白熱討論!「健康格差」は自己責任か—— WEBメディア7社『健康格差』共同プロジェクト第5回

20代30代を取材していると、世代内格差が広がっていることを感じる。正社員か非正規社員かによって当然所得の差が生まれ、所得の差は「生活の差」「生活の質への意識の差」につながっている。一方、正社員も長時間労働など職場の状況によって、食に気遣う余裕もなくなり、睡眠不足が蓄積している。これは自分だけの責任だろうか。

2016年に放映されたNHKスペシャルの内容を元にした新書「健康格差 あなたの寿命は社会が決める」が発売された。Business Insider Japanでは 「健康格差」という現実をより多くの、特に若い世代に知って欲しいと、第5章を無料で公開する。

健康は極めて個人的な事情である。だからこそ、健康管理=自己責任と捉えられがちだが、本当にそうだろうか。この章ではその問題を問いかけている。

※以下からは「健康格差」の第5章を原則、原文ママとして公開する。本文太字はBusiness Insider Japan編集部による。

「低所得者の死亡率は高所得者の3倍高い」といった驚きの格差について伝えるとともに、健康寿命を伸ばすための自治体の取り組みなどについて紹介している本書。

この「健康格差」の問題をより多くの読者に知ってほしいという著者の強い思いを受け、その問題意識に共感くださったWebメディア6社(日経ビジネス、ダイヤモンドオンライン、プレジデントオンライン、東洋経済オンライン、ビジネスインサイダージャパン、ハフポスト 順不同)に、出版社メディアの垣根を越えてご協力いただき、現代ビジネスを含めた計7媒体合同で本書の全文公開を行うことを決めました。(講談社現代新書編集部)

第5章 白熱討論!「健康格差」は自己責任か

「健康格差」の問題を議論する際に、必ず出てくる問題がある。それが「自己責任論」だ。「健康管理は個人の責任において行うべきもので、不摂生がたたって健康を害した人たちのことまで、国や行政が面倒を見る必要はない」と考える人は根強く多い。

番組でも、取材の方向性や内容を決めるため、事前に視聴者にアンケートを行ったところ「健康管理は自己責任だ」という声が多数寄せられた。実際、番組の放送中、ツイッターに寄せられた投稿に目を通しても「健康になるための努力をしないで文句ばかり言っている。そういう人の面倒まで税金でみる必要はない」とか「自己管理をせず、不摂生な生活をしてきた報い。健康を害しても仕方ない」など、突き放した意見も多く見られた。

確かに、健康は食生活やライフスタイルなど、個人の努力に任せられている部分が多く、自助努力で改善できる余地があるのは事実だ。しかし「健康格差」を個人の問題として放置できるのか、本当に切り捨ててしまっていいのだろうか。本章では、番組内でも白熱した議論が展開された、時には「炎上」しかねない「健康」と「自己責任」をめぐる問題をいま一度じっくり考えてみたい。

「健康=自己責任論」の背景

NHKスペシャル「私たちのこれから」では、番組のテーマに合わせて毎回さまざまな立場の専門家や文化人、タレント、市民の皆さんをスタジオに招いて、VTRなどを皮切りに徹底的に議論していただいている。特に市民の方々については、全国のあらゆる視聴者を想定している。今回は、番組が行ったアンケートに回答していただいた方や、取材で出会った方などを中心に「健康格差」について関心の高い20代から70代までの幅広い世代の方に集まっていただいた。立場も、シングルマザー、管理栄養士、非正規・派遣労働者、正社員、自治体職員、中小企業経営者、学生、年金生活者など多岐にわたっている。

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スタジオの討論では「自己責任派」と「社会問題派」で意見が分かれ、議論が白熱した。

スタジオの討論は、3時間半にわたる白熱したものになったが、やはり最も盛り上がったのが、「健康」と「自己責任」をめぐる議論だった。意見は「自己責任で解決すべき派」と「社会の問題として考えるべき派」で真っ二つに分かれた。

まず「自己責任派」の意見から紹介したい。

「健康は自分のことだし、他人に任せることはできない。非正規の方でもちょっと食事を気にすれば、自炊をすることで健康的に生活できる道はあると思うので、僕はあくまでも自己責任かなと思います」(23歳・大学生)

「私は、いま2歳と4歳の娘がいるんですけど、やっぱり親の責任が大きいと思います。例えば、街中にコンビニが多いじゃないですか。食べたい時にコンビニに行けば、すぐに欲しいものが手に入ってしまいますよね。でも、やっぱりそこは親の責任で止めなきゃいけない。私は(健康管理は)自己責任かなと思います」(33歳・主婦)

また、この問題に関心が高い方としてお越しいただいた俳優の風間トオルさんも、自己責任派だ。実は、風間さんは5歳のころ、両親が離婚。のちに父親が失踪し祖父母のもとで育てられた。著書『ビンボー魂』(中央公論新社)には、小学校時代「学校が休みになる=学校給食にありつけない」や「中でも空腹との長く厳しい闘いが強いられる夏休みをどうやって凌ぐかが大問題」と書かれている。そんな時、風間さんは家の前の公園に生えている、草やタンポポやアサガオを食べたりして飢えをしのいだ壮絶な体験をされている。

「国の力を借りるのは最後の最後じゃないでしょうか。国が一律で何かすることでもないですし、個人が自分で努力して解決することじゃないでしょうか。僕なんかも子どもの時、貧困というか、お金がなくて、公園の草とか食べて飢えを凌いでいました。草の匂いをかいだり、口に入れながら、『これはいける』『これはいけない』って判断していました。そうやって努力して空腹を満腹にしてきた。だから、高齢になって動けなくなった時に初めて、国の力を借りることが許されるのかなって思いますけどね……」

こうした意見に対して「社会問題派」として、自らの経験を語ってくれたのが、外食中心の食生活で体調を崩してしまったという、非正規雇用として働く54歳の女性だ。

「私は母親が栄養関係の学校を出ていましたので、子どものころから、きちんと食育されていたんです。だから私自身は、食べるものに関しては自分でコントロールできるという自信があったんです。でも、夏の暑い中の仕事で、本当に疲労の極致までいってしまいました。家にたどり着いて、布団もやっとの思いで敷いて、シャワーを震えながら浴びて部屋に戻ったらもう食べる力がないんです。いすに座るより先に寝床に転がり込む。で、めいっぱい眠る。この歳になると、それしか体力が残っていないんですよ。翌朝起きると、さすがにお腹がすいているので、近所の牛丼屋さんに駆け込む。そんな生活が毎日続きました。きちんとした食事をとらなければいけない、という意識はあっても、それができなくなる環境や状況というのは、現実にあるということをわかってほしいです」

財政の観点から社会保障を研究している慶應義塾大学教授の井手英策さんは、バブル崩壊後、国民の所得水準がジリジリと落ちていることが「健康=自己責任」という論を加速させていると考えている。井手さんが提示したのは、世帯所得の推移だ。

世帯所得

世帯の平均所得はこの20年間で2割程度落ちている。

厚労省が調査した「国民生活基礎調査の概況 平成16~26年」によると、平成6年に664・2万円あった世帯所得が、平成26年には541・9万円にまで落ち込んでいることがわかる。つまり、世帯所得はこの20年間で2割程度落ちているのだ。仮に、世帯所得が平成6年の水準から落ちなかったとしたら、どうだろう。平成6年の世帯所得から、平成7年~平成26年までの各年代の世帯所得を引いた合計を足し合わせると、なんと1577万9000円になる。つまり、世帯所得の水準が落ちなければ、国民は20年間で1500万円も貯金ができていたとも考えられるのだ。

井手さんは、高度経済成長期に確立した企業の正社員、終身雇用、年功序列制がもたらしたとされる「分厚い中間層」が、雇用環境の激変によって崩壊し、ジリジリと下流化し、中間層そのものが貧しくなる中で、国民すべてが自身の生活を保つことで精一杯になっている状況があると指摘。その中で、皆頑張って、生活習慣に気をつけて健康を一定以上保っているのに、それができないのは、本人の努力が足りず、甘えているからではないかと考える人が多くなっていると読みとく。

さらに、その上で「結局、健康を自己管理できた、できなかったっていうのは、結果的に病気になったか、ならなかったかですよね。病気にならなかったからといって、自己管理に成功したかどうかは証明不可能ではありませんか? 自己責任論を声高に唱える人にとっては、病気になった人は、きっと『悪い人』だったって、きっとどっかで思っていらっしゃる。でも、本当は『病気になった人』は『困っている人』ですよね。これは、『自己責任と言った人がおかしい』と言いたいのではなくて、どうして僕たちは困っている人を見て、悪い人だと思ってしまうのだろう……と。本当の社会問題というのは、ここにあるような気がします」と、安易な自己責任論を展開するのは、社会の本質を見誤ると鋭く指摘した。

自己責任論にみる社会の歪み

評論家の宇野常寛さんも「健康格差」を解消することが、長期的にみれば国民の利益につながると主張する立場をとっている。その上で、自己責任論で事を済まそうとする日本社会の歪みに、強い違和感を抱いている。

宇野常寛

「極端なケースに対応するのが国家の役目」だと主張する評論家の宇野常寛さん。

「『健康格差』の問題を俯瞰的に見れば、現在の日本は、自己管理できるぐらいの時間的・経済的余裕があって、かつ意識の高い人以外は健康を維持できない社会になっているってことですよね。そうすると、医療費なんて無限に高騰していって、国家は滅びますよ。それでいいんですかって話ですよね。それを回避する方法は2つしかなくて、自己責任だって言って、本当にみんな切り捨てちゃうか、それとも、そうじゃない世の中にするほうがいいのか。僕、答えは明らかだと思うんですよ、はっきり言って。自己責任とかおっしゃる人たちに言いたいのは、いつ自分が弱者に転がり落ちるかわからないじゃないですかということです。いま自分は健康で裕福だから健康管理できている、と思うかもしれないですけど、ちょっと不幸があったりしたら、どうなるかわからないじゃないですか」

こうした宇野さんの意見に、真っ先に異議を唱えた市民がいた。「自己責任」論を支持する70代の自営業の男性だ。男性は、57歳のときに勤めていた商社が倒産、訪問マッサージ業に転職したのをきっかけに不摂生だった生活を見直し、メタボリックシンドロームを解消した経験を持つ。どんな状況でも「人間は強い意志を持てば、自己管理ができる」というのが信条だ。

「宇野さん、そんなこと言っているんじゃないですよ。申し訳ないけども、極端なことを言って全体を見てもらったら困る。自分で管理できる部分は、自分でやればいいんであって。セーフティーネットというのは、極端な部分に対する対応ですよね。普通の人は当てはまらないケースですよ」

この反論に宇野さんは、すかさず発言した。

「でも、僕は国家とか社会っていうのは、サイコロ振って変な目が出ても、ちゃんと生きていけるためにあると思うんですよ。極端なケースに対応するのが国家の役目ですよ。違いますか? じゃないと、社会保障とか意味ない気がするんですけどね。僕は間違っていますか?」

この2人のやりとりに割って入ったのが、芥川賞作家の平野啓一郎さんだった。議論は、「自己責任」論を生み出す社会そのものを問うことに発展していった。

「やっぱり、百パーセントこういう生活していたら病気になります、ってわかっているわけじゃない。結局のところ、病気のリスクって確率論でしかないんですよ。だから、しっかり健康管理している人が病気になることもあれば、病気にならないこともあるわけです。宇野さんがおっしゃったことはその通りで、財政的な問題が、いまどんどん社会の人心を荒廃させているというか、人に対するとげとげしさを増してきている感じがするんです。従来は、病気になったあとに病院に行ってケアを受けるっていうのが医療だったけど、結局、財政の問題もあって今は予防に関心が移ってきている。こうした状況で、国が成人病を「生活習慣病」としたわけです。生活習慣と言われたら、健康=自己責任と考える人が多くなるのも不思議はありません。しかし、生活習慣病は自己管理に努めていれば、百パーセント予防できるというのは事実ではない。

平野啓一郎

「生活習慣と言われたら、健康=自己責任と考える人が多くなるのも不思議はない」と語る芥川賞作家の平野啓一郎さん。

健康を自己管理していくにも、何を食べ、何を食べないとか、毎日ウォーキングするとか、いろいろやらなきゃいけないことが多いし、コストもかかる。結構ストレスたまりますよね。そうすると、僕が恐れているのは結局、真面目に自己管理をやった人たちは、自己管理ができていない人たちに対して『自己責任』ということで、余計に厳しく当たってしまうようになるんじゃないかということです」

宇野さんの発言をきっかけに巻き起こったこの議論は、医療財政が膨張を続ける中で、社会保障に対する負担と再分配の不公平感が「健康=自己責任論」の根源にあることを浮き彫りにした。

病気になるリスクを下げようと努力し、健康を維持した人と、病気の原因が不摂生にあったのに、多額の医療費を使う人がいるという現実。健康管理をしっかりやってきた人も、医師の指摘を受けても受診しなかったり、薬をきちんと飲まなかったりした人も、同じ自己負担で治療を受けられるのはおかしいのではないかという不満。一方、どんなに自分の健康の意識が高くて、生活改善したいと思っても、非正規雇用労働者には十分な時間がとれない現実も確実に横たわっている。「健康格差」の現実は、日本社会の歪みを表す一つの象徴になりつつある。

健康は、どこまで自己責任か

「健康=自己責任論」をきっかけに、どう支え合うかを巡って世論が分断しかねない日本社会。そもそも、健康はどこまで自己責任でコントロールできるものなのだろうか。個人が百パーセント自己管理できるものなのだろうかという視点から、今一度、考え直す必要がある。

たとえば、塩分摂取の9割は、加工食品や外食由来である。もともと商品に塩分が含まれてしまっていることから、いくら塩分を控えようと思っても避けようがないことなどがある。放送プロデューサーのデーブ・スペクターさんは、食品の包装に添付された成分表示「フードラベル」の問題を例に、消費者だけで自己管理することの難しさを語る。

「『健康格差』を解消するためには、自己責任だけでは絶対に無理なんですよ。行政の介入が必要だし、むしろありがたいと思ったほうがいい。食品の包装に小さな文字で書いてあるフードラベル。あのフードラベルの仕組みができたのは、行政が介入して、食品メーカーに成分表示を義務づけたからです。メーカーからしてみたら、余計な情報は出したくないから言われなきゃやらないんです。

食品メーカーは、みんなが食べたいもの、すなわち売れるものを作ります。当然、それは健康によい食品であるとは限らない。それゆえ自分が食べたいものばかり食べていたら、たちまち不健康になってしまいます。そんな中で、食品のリアルな現実を知ることができる数少ない手段が、フードラベルなんです。ラベルには消費カロリーや塩分含有量、合成保存料など詳細な情報が記載されていますよね。でも、もしフードラベルがなかったとしたらどうでしょう。消費者には健康管理に必要な情報が提示されないんですから、自分が食べている食品が健康にどれだけ有害かなんてわかりっこない。

アメリカでは食品メーカーが完全に信頼を失っていて、消費者は『せめてフードラベルで現実を知ろう』と自己防衛している。だから、日本の消費者も見習わなくてはいけないんですね。消費者だけで自己管理ができるなんて土台無理なんです」

こうしたデーブさんの指摘にあわせて、千葉大学教授の近藤克則さんからは、塩分摂取と健康の自己管理に関して興味深いデータが紹介された。厚労省の「国民健康・栄養調査」による食塩摂取量と、財務省の「塩需給実績」にある食品加工業用の塩の消費量を年次推移で見ていくと、加工食品に使われる塩の量が減少していくにつれて、食塩摂取量も減少していることがわかったという。

食塩摂取量

加工食品に使われる塩の量が減少していくにつれて、食塩摂取量も減少している。

これは食品に元来含まれている塩分が減れば、おのずと個人の塩分摂取量も減っていく証明といえる。ひるがえっていえば、いかに個人の塩分摂取量は、加工食品によって左右されるかということでもある。近藤さんは語る。

「加工食品の塩消費量の減少率と、食塩摂取量の減少率が一致することから、個人による努力だけに頼るのではなく、食品メーカーの努力も重要だと思われる現象が日本でも確認できました。このことから、健康問題はどこまで自己責任かと考えていくと、やはり自助努力には限界があるということがわかっていただけるかと思います。健康は個人の努力だけでは守れません。いわば、社会の上流にある要因によって、自分だけではどうにも変えられない問題があるということを理解してほしいと思っています。その理解なくして『健康格差』は解消されないと考えています」

自己責任の限界

食品の例だけでなく、すでに第1章で紹介した雇用や労働環境の面でも、どこまで自己責任で決められるかという疑問がある。非正規雇用や長時間労働など仕事にまつわるストレスや低所得は不健康につながることはすでに取り上げたが、こうした労働環境や雇用形態は、働く人の努力だけで改善することは果たして可能なのだろうか。そもそも労働者の給料をあげるには、経営者の決断が必要であり、個人の力だけでは到底賃金アップを実現することはできない。また、ワーキングプア(働く貧困層)と呼ばれる低賃金の人たちは、働いても収入が生活保護の水準にすら達しない状況で、明日が見えないストレスにさらされている。

一方で企業側に立ってみても、人件費を削って競争力を高めなければ、企業自らが倒産したり、他社に吸収されたり、合併されてしまう不確実な状況に晒されている。そのような厳しい市場環境の中で、法律で定められた最低賃金より高い金額を従業員に支払える企業がどれほどあるだろうか。給料をベースアップできる企業がどれほどあるだろうか。

平野啓一郎さんは、歴史的に労働者がどのようにして就労条件を改善していったのかを紐解くと、そこに「健康格差」解決のヒントが見いだせると考えている。

「労働者は、どのようにして就労条件を改善していったのか。19世紀のヨーロッパの歴史が大変参考になります。ヨーロッパでは、労働者がストライキなどの闘争を通じて余暇を取得したり、労働時間を短縮する権利を獲得したという側面がある一方で、企業側も労働者に適度に余暇や休息を与えることが生産性の向上につながるということを理解するようになりました。実は、企業側にとっても労働者を休ませることが、自分たちの利益につながったからこそ、労働条件が改善したのです。ただ、これは労働者を長期に正規雇用することを前提にしたシステムでの話でした。現在のように非正規雇用という新しい就労形態が生まれると、企業は、労働者が疲れ果てて働けなくなっても、部品を交換するように次々に労働者を入れ替えることができてしまいます。だから現代の企業には、従業員に余暇や休息を積極的に十分に与えるメリットがなくなっています。そういう状況下で、非正規雇用者がいろんな病気を発症しているという現実があるわけです。その意味で、『健康格差』の原因を企業が生み出しているとも考えられるわけです。これを『自業自得だから、見捨てる』という考えで押し通すには、無理がありすぎるのではないでしょうか」

NPO「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典さんも、若い労働力を確保する意味でも、企業は正社員・非正規問わず、きちんとケアしなければいけないと指摘する。

「日本は、ただでさえ人口減少で若い労働力が不足している状況です。健康問題で貴重な人材を失うというのは従業員を確保する上でも非常にもったいないことです。私たちのもとに相談に来られる方の中には、『もう少し早めに発見できたら、もう1回ちゃんと職場に復帰できるのに』と感じる方がたくさんいます。国や自治体がもう少し早く、病気になる前に支援してあげていたら、その人たちの生活ってがらりと変わった……と思いますね」

このように考えてくると、健康は、個人レベルだけでなく、社会のあり方、賃金や税制、法律、規制のあり方など、国や社会の有り様などが大きく影響してくることがわかってくる。これを本当に、放置していいのか。たとえ「格差が起こるのは仕方ない」「格差のない社会なんて、あり得ない」と考える人がいても、「格差の拡大を放置していい」とまでは言えないだろう。「健康格差」の問題で私たちが問われているのは、格差の存在ではなく格差の大きさであり、強いていうと「命に関わる格差の拡大」まで本当に「自己責任」論で押し切っていいのかという点だろう。

近藤克則

「赤ちゃんが生まれた時の体重によって、その後の大人になってからの病気の発症率が違う」と語る千葉大学教授の近藤克則さん。

千葉大学教授の近藤克則さんは最近、自己責任だけでは決して説明できないことが学問的にも分かってきたと語った。それは、赤ちゃんの出生時体重だという。 「赤ちゃんが生まれた時の体重によって、その後の大人になってからの病気の発症率が違うことが、医学的にほぼ確立しました。一例を挙げると、出生時体重が小さいお子さんは、成人になってから糖尿病や心臓病で命を落とす確率が高いのです。じゃあ、どういうご家庭に低体重出生児が多いのかというと、ご両親が生活に追われていて余裕のない世帯です。出生時体重というのは、遺伝と生まれる前の保護者の生活環境で決まってくる。これを自己責任で説明できるでしょうか」

「勝ち組」も逃げきれない

「健康格差」は、健康への意識が高い人ではなく、健康を意識したくてもできない人が健康になってくれないと解決できない。つまり、国民全体の健康の「底上げ」ができるか否かが対策の鍵になってくる。「健康格差」を放置すれば、医療費のさらなる増大にもつながり、すべての国民に負担としてのしかかる。また健康を著しく悪化させて就労できなくなった人たちは、医療費だけでなく生活保護費といった形で、国からの援助を受ける可能性が高くなる。その原資は国民の税金や保険料になるわけで、いくら「健康=自己責任論」で突き放しても、いずれそのツケは私たちに跳ね返ってくる。そうした事態になると、いま健康な人たちも巻き込まれていく。「リーマン・ショック」を機に、日本でも露呈した「所得格差社会」。その時に「勝ち組・負け組」という言葉が生まれたが、こと「健康格差」の問題に関しては「勝ち組」も逃げきることはできない状況が予測される。

「健康格差」問題を語るうえで避けては通れない「健康=自己責任」をめぐる議論。その対立は、国の政策を決定する省庁にも存在する。財務省と厚生労働省だ。ある研究者によれば、財務省は、医療費や福祉費が国家財政を圧迫しているため、ともすると自己責任論に傾きがちで、特に生活保護受給者のモラルハザードに対しては、かなり厳しい立場をとっているという。それに対し、厚生労働省は「健康格差」をこのまま放置すれば、かえって国の財政的負担が重くなると考え、予防的施策の必要性を訴える立場をとっているという。

平成26年版厚生労働白書では、「健康日本21」(第2次)の基本的な方向として「健康寿命の延伸と『健康格差』の縮小」が挙げられている。「健康日本21」とは、国民、企業などに健康づくりの取り組みを浸透させていき、一定程度の時間をかけて、健康増進の観点から、理想とする社会に近づけることを目指す運動であり、「健康格差」を解消できれば、10年間で5兆円の社会保障費を削減できるとしている。

健康は人が生きるスタートラインであり、健康と命にまで差が出る状況は、やはりこのまま放置することは許されない。国も危機感を持っていることから、省庁間でしっかりとベクトルを共有してもらいたいところだ。国だけでなく、私たちも「健康=自己責任」論に終わらせるのではなく、「健康格差」を生む社会環境にしっかりと目を向け、そこにどういった政策を打つかという視点を持つことが、何よりも大切だ。感情的な議論から一歩踏み出し、「健康格差」を解消するための取り組みを本格化させることが、国にも、私たちにも、求められている。


第1〜4章、第6章は「現代ビジネス」の『健康格差 あなたの寿命は社会が決める』全文公開プロジェクトをご覧ください。

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