パリ、上海……世界の有名都市の変遷を振り返る

19世紀のイスタンブール

19世紀のイスタンブール

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全ての生物に寿命があるように、都市にも移りゆく変化というものがある。例えば、パリ。2000年以上もの歴史を持ち、他の都市が青くさく見える。 古地図や絵画、昔の写真など、今なお栄える都市のかつての姿を想像させる資料と共に、街の変化を見てみよう。

リオデジャネイロは、ポルトガルの植民地として1565年に築かれた。

1565年のリオデジャネイロ

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グアナバラ湾は、ブラジルで2番目に大きな湾。

グアナバラ湾の絵画

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1711年には、街が形成されていた。

リオデジャネイロの古地図

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そして今なお、世界でも有数の美しい都市である。

現在のリオデジャネイロの写真

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オランダ人入植者が開拓を始めた17世紀初め、ニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれていた。ニューヨークシティと改称されたのは1664年、イギリスのヨーク公にちなんでのことだ。

17世紀初めのニューヨークシティの古地図(当時はニューアムステルダムと呼ばれていた)。

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マンハッタン南部を描いたこの木版画は、まだニューアムステルダムと呼ばれていた1651年のもの。

マンハッタン南部を描いた、木版画。

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1870年から1915年にかけて、ニューヨークの人口は150万人から500万人へと3倍に膨れ上がった。この1900年の写真には、ロウアー・イースト・サイドのマルベリー・ストリートに集うイタリア系移民の姿が写っている。

NY、ロウアー・イースト・サイドのマルベリー・ストリートの写真(1900年)

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急激な人口増加を受け、街のインフラ整備が進められた。写真は、1909年のマンハッタン橋。

1909年のマンハッタン橋の写真

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2013年の国勢調査によると、現在、ニューヨークの5つの行政区には840万人が暮らしている。

ニューヨークの写真

Shoriful Chowdhury / Shutterstock.com


考古学者によると、パリに最初に居住したのはセーヌ河畔に集落を築いたケルト系部族のパリシイ族で、紀元前250年頃という。

パリに最初に居住したのは、ケルト系部族のパリシイ族(紀元前250年頃)。

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シテ島に集落ができた。今ではノートルダム大聖堂が建っている。

ノートルダム大聖堂

Vittorio Zunino Celotto / Getty


パリシイ族は、メトロポリタン美術館に所蔵されているこのような美しい硬貨を使っていた。

メトロポリタン美術館に所蔵されている硬貨。

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この絵が描かれた1400年代初めには、パリはすでにヨーロッパで1、2の人口を誇る都市となっていた。壁の向こうにそびえるのは、シテ島の宮殿「パレ・ド・ラ・シテ」。

宮殿パレ・ド・ラ・シテ

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現在では、地球上で最も愛される都市の一つである。

世界で最も愛される都市の一つ、パリ。

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黄浦江に沿って広がる上海の中心部、外灘(バンド)エリアは、1800年代後半には世界的な金融の中心地として栄え、アメリカ、ロシア、イギリス、ヨーロッパ各国の商館が立ち並んでいた。

黄浦江に沿って広がる上海の中心部、外灘(バンド)エリア

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1880年代の写真に写った上海の旧市街は堀に取り囲まれている。

上海の旧市街は堀に取り囲まれている(1880年代)

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急ピッチの経済的な発展により、小さな漁村は「東洋の真珠」と呼ばれるようになった。

「東洋の真珠」と呼ばれた小さな漁村

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1987年時点では、黄浦江を挟んで外灘の対岸に位置する湿地帯「浦東地区」は開発から取り残されていた。

黄浦江の向かい側の湿地帯「浦東地区」は開発から取り残されていた

Reuters


しかし、1990年代初め、浦東地区は外資に門戸を開放。

浦東地区は外資に門戸を開放した(1990年代初め)

Reuters


瞬く間に高層ビルが立ち並んだ。

高層ビルが立ち並ぶ浦東地区

Andrew Wong / Reuters


現在、外灘は中国で最も美しい場所の一つに数えられている。

中国で最も美しい場所の1つになっている外灘

Fabio Achilli / Flickr


浦東地区は、最も未来的な眺めが広がる場所の1つだ。

最も未来的な眺めをみせる場所の1つ、浦東地区

shutterstuman / flickr


現在のイスタンブール(ビザンチウム、その後、コンスタンティノープルと呼ばれた)は、紀元前660年に創建。コンスタンティノープルは1453年、オスマン帝国によって征服された。

イスタンブール(ビザンチウム、その後、コンスタンティノープルと呼ばれた)

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オスマン帝国は、次々と華麗なモスクを建造。イスタンブールはキリスト教の地からイスラム文化が花開く都市へと急速に変貌した。

次々と華麗なモスクを建造するオスマン帝国

イスタンブールのトプカピ宮殿

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19世紀に入り、市街は北側へと広がっていき、ガラタ橋の近くに商業エリアが誕生した。ガラタ橋は過去5世紀にわたり、5回架け直されている。

ガラタ橋の近くに商業エリアが誕生(19世紀)

1880年代後半のガラタ橋

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イスタンブールは、今もトルコの文化の中心地だ。

トルコの文化的な中心地、イスタンブール

Moyan Brenn/Flickr


紀元後43年、ローマ帝国がロンディニウム(現在のロンドン)を創建。下図は、テムズ川に架けられた最初の橋。

テムズ川に架けられた最初の橋(紀元後43年)

Imgur


11世紀になる頃には、ロンドンはイングランドで一番大きな港となった。

イングランドで一番大きな港となった、ロンドン(11世紀)

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10世紀に建設されたウェストミンスター寺院は、ユネスコの世界遺産にも登録されている、ロンドン最古の重要な歴史的建造物の1つだ。この絵画は1749年に描かれた。

ウェストミンスター寺院(1749年に描かれた絵画)

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17世紀、ロンドンではペストが大流行し、10万人もの人々が亡くなった。さらに1666年にはロンドン大火が発生し、街の再建に10年を要した。

ロンドン大火が発生(1666年)

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ジョージ王朝時代(1714年~1830年)には、メイフェアなどの新しい地区が生まれ、テムズ川には新しい橋が次々と架けられ、ロンドン南部の開発が進んだ。

ロンドンのトラファルガー広場(1814年)

ロンドンのトラファルガー広場(1814年)

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ロンドンは、世界に名をとどろかせる都市として、今日まで発展を続けてきた。

ロンドンのビッグ・ベン/国会議事堂

Chris Combe


現在のメキシコシティはかつて、テノチティトランと呼ばれ、1325年にアステカ帝国によって築かれた。

現在のメキシコシティは、アステカ帝国によって築かれた(1325年)

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1519年、スペイン人のエルナン・コルテスによって征服されたテノチティトランは、メキシコという名前に改称された。これはスペイン人が発音しやすかったからだという。

メキシコという名前に改称されたテノチティトラン(1519年)

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16世紀、メキシコシティは多くのスペインの植民地同様、碁盤の目のように整備され、中央広場としてソカロがつくられた。

中央広場としてソカロが作られた(16世紀)

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19世紀後半には、近代化が進められ、道路や学校、公共交通機関などが建設されたが、都市整備は富裕層が住む地域に集中していた。

都市整備が進められたメキシコシティ(19世紀後半)

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1950年代には、メキシコシティ初の高層ビル、ラテンアメリカタワーが建設された。

メキシコシティ初の高層ビル、ラテンアメリカタワー(1950年代)

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現在、メキシコシティは、人口890万人以上の活気あふれる都市になった。

現在のメキシコシティ

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モスクワは12世紀に創建され、17世紀まで、イワン4世やロマノフ朝の皇帝が支配した。

12世紀に創建されたモスクワ

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市街地はモスクワ川沿いに広がった。

モスクワ川沿いに広がる市街地

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クレムリン宮殿の周りには、露天商が立ち並んだ。

クレムリン宮殿の周りに立ち並ぶ、露天商(絵画)

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聖ワシリー大聖堂は1561年に完成。今もなお、訪れる人々を魅了する歴史的建造物だ。

聖ワシリー大聖堂

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そしてもちろん、最先端の建物も続々と建てられている。

モスクワの最先端の建物

Shutterstock


今日のヨハネスブルクがある地域には、約2万年前に狩猟採集生活をする先住民族のサン族がいた。13世紀になり、バンツー語を話す人々が移住してきて、農業や鉄を採掘する小さな村が生まれた。

南アフリカが描かれた古地図

South African History Online

Source:CNN

ウィットウォーターズランドと呼ばれる金鉱脈が1884年に発見され、ヨーロッパから多くの人々が押し寄せた。現在では、世界最大の産金地帯として知られ、15億オンス(約4300kg)を超える金を生産している。

ヨハネスブルクのウィットウォーターズランドの地図(1902年)

ヨハネスブルクのウィットウォーターズランドの地図(1902年)

The National Library of France


なぜヨハネスブルクと呼ばれるようになったのか、歴史家にも確かなことは分からない。名前の由来に関する記述がありそうな、初期の歴史的資料は失われてしまったからだ。

ヨハネスブルクのランドクラブ(1888年頃)

ヨハネスブルクのランドクラブ(1888年頃)

The European Library

Source:The City of Johannesburg

1900年を迎える頃にはすでに、ヨハネスブルクには10万人以上の人が住んでいた。

ヨハネスブルクのマーケットスクエア(1900年)

ヨハネスブルクのマーケットスクエア(1900年)

The European Library


現在では人口は440万を超え、南アフリカ最大の都市となっている。

現在のヨハネスブルク

ヨハネスブルク

Andrew Moore/Flickr


※Drake Baerは、前回の記事の更新版に貢献した。

source:Flickr、The European Library、The National Library of France、South African History Online、Wikimedia Commons、Wikimedia Commons

[原文:Amazing images of the world's greatest cities before they were cities

(翻訳:十河亜矢子)

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