRテクノロジーに踊らされずに、いかにいいコミュニケーションや仕掛け、カルチャーをつくるかが大事なのだ。HRテクノロジーを進めれば進めるほど、人力でやってきた作業やPCに向かう時間が減って、人が人に向き合う時間が増える。人間くささ、人間らしさをつくるためにこそ、テクノロジーが必要なのだと実感する。
(構成・滝川麻衣子、撮影・今村拓馬)