労働時間の一律制限に悲鳴、働き方改革で独立する時期が遅くなる?

「会社のためにやっているのになんで怒られるんだ!」

声を荒げているのは、とある映像制作会社のクリエイターの坂本裕也さん(仮名)。坂本さんは30歳で今の会社に転職して10年になる40歳の男性です。坂本さんの仕事は、主に企業からの依頼でPR動画を作成すること。中でも一番力を入れているのが約5分の動画のシナリオ作成だそうです。昨今、動画によるプロモーションの需要は非常に高く「感動できる動画にしてほしい」「とにかく再生回数を稼ぎたい」や「学生受けの良い動画にしたい」など顧客のニーズもさまざまで、その期待に応えるためにも坂本さんは日夜、研究も含めて仕事に没頭していたそうです。

「正直、『今日はココで終わり』ってわけにはいかないんですよ」

坂本さんいわく、「せっかく気持ちが乗ってきたところで上司に『残業はダメだ』『早く帰れ』と言われても『ハイ、わかりました』と帰っていたらいい作品は作れない」。

そして「何よりも、お客様に最高の商品を提供したいんです」とのこと。また、「もちろん、今のご時世、会社の言うことも分かるけど、自分たちは好きでやっているのであって、会社に迷惑かけるつもりはない」という。坂本さんのような考えを持つ方も少なからず存在するのは間違いないところでしょう。

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上限規制ってなに?

「〇〇から始まる働き方改革」

何のことやらわかりませんが、工事現場にデカデカと張り出されていました。何をもって働き方改革なのか真相は不明ですが、おそらくは「無理な工期ではすすめません」というようなことでしょうか。とにかく何でもかんでも「働き方改革」というワードが世の中にあふれています。

政府が進めているそんな“働き方改革”の目玉となっているのが“時間外労働の上限規制”でしょう。時間外労働時間の上限は、現状では厚生労働大臣の限度基準告示により定められていますが、それを2019年には罰則がつく法律に格上げする予定です。

具体的には、青天井となっている上限時間のうち年間の時間外労働時間を720時間(月平均60時間)とする予定です。また、月の上限時間としては休日も含めて100時間未満とし、さらに直近の2カ月・3カ月・4カ月・5カ月・6カ月と期間ごとの時間外労働時間を平均した場合では80時間以内としなければならなくなります。

また、2017年1月に労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドラインが公開され、「労働時間に当たるかどうか」の判断も、より厳密に精査されることになりました。

プロへの道は遠のくばかり?

「練習することができなくなるのが一番の不安です」

そう話すのは美容師を目指す石田翔太さん(21)です。「営業が終了した後の店内でマネキンや同僚の髪をカットし練習をさせていただいていました」。もし、この時間が全て労働時間と判断された場合には、まっさきに削られてしまうのではないかというのが、石田さんの不安です。

店のオープンから最後のお客様が帰るまで約11時間。開店前の準備やミーティング、勉強会などを入れると12時間くらいは仕事にかかるそうです。仮に週休2日が取れていたとしても、休憩はほぼ取れていないので、この時点で上限の80時間には達してしまいそうです。したがって、個別の練習が労働時間と判断されることになれば、お店では練習ができなくなるというわけです。さすがに自宅では環境が違いすぎるため、練習にも限度があるそうです。

「早く一人前になって独立したいのに……」

石田さんにとってみれば、“時間外労働の上限規制”が必ずしもプラスになっているわけではないようです。もちろん、そもそもの労働時間が12時間と長すぎる、という問題はあり、ここの改善は必要だとは思います。

技能の獲得機会が減るケースも

冒頭の坂本さんについては、ひょっとしたら専門業務型裁量労働制の対象となるかもしれません。会社が導入を決め、労使協定が締結されれば晴れて時間に縛られない仕事ができるようになるのかもしれません。

ただし、裁量を持たされるということは、ご本人に技術力などがあることが必要となるでしょう。基本的には上司からの指示を受けないわけですから、一般的に一人前になってから裁量労働制の対象となるのです。

例えば、新入社員が坂本さんのように一人前になるまでにはどのくらいの時間が必要となるのでしょうか。会社としては、これを把握し、そして研修プログラムを確立しておかなければ人材育成に支障が出てしまうでしょう。

ビジネスマン

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一方、石田さんのいる美容師業界はもっと不安でしょう。現状では美容師という職業には裁量労働制は認められておらず、また「一人前になるまでに3年はかかると先輩から言われた」(石田さん)そうです。

実際に練習時間を含めて3年間であるとすれば、この3年が5年や6年と長期化する可能性もあります。果たして、修行期間が長くなることを選択することはできるのでしょうか。

労働契約とは、労働(時間)の対価として賃金を支払うことをいいます。特に専門職の世界では“賃金”のかわりに“技能”を対価と見る向きも少なくありません。働き方改革で「賃金が減る人」もいますが、「技能を獲得する機会が減る人」もいるのです。

もちろん、過労死や過重労働などの痛ましい事故や事件はあってはいけないことです。ただし、何でもかんでも一律に縛り付けるのではなく、個々のビジョンや考え方に対応することが、可能な制度を検討すべきではないでしょうか。

労働時間とキャリア形成との関係を見直すこと。つまり、真の「働き方改革とはなんぞや」を考える必要があるのではないでしょうか。


大槻智之(おおつき・ともゆき):国内最大級の社会保険労務士法人、大槻経営労務管理事務所代表。著書に『就業規則のつくり方・見直し方』。人事担当者の交流会やセミナー事業を提供するオオツキMクラブを運営し、参加は250社(社員総数26万人)を超えている。

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