元ヤフー執行役員でCMO(チーフモバイルオフィサー)の村上臣氏(40)が、ビジネスに特化したSNSのLinkedIn(リンクトイン)の日本代表に就任し、1カ月を迎えた。ヤフーのスマホ対応を成し遂げた村上氏は、「40代になったので、新たなチャレンジをしたい。10年あれば何でもできる」と、あえて日本でなかなか根付かないLinkedInの“再生”に挑む。
なぜ“火中の栗”を拾ったのか。新たなポジションで村上氏が挑戦するのは、LinkedInを使って、「自分のキャリアは自分で築く」という文化を日本にもっと広めることだという。
ヤフーに“革命”をもたらし、モバイル化を成し遂げた村上臣氏。40代になり、あえて、LinkedInを再生する道を選んだ。
40代を投じてもいい課題
村上氏は、学生時代にモバイルサイトの開発をする「電脳隊」を設立、最終的にヤフーに買収される形で、2000年にヤフーに入社した。「Yahoo!モバイル」「Yahoo!ケータイ」の開発に携わり、2011年4月にヤフーを退社した。
1990年代後半にモバイル事業にいち早く目を付けた。
しかし、プレゼン大会「ソフトバンクアカデミア」で、ヤフーの経営体制の問題点を指摘したことを機に、現在社長の宮坂学氏など新しい経営陣に口説かれ、退職から約1年後にヤフーに“出戻り”した。
「退社した当時、社内では1カ月経ってもメールが返ってこないとか、『ヤフーは遅い』と社内でも不満が溜まっていました。宮坂社長の『爆速経営』改革で、社内は以前とはまったく別の会社になったくらい変わった」
出戻りから5年がたち、「ヤフーのスマホシフトもできた。そろそろ僕に貢献できることはなさそう。フレームワークをつくり、人材も育てた。予断は許さないが、僕がグイグイしなくても、普通にみんなができるようになった」。
30代半ばから「新しいことをしたい」と漠然と思い始めていた。40歳を前に「40代を投じてもいい課題があったら、やりたい。40代でも、10年あると思えば、何でもできる」と考えていた。
初めての面接で「お前じゃん(笑)」
今回の転職は、あるエージェントから送られてきたLinkedIn経由での1通のメールがきっかけだった。村上氏は、もともと海外とのコミュニケーションにLinkedInを使っており、スカウトのメールはたくさん来ていた。普段はあまり目に留めないが、その「熱いメール」に惹かれた。
「世界の5本の指に入る企業が、カントリーマネジャーを探している」
問い合わせると、その企業がLinkedInだった。
同社幹部とは2年ほど前から個人的な付き合いがあったが、転職の選考はメールから進んでいった。
初めての面接で登場したのが、その幹部だった。不慣れな英語を使う面接、「『やばい、英語だよ』って緊張してたのに、始まってみたら『お前じゃん、何だ直接(オファーを)言えよ(笑)』って言っちゃいましたよね)」と苦笑いする。
村上のLinkedInの画面。ここから現在の転職にたどり着いた。Facebookのように、「ラーメンとニュース」がタイムラインに並ぶことはない。ビジネスに特化している。
経験を総動員して事業再生
LinkedInへの入社は、国外の友人からは賞賛されるが、国内では「すさまじくびっくりされた」という。「意味が分からない」と言われることもあった。
海外では、Linkedinはビジネス専用、Facebookはプライベートと使い分けられているが、日本はFacebookのビジネス利用が進み、Facebookの月間利用者は約2800万人以上なのに対し、LinkedInの登録者は100万強にとどまる。
Linkedinは、国内でも楽天やディー・エヌ・エー(DeNa)、パナソニックなどが導入し、メルカリやLINEも採用に利用しているが、「LinkedInは一部の外資系に勤める人のためのツール」、そんなイメージが定着し、なかなか広がっていない。
村上氏自身はこう分析する。
「ベイエリアの企業は自信があるあまり、グローバルなやり方をそのまま持ち込み、日本語にしさえすれば使われるだろうとやってきて、日本進出を失敗するパターンが多い。日本はクオリティーや使い勝手にうるさい。Facebookは機微をわかっていて、きちんとローカライズさせた」
マイクロソフトは262億ドル(約3兆円)でリンクトインを大型買収した。
REUTERS/Dado Ruvic
LinkedInは2016年末にマイクロソフトが262億ドル(約3兆円)を投じて買収している。
村上氏はこの買収に注目していて、ユーザーとしてもLinkedInのサービスに好意的だった。
さらに、「日本はビジネスパーソンの人口も多い。日本の人材市場規模は1兆円規模」(村上氏)。
LinkedInとの面接では、「日本は何としても取らなくてはいけない国だ」と言われ、日本向けのカスタマイズを強化していく方針だった。
「(17年間携わった)デバイス対応は、もうやることがなくなった。この経験を総動員したとき、何かの事業をつくるか、再生するか、大きな課題に取り組むことがしたかった。市場のサイズも申し分ない」とLinkedInの“再生”を、40代のテーマに設定した。
履歴書・面接だけの選考はリスク
LinkedInのビジョンは「Create economic opportunity for every member of the global workforce」。
“再生”の可能性を信じているのは、日本の労働環境の変化も大きいと言う。
履歴書と数回の面接で就職先が決まる、その採用の方法をLinkedinが変える。
「今は若い人が終身雇用を信じていない。会社が買収されたり、なくなったり、変化のスピードが速い。今までは会社がキャリアをつくってくれた。社内で昇進することがキャリアパスだったが、自分のキャリアは自分がつくる時代」と強調し、「それに対応する状況は日本だけが遅れている」と指摘する。
生涯に数回あるかないかという転職の機会は、大部分の人が履歴書と面接のみで決まり、それでは「マッチングのリスクが高い」(村上氏)。
LinkedInの強みは、世界5億3000万以上いるユーザー。しかも、ビジネスパーソンに限られている。日々のコミュニケーションから人となりを詳しく知ることができる。その上で仕事のオファーを出せるし、その濃いコミュニティで仕事を探すこともできる。
Linkedinの現在の営業先は法人の人事部。企業が人材に直接アプローチする「ダイレクトリクルーティング」が日本でも広がりつつあり、社内で専用のチームをつくる企業も出てきた。この流れを味方にする。
「日本は特に女性の活用の部分で、正社員が少ない。求職者に有利な状況なのに、マッチングに問題がある。まさにそこをLinkedinは解決できる。働き方改革もあり、Linkedinは日本のHR(人事)を変えられるのではないか」と村上氏は期待する。
部下600人から20人「僕は第二新卒」
村上氏はLinkedInの日本代表就任とほぼ同時期に、ハッカソンの企画運営をする「フィラメント」やフィンテック企業「TORANOTEC」の顧問に就任した。自身は学生時代から4つの仕事を掛け持つ、根っからのパラレルキャリア気質。ヤフーの退職直後に大規模な豆まきのイベントを企画したり、ソフトバンクで複数のプロジェクトを担当したりしていた。
ヤフー時代は部下にも副業を勧めまくっていた。ヤフーのエンジニアが週末にベンチャー企業に手伝いに行くと「神のように」扱われ、仕事の自信を取り戻した例もあるという。
「仕事の疲れは仕事でしか癒せない。仕事で何かを達成したという体験や喜びは、仕事からしか得られない」(村上氏)
部下は600人から20人、自分で手を動かさない立場から、今はさまざまな業務を自らこなす。慣れない英語に苦心しながら、第二新卒のような気分で働いている。
LinkedInは、スキルをタグ付けして人とつながるだけでなく、自分の特技を生かして講師になるeラーニングのコンテンツも備え、転職だけでなく、副業の機会も学びの機会も得られる。
「スキルがあっても、アップデートしないと横ばいではなく、停滞する。ある程度キャッチアップして、ようやくフラット。スキルはさびついていきますから」
これはLinkedinの「Connect the world's professionals to make them more productive and successful」というミッションにつながる。
自分自身でアップデートを体現するような生き方。今は、これまでの環境と言語もカルチャーも大きく違い、部下はヤフー時代の600人から20人ほどに減った。不慣れな英語や意思決定に試行錯誤中で、「第二新卒のようです、気分的には」と笑い飛ばす。
「日本代表と言えども、細かい仕事まで自分でやってます。今は完全に個人事業主感覚。久々にこんなに働いたって言うと、ヤフーに怒られちゃいますけど(笑)」
異業種・異職種に挑戦して1カ月の村上氏は、本当の新卒者のように、新たな環境であがくことにワクワクしているようだった。(聞き手:浜田敬子、木許はるみ、文:木許はるみ、撮影:今村拓馬)
村上臣(むらかみ・しん) :大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。その後統合したピー・アイ・エムとヤフーの合併に伴い、2000年8月にヤフーに入社。一度退職した後、2012年4月からヤフーの執行役員兼CMOとして、モバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月にLinkedinの日本代表に就任。複数のスタートアップの戦略・技術顧問を務めている。