岡島悦子×篠田真貴子(前編)「不真面目で泣いていた」日々と“退職勧告”

年間200人以上の経営者が頼るリーダー育成のプロで、新刊『40歳が社長になる日』がヒット中の岡島悦子さん。そして、2017年3月の上場が話題となった「ほぼ日」の最高財務責任者(CFO)、篠田真貴子さん。

実はこの2人、MBA留学中にアメリカで出会い、マッキンゼーに同時期に在籍していたこともあるという20年来の仲。「今の仕事をしているなんてお互いに想像もしなかった!」という2人が、“これからの世代”に向けて、自分らしいキャリアの歩き方についてアドバイス。

「ペコちゃん」「シノマキ」の間柄だから言える、赤裸々トーク必見です。

岡島悦子、篠田真貴子

岡島悦子さん(右)が代表を務めるプロノバの新オフィスにて。パノラマの景色を眺めながら、岡島さんと篠田真貴子さんはお互いのキャリアを振り返った。

浜田敬子 Business Insider Japan 統括編集長(以下、浜田):まずはお2人の出会いについて教えてください。

岡島悦子さん(以下、岡島):年齢は私の方が2つ上なんですよね。出会いは、シノマキ(篠田さん)がMBA留学中だったウォートン校を私が訪ねたんです。もう20年前になるんだね!

篠田真貴子さん(以下、篠田):ペコちゃん(岡島さん)は翌年秋の入学予定で会社の推薦を取った後に、候補校の見学にきてたんですよね。タクシーで送り出した後、「ふぅ、すごい人だったな」って高揚したのを覚えています(笑)。

浜田:岡島さんは三菱商事からの派遣留学で。篠田さんは自費での留学だったそうですね。

篠田:私が入った長銀(長期信用銀行、現・新生銀行)も会社派遣留学の制度はあったんですけれど、私が極めてダメな社員だったので推薦を取るなんて絶対無理でした。

三菱商事の社長になろうと思っていた

岡島:ダメな評価を受けていたという訳ではなく、「辞めそうだ」と思われていたってことでしょう?

篠田真貴子さん

篠田:それもあったかもしれないけれど、それ以前にマジメじゃなかった。社員が受けさせられる通信教育が苦手で、目の前の仕事に直結しないと思って全然受けなかったら、人事部から呼び出されて怒られたり(笑)。

岡島:私も留学の切符を取るための社内試験で3回落ちました。これはいずれ辞めると思われているからだと思って、必死で会社との間に信頼貯金をつくり、なんとか4回目で受かりました。

浜田:三菱商事でずっと働こうと思っていたんですか?

岡島:記事に書かれると恥ずかしいんだけど、私、まじめに社長になろうと思っていたんですよ(笑)。三菱商事で、すごく偉くなろうと思ってました。同期は面白い人たちが多くて、「これだけコンサバティブな会社で女が社長になったら面白いよね」って話していました。でも、実際は本当にダメな社員だったと思う。

ニューヨークからファクスで送った辞表

浜田:お2人から、「ダメだった」と言われても多くの人は信じられないかも。どんなふうにダメだったんですか?

岡島:最初に配属されたのは23人中15人がMBAホルダーという部署だったんです。ハーバード、スタンフォード、コロンビア……って感じで「会社ってこういうところなんですか?」と戸惑うばかり。入社4年目、ニューヨークに約3カ月の長期出張をしている間に辞表を書いてファクスで送ったことも。駐在員の引き継ぎの空白を埋める形で、18期上の先輩の仕事を任されたら、資金繰りが回らなくなりそうになって。

篠田:偉いよね。反省して辞めようと思ったんだ。

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岡島:いやいや、「よく考えたら、こんなに経験の浅い私に18歳も上の先輩の仕事をやらせるなんて無謀じゃない? クリスマスの彼との予定も流れるし! ふざけんなー」と思って辞表提出ですよ(笑)。今考えたら最悪な部下だよね。でも当時はいっぱいいっぱいで、よく泣いてたな。今は「職場で女は泣くな」とか言っているくせに、実は自分がめいっぱい泣いてた(笑)。

住むところも仕事も決められないわけ?

篠田:ペコちゃんって仕事に対して真っすぐだよね。私はというと、長銀に入って2、3年目で「ここでずっと働くのは私には無理」って思っちゃった。長銀だからというより業界全体の体質に対してですね。

銀行は月に1回、多くて2回、人事異動の発令があって、日比谷のトレーディングルームで働いていたのに突然「明日から札幌支店に行ってくれ」「ハイ、分かりました」というのが日常茶飯事。それが銀行のキャリアということを今なら当然知っているけれど、就職活動の時点ではそのリアリティーに気づけなくて。入ってみて「えーー!」みたいな。「住むところややりたい仕事を自分で決められないわけ?」って思ってしまったから、もうダメでしたね。

岡島:その業界体質は今も変わっていないんだけど、いまだに銀行は学生の就職志望トップなのよね。

篠田:そうね。これは好みの問題で、「自分だけの力では切り開けない世界が、会社のおかげで広がるキャリアがいい」と思える人にはピッタリですよ。私には合わなかったというだけ。

岡島:たしかにそうだよね。相性は絶対にある。

男女別に別れていた内線電話帳

篠田:限界を感じた理由はもう1つあって、これは時代的背景なんだけど、どうしても女性は「一段下」というカルチャーがあったんですよね。

岡島:三菱商事も当時は完全にそうでした。「男はプロフェッショナル、女はアシスタント」という仕組みで組織が成り立っている。

私は三菱商事が女性総合職を採用し始めた3期目に採用された総合職2人のうちの1人で、男女比は150対2。そもそも数に入っていないレベルですよね。社内の内線電話帳は男女で分類されていて、女性は「総合職は下線なし、一般職は下線あり」って区別されていました。外線電話を取ると必ずと言っていいほど「男性の岡島さんをお願いします」と言われて……。

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篠田:分かる〜! うちは名簿に「女性総合職マーク」というのが新設されて、名前の側に◎が書かれていました。そもそも銀行の女性行員で制服を着ない時点でコウモリのような存在でしたから。

私たちの世代って、多かれ少なかれ、そういう経験をしていたので、3年くらいで辞めて海外へ飛ぶというパターン、多かったですよね。私もまさにその思考でした。でも、ダメ社員だったから会社のお金を使わせていただくのは気が引けて、自費留学に。実家から通っていたのでお金も貯められたんです。

岡島:たしかに大学の同期女子はほとんど外資系企業に就職してた。賢い選択をしていたんですね。

篠田:でもそんな中で「三菱商事の社長になろう」と密かに野心を燃やしていたんだからスゴい。

岡島:それは単純に面白かなと思ったからで。私は祖父も叔父も父も三菱系の家系で、子どもの頃から三菱グループに対するエンゲージメントが高かったんです。今も心のどこかには「三菱グループは裏切っちゃいけない」という気持ちがあって、三菱ケミカルさんには10年くらい幹部育成のコンサルティングに入っているし。

IRを担当した時期に槇原さん(当時の槇原稔会長)にずっとついて、経営幹部を間近で見られたのは大きかったかも。アナリスト説明会用の原稿を書きながら、写真撮影時には会長のおでこの脂を取ったりしていましたから(笑)。歴代のアニュアルレポート見ながら、同じネクタイにならないようにアドバイスするとか。「いろんな仕事があるんですね」って思いながら淡々とこなしていました。

1日目で分かったマッキンゼーでの限界

篠田:すごい経験(笑)。MBA留学中に、マッキンゼーでインターンした時はまだ辞めようとは思っていなかったんだよね?

岡島:まったく。でも、インターンなのにとても面白い仕事をさせてもらい、心がチュルチュルと動いてしまったの。マッキンゼーは三菱商事との関係も考慮して、「いつでもいい」というオファーをくれていたんだけど、すごく迷いました。

一応ちゃんとお土産も作らないとと、商事に戻って半年間でローソンの金融子会社をつくるという仕事をしたんだけれど、それでも迷いました。信頼できるメンターに相談したら「お前、そういうのは気の迷いというのだ。ロジックでは無理だから、『私は熱病にかかってしまったので、マッキンゼーに行かないと死んでしまう』と言って辞めなさい」と助言をいただき(笑)、実行しました。

浜田:激務と言われるマッキンゼーに入ってみていかがでしたか?

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岡島:1日目で「私はここでパートナーにまでなれるタマではない」と分かりました。私、ハーバードの2年目はビジネススクールのインナーサークルにどっぷりと浸かり、社交活動もしまくって、めちゃくちゃ楽しみました。

ただ、アメリカ人の友人に比べて、やはりビジネスでの学びは浅かった。だから、マッキンゼーに入ってようやく実務で学べるビジネススクール3年目という感覚でした。きっと足手まといになっていたと思います。でも、私自身は知的好奇心に駆られるし、負けず嫌いでもあるから、当時は激務だとは思っていなかったかも。

浜田:三菱商事では社長まで志したのに、なぜマッキンゼーでは1日目で限界を感じたんですか?

岡島:一言でいえば、 willとskillの方向性が全然違った。マッキンゼーで求められるような、真の問題解決をするために仮説を出しまくる、みたいなことに対しては、私はあまりアドレナリンが出なくて、私は「人を動かす」みたいなことに興味を持てるということが分かったんです。

篠田:それ、何歳くらいの頃でした?

岡島:35歳かな。

「全勝の私」に入ってこなかった批判

篠田:やっぱりペコちゃんは経験年数分の成熟あっての冷静さを持っていたのかな……。私はその冷静さがなかったとつくづく思う。

浜田:篠田さんはなぜMBA留学後にマッキンゼーへ?

篠田:留学当初は国際機関へ行ければいいなと思っていたけれど、実際に働いている人の話を聞くと、長銀なんて目じゃないくらい巨大官僚組織だということが分かってシュルシュル……。

かといってウォートン校の同級生を見回すと「ウォール・ストリートから来て、ウォール・ストリートに戻ります」みたいなキラキラな人ばかりで。どうしたものかと思いながらいくつか面接を受けさせてもらっていたら、運良くマッキンゼーがオファーを下さって。1カ月半のサマーインターンがとても楽しく、その後に正式な内定をいただきました。

留学1年目のことで同期でも最速だったので、皆から「すごいね」と言われました。承認欲求満たされまくりです。ちょうど30歳の時で、結婚も留学と同時にしていて、まさに思い上がるしかなかった。

岡島:You have it all! 状態。

篠田:本当にそうだったの。大学受験、就職、留学、結婚……とそれまで自分の意志でチャレンジしたことは全戦全勝なわけですよ。今、当時の自分に会ったら、切り捨ててやる!って思いますけど(笑)。

確かに私は飲み込みは早かったかもしれないけれど、最終的にゴールするまでの速度はそうでもないんです。でも、当時は有頂天になっているから自分を客観視できなかった。

岡島:あの会社は初速を重視する会社だからね。

篠田:それで鳴り物入りで入っていくつかのプロジェクトを任されて1年経った頃、新たに担当したプロジェクトのマネジャーから「篠田さん、すごいって聞いていたけれど、意外と普通だね」って言われて。

岡島:感じ悪ーい!

篠田:真摯に受け止めるべきフィードバックだったんです。なのに当人は「全勝の私」のままで自己認識が止まっているから、批判的な言葉は頭に入ってこない。思えばそのマネジャー以外からも指摘は受けていたんです。でも、私が受け入れる姿勢を持っていないから行動も改まらない。結果、丸1年ムダに過ごして、成長がストップ。

ついに3年目に私の採用を後押ししたパートナーが「私のオフィスの隣に席を移動して来なさい」とおっしゃって。ここでやっと「ヤバい」と気づきました。そこからはもう焦るばかりで空回り。

岡島:焦っちゃう社風なんだよね。日々評価されるし。私は逆で、最初から「私はここに向いていない」と思っていたから、会社の評価に対しても「そうだよね、予想通り!」って受け止めていました。それでもアップ・オア・アウトの強迫観念みたいなものは日々感じていたし。

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欠けていた会社との関係を客観的につくる視点

篠田:最後には「もう一度だけ、自分を鍛えるチャンスをいただけないか」とパートナーに相談したのですが、「気持ちは分かるんだけどね、篠田さん、あなたを育成するキャパシティーがもうないんだよなぁー!」と明るく言われて。

岡島:ある意味、とても優しいですよね。

篠田:そうなんです。お世話になった方にここまで言わせてしまったことに覚悟を決めて、辞めることにしました。でも、周囲には意外に感じた人もいたみたいです。

岡島:だよね?

私は同じプロジェクトで働いたことはなかったけれど、シノマキが仕事できないイメージなんて1ミリも持っていなかったからすごく驚きました。たしかに、いつも雨降るプロジェクトに入っているという印象はあったけれど。たまにオフィスですれ違うと、パンツスーツのファスナーが降りたままになっていたりして(笑)、相当忙しいんだろうなとは。

篠田:お恥ずかしい。辞めることを決めた頃は、「超イケてる私」からの落差で、内心グチャグチャでした。

岡島:全然そうは見えなかった。人って、ちゃんと話を聞かないと分からないものだね。

篠田:「自分と会社の関係を客観的につくる」という視点を全く持てていなかったと思います。ペコちゃんはその視点をしっかり持てていたから、全てを吸収し、自分のものにできているんだと思う。

岡島:マッキンゼー時代は「私はこの競技に向いていない」という前提に立つと同時に、25歳くらいのキレッキレのアナリストから教えてもらおうという気持ちは満々でした。ご飯にめっちゃ連れて行ったし。ここでの経験はいつか私の役に立つ、というのは信じていたかな。

評価は環境によって大きく変わる

篠田:すごいなぁ。私の場合は、本当の意味で客観的になれたのは、マッキンゼーを辞めた後に入ったノバルティスファーマでのある印象的な出来事がきっかけでした。

マッキンゼーでの私の最終評価というのは「人当たりは悪くない。でも、仕事できない」だったんですが、ノバルティスに入ってから最初の評価で言われたのが「篠田さんは仕事ができるけれど、人当たりがキツ過ぎる」というものだったんです。

岡島:真逆!

篠田:半年間で私という人間が180度変わるわけはありません。つまり、評価というのは環境によって大きく変わる。そのことをダイレクトに体験して、「ああ、そうか。仕事というのは、この会社で自分がどう貢献したらうれしいかを自ら考えていかないと、長くもたないわ」とすっと理解できたんです。

岡島:それは大きな気づきだよね。

篠田:ある意味、収穫の大きいショック療法でした。万人には勧められないけれど(笑)。

岡島:人生100年時代のキャリアにおいて、会社の評価軸に自分を合わせていく働き方は無理があるよね。

一方で、若い世代ほど過剰適応している傾向もあって、そうじゃなくていいと私たちが伝えていきたいですよね。私も実は、37歳で“解脱”できるまで、組織にも上司にも過剰適応するがんじがらめ人間だったんだけれども。その話はまたゆっくりと。

(聞き手・浜田敬子、構成・宮本恵理子、撮影・今村拓馬)


岡島 悦子 : 1966年生まれ。筑波大学卒業後、三菱商事に。ハーバード大学経営大学院でMBA取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに転職。グロービス・マネジメント・バンク事業を立ち上げ、代表取締役に就任。2007年、「日本に“経営のプロ”を増やす」を掲げ、プロノバ設立。アステラス製薬、丸井グループ、リンクアンドモチベーションなどの社外取締役も務める。

篠田 真貴子 :1968年生まれ。慶應義塾大学卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)に。ペンシルバニア大学ウォートン校でMBA、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論修士学位を取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ノバルティスファーマを経て、2008年、東京糸井重里事務所(現・ほぼ日)に入社し、翌年より現職。


【イベント決定!】MASHING UP Women’s Empowerment Global Conference

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岡島さんと篠田さんも登壇予定のカンファレンスMASHING UPを2月に開催します。

MASHING UPは、女性が強くしなやかに活躍できる社会を創出するビジネスカンファレンスです。全ての参加者が新しいインスピレーションを得て、次の一歩を踏み出し、ビジネスや働き方に役立つ化学反応を促します。

近年、企業でも行政でも、女性活躍推進の取り組みが著しく増加しています。しかし、多くのコミュニティは業種別、年齢別、国籍別で分けられ、お互いに交わる機会は限られています。女性のみで構成されることも多く、女性以外を十分に巻き込めていない点も、「多様性」を真に社会の活力としていくうえで、重要な課題であると考えています。

MASHING UPは異なる性別、年齢、国籍、業種、業界を混ぜ合わせ(マッシュアップして)、新しい対話を生み出し、ネットワークだけでなく、新しいビジネスを創出できる場を目指しています。各業界の“ゲームチェンジャー”をスピーカーとして招聘することで、参加者の皆様が次のステップを踏み出すきっかけを提供します。

初開催となる今年のテーマは「Unleash Yourself」。ジェンダー、年齢、働き方、健康の問題……。私たちの周りにある見えない障壁を、多彩なセッションやワークショップを通じて解き明かしていきます。

■Women’s Empowerment Global Conference 「MASHING UP」

■日時:2018年2月22日(木) 〜 2月23日(金)

■会場:TRUNK(HOTEL)東京都渋谷区神宮前5-31

■主催:株式会社メディアジーン

詳細、チケット購入はこちらまで。Business Insider Japan特別割引チケット15000円 → 14000円。※上記チケットお申込みページでプロモーションコード【MashBI】をご入力ください。

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