キユーピーは1919年設立の、まもなく創業から100年を迎える老舗食品メーカーだ。同社が販売している「キユーピーマヨネーズ」はマヨネーズの代名詞となっているほど、多くの日本人にとってなじみ深い製品。
そのキユーピーがAIを自社の製造ラインに取り入れつつあると聞くと、多くの人が「エッ」と思うのではないだろうか。
キユーピーの会社概要。創業98年、売上高5523億円。1万4000人の従業員を抱える誰もが知る大手食品メーカーだ。
AIを利用して原料を検査する
キユーピーらがつくったAIを利用した原料検査装置のプロトタイプ。
キユーピー生産本部次世代技術担当の担当次長・荻野武氏は「マシンビジョン(画像処理)を利用して色の違いを判別する装置というのは既に既製品で存在している。しかし、その価格は高いし、専用のエンジニアを貼り付けておく必要がある。(また)原料そのものを検査するという機器はそもそも無かった。そこで自社で取り組むことにした」とキユーピーがAIを利用して原料の選別を行っていることを、グーグルが東京で行ったAI関連の国際セミナー「Made with AI」の中で明らかにした。
キユーピーが考えるAIとロボットの定義。AIとはすなわち知力の機械化である、というのがキユーピーの考え方だ。
キユーピー生産本部次世代技術担当の荻野武氏。
キユーピーは、ベビーフードの原料になるダイスポテトの原料検査装置にAIを活用。変色などの「不良品」を見つけ、選り分けるという。
この「不良品」は実は変色していても食の安全性には何ら影響はないという。けれども、ベビーフードという性質上、利用者の不安等に考慮して、こうした検品をしているそうだ。従来は人力による目視で1つ1つ取り除いていたが、作業者の負担が大きい。そのため、機械で選別できないかと、ずっと検討を重ねて来た。
パッと見でこのダイスから不良品を見つけるのは人間でも熟練が必要。実は丸をした2つはわずかに黒ずんでいるため「不良」扱い。こうした変色などの品位不良を発見するのは、従来のマシンビジョンの機器では難しかった。
ダイスポテトへのAI活用のもたらす効果。
しかし、従来のマシンビジョンベース(カメラとコンピュータ、従来型ソフトウエアによる自動判別)の機器だと、ダイスポテトのような形が一定ではないモノの不良を見つけるのは相当に困難。それをAIでできないかと考えた。
悩む前にやってみよう。
ただ、当初は深層学習を使って判別できるかどうかの見通しはなかった。それなのになぜ取り組めたのか?「正直やってみなければわからない。悩む前にやってみよう」という精神が社内にあったからだという。
日本の食品企業と言えば、「安全」という名の元に、そういうチャレンジには非常に慎重な企業が多いのでは、と筆者は思っていた。それが「悩む前にやってみよう」だけでも十分驚きに値する。
既存の技術で解決できない課題をAIの組み合わせによって解決できないか? というのが基本的な考え方。
深層学習環境で不良品判別AIを開発
プロジェクトが始動してキユーピーが頼ったのは、グーグルと株式会社ブレインパッドの2社だった。実際、それ以外にも20数社と話しをして、さまざまな評価をした結果、グーグルが提供しているTensorFlow(テンソルフロー)と呼ばれる機械学習のソフトウエアライブラリがベストだという判断に至った。
2016年12月に荻野氏がつくったシステムのイメージスケッチ。
実際にできあがったキユーピーのAI検出システムの仕組み。良品の学習量は100万個クラス。
TensorFlowは現在マシンラーニングの世界で事実上の標準として利用されている開発環境で、グーグルがオープンソースとして公開している。キユーピーはこのTensorFlowを利用して、原料を判別するソフトウエアを構築。それをPCゲーム向けのNVIDIAのGPU「GeForce GTX 1080」搭載の市販グラフィックスボード(7万円相当)が2枚入ったPC上で動かして利用している(つまり、特殊なハードウエアではない)。
このシステムでは、カメラで撮影した原料の映像を見て、不良品を見つけ出す仕組みになっている。
当初は「AIが不良品を見つけ出す」仕組みでトライしていたそうだが、逆転の発想で「(不良品ではなく)良品を見つけ出す」というフローに仕組みを切り換えてやったところ、上手くいった。
機械学習の「学習」(AIに学習させるプロセス、この場合にはどのダイスポテトが正常化を学習させる)のフェーズでは、100万個以上の原料を学習させ、良品をAIが自動で判別できるようにする。それに該当しないモノをAIが不良品として認識して弾くという仕組みだ。
2カ月でプロトタイプを完成させ、食品製造ラインで実証テストも実施した。また実証でのライン投入後も改良を進めたとのこと。
学習プログラムは、TensorFlowを最適化する前には20時間ほどかかっていた学習時間も、現在は最適化が進んで100万個の原料の学習であれば1時間程度で終わってしまうそうだ。このため、せっかく2枚用意したNVIDIAのGeForce GTX 1080だが、1枚で十分まかなえてしまっているという。
「安全安心を広げるシステムとして提供していきたい」
キユーピーではこのシステムを今後どうしたいのか。販売するのか、あるいはソフトウエアだけを提供するのか? 荻野氏は、
「システムとして提供していきたい。我々の所だけでやるのではなく、海外であろうが競合他社であろうがみんな使ってもらってよりよいものにしていきたい(という気持ちでいる)。これで儲けるとかそういうことではなく、安全安心を世界に広めていく、そういう観点でやっていきたい」
と語る。
その時に課題となるのは提供価格だが、多くの企業でもお使いできるような価格で提供していきたい、という。
さらに従来の検査装置だとエンジニアを貼り付けておく必要があるが、今回のシステムは「誰にでも使える」ことを意識しているため、基本的に現在の従業員だけで使えるシステムをめざしている。
荻野氏は「目指すところは一人当たりの生産性を倍にすること」。生産性を上げることで、例えば現在土日出勤となってしまっているラインを土日は完全休業にするなど、従業員にもメリットがあると強調する。
すでにキユーピーのサプライヤーからも、これが使えないかという問い合わせがあるそうで、将来的にはサプライチェーン全体に入れることも検討しているそうだ。
将来的に生産者との連携も
キユーピーはこのAIシステムを将来的にどうして行きたいのだろうか?
荻野氏は、このAIシステムを発展させると、単なる判別だけでなく、データ・アナリティクスの手法などを用いて、障害予測なども実現していきたいと言う。
「このようなシステムを使っていれば、どこのロットやどこの農場、あるいは何日に収穫した原料に不良が多いかといったデータが集まってくる。それらの情報を、農場側のデータとマッチングさせることで、温度の調整や土壌改善を農場側と協力して行うことなどが可能になる」(荻野氏)。
農場側にもIoTの仕組みを利用して、収穫までの土壌データ、温度、湿度などの情報を保存しておいて、不良情報とマッチさせていけば、どうすれば不良を減らすことができるかということも生産者側にフィードバックできる。現時点ではまだ構想だけだが、そうしたことを可能になるのが今回のAIシステムなのだ。
キユーピーとしては単に自社のラインの生産性を上げるだけでなく、サプライチェーン全体にAIやIoTを適用していくことで、生産者やサプライ業者も含めて品質を改善したり、障害を予測して対処したりすることを考えている。「日本だけでなく海外も含めて輸出し、地球レベルで食の安全レベル向上を実現していきたい」と目指すところは実に壮大だ。
(文、撮影・笠原一輝)
(編集部より:取材先からの申し出により、将来の提供価格帯イメージの表現を改めました。2017年12月6日 11:30更新)
笠原 一輝:フリーランスのテクニカルライター。CPU、GPU、SoCなどのコンピューティング系の半導体を取材して世界各地を回っている。PCやスマートフォン、ADAS/自動運転などの半導体を利用したアプリケーションもプラットフォームの観点から見る。