日本女子サッカーリーグで活躍後、海外へ移籍し、独ブンデスリーガで得点王にも輝いた永里優季さん(30)。日本代表FWとしては、これまで通算132試合出場58得点を挙げ、2011年ドイツワールドカップでの優勝へと導いたミレニアル世代のトップアスリートだ。現在は米シカゴを本拠地にボールを蹴る永里さんだが、選手として現役のまま会社を立ち上げたという。その思いを、生粋のサッカーファンでもある複業研究家・西村創一朗さんが聞いた。
一時帰国中の永里優季さん。自身の思考を深めるため、人や本から得るインプットを大事にしているという。
永里さんに学ぶ、ボーダーレスワーカーの仕事術
・情熱を周りと共有する。
・興味があることには飛び込んでみる。
・人に会って刺激を受け取る。
西村創一朗さん(以下、西村):永里さんといえば、なでしこリーグの第一線で活躍して、日本女子サッカーの黄金期を牽引し、海外移籍されてからも活躍されていますが、2017年6月に会社を立ち上げたんですよね。引退後のキャリアではなく、現役選手と並行してのパラレルキャリア。これからどんなことをやっていくんですか?
永里さん(以下、永里):私が帰国中にパーソナルトレーニングのクラスを提供したり、アスリートの経験を活かせるイベントや講演をやっていきたいと思ってます。
西村:アスリートが第2の活動を始めるというと、マネジメント事務所に所属してメディアに出演するパターンが多かったかなと思うのですが。
永里:女子サッカー界に貢献するために新しいことにチャレンジしたいと思った時に、自ら発信できる立場になりたいと考えたんです。タレント活動だとどうしても受け身で消耗されるリスクもあるし、本当にやりたいことは実現できない。アスリートこそ、メッセージを発信すべき存在だと思っているので。経済的な面も含めて自分で価値を高めていける道をつくることが、子どもたちの目標にもなれるかなって。
社名に込めた「情熱の連鎖を」という想い
西村:まさに、アスリートって“生きるメディア”ですよね。社名の「ライデンシャフト」はドイツ語で「情熱」。これに込めた意味は?
永里:いやもう、この世には情熱が足りないって思ったんですよ(笑)。何事も情熱がないと成し得ないじゃないですか。ワールドカップ優勝をかなえたチームにも情熱があったと思っていますし。
ただ試合に勝つためにプレーするのではなくて、「試合を通じてどういうメッセージを観ている人に発信していくか」まで考えるべきだという気持ちでやってきました。
一方で、自分の情熱の高さと周囲との間に温度差を感じることも多々あって。もっと情熱あふれる世界にしたいという思いを込めて、この社名にしました。情熱の連鎖、みたいなものって絶対あると思っているので。
西村:いずれ監督として「情熱ジャパン」を率いる目標とか?
永里:うーん、直近はないです(笑)。私自身がまだまだ現役でやる気なので。少なくともこれから10年、40歳までは海外で頑張ると目標を立てたんです。“熟女プレーヤー”目指します(笑)とFacebookに書いたら、「はえーよ、熟女」って突っ込まれましたけど。
西村:株式会社という形を選んだのにも理由があるんですか?
永里:個人事業主だと結局は自分のための活動に止まってしまうけれど、会社にしたら社員も雇えるので、私以外の選手や後輩たちのやりたいことを支える場にもできるんじゃないかと思いました。
まずエクスプローラーになろうよ
西村:アスリートの中にはけがで選手生活を断念せざるを得ない方もいますよね。引退後のセカンドキャリアの可能性を広げる意味でも、永里さんのチャレンジの価値は大きいと思います。周囲の反応はいかがですか?
永里:興味は持ってくれますね。でも、実際に自分が何かやるとなると「サッカー以外に何もできない」「やりたいことが思いつかない」と自信を持てない人が多いんです。
西村:おそらく、他に何ができるのか考える機会がないだけじゃないですか。 サッカーも野球も、日本では「スポーツ選手たる者、その競技に一意専心すべし」と叩き込まれる。「こんな選択肢があるよ。あなたは何がしたい?」と問われる機会さえあれば、もっとキャリアが広がるはずだと思います。
永里:私の場合、現役中からいろんなことに興味を持つようになったというのが大きいですね。「サッカー以外でやりたいことを探そう」と意識していたわけではなくて、純粋に興味があることに飛び込んでいったり、ブログで発信してみたりした延長に今の活動があるんですよ。自然とつながっていくから、とにかく興味を持てることに飛び込むアクションが大切な気がする。
西村:『ライフシフト』でリンダ・グラットンが書いたように、これからはアスリートも選手活動をしながら会社を経営するパラレルポートフォリオワーカー的働き方が一般的になっていくと思います。
同時に、そこにたどり着くまでには「エクスプローラー」、つまり探索をする時期が必要なのだと。永里さんは「まずはエクスプローラーになろうよ」というメッセージを発信しているのだと思います。サッカー以外のことにもアンテナを張ることになったのは、何がきっかけだったんですか?
永里:いつだろう? 多分、結婚したことは大きかったと思います。それまでは私、自分のルーティンを崩したくなくて練習以外はほとんど家に籠っていましたから。人と会うのも嫌いでした(笑)。
西村:ええー! 今のイメージと真逆ですね。でも、たしかにブログの文章など拝見すると、哲学的な思考をする方でもあるんだという印象もありました。
永里:内向的なんです、もともとは。でも元夫は家にいろんな人を連れてくるタイプだったので、強制的に人と会う機会が増えて、自然とアンテナが立っていったという感じでした。
人の思考が入ることで自分の思考が進化する
西村:ということは、「強制的に外の世界に連れ出す」のが有効だと? リディラバという事業をやっている安部敏樹さんは高校生や大学生を社会問題の現場に連れ出して「こんなことが起きているんだ」と開眼させる活動をしているんですが、まさにそのアスリート版のようなことをやれば。
永里:それいいかも。まずは知る機会が必要ですね。
西村:アスリート思考を求める企業の潜在ニーズも掘り起こせると思いますよ。2016年に、Jリーグの優勝経験チームの選手たちを中心に某通信大手企業の社員に向けて、トップを目指す心がけについて話してもらう場があったそうですが、お互い有益な刺激の交換になったそうです。ライデンシャフトの事業の一つとして、「アスリートをフィールドの外に連れ出す」というのをぜひ。
永里:いいアイデア!
西村:サッカー好きなんでつい(笑)。
永里:私自身の経験からも、異なる分野の人と積極的に関わることは自分の成長にとって必要だと思います。人の思考が入ることで、自分の思考が進化していく。人に会うことほど自分を成長させる手段はないなって思っています。
西村:自分のビジョンを人に話すことで思考が整理されるし、「だったらこれができるよ」と言ってくれる仲間も増えていきませんか?
永里:増える。本当にそう。
西村:一方で、「サッカーに専念したほうがいいのでは?」という無言の批判みたいなものを感じることはないですか?
永里:ないですね。もしあったとしても、もう気にならないと思う。今は幸せなので。自分がやりたいことができていることがとても。
西村:そう思えない時期があったんですね。
永里:私の分岐点は明確で、2013年なんです。2012年にロンドン五輪で銀メダル獲って、翌年にドイツで得点王になってワールドカップも優勝して、一通りの目標を達成してしまった。20代半ばで、次に何を目指していいかわからなくなったんです。そこからずっとモヤモヤしていて、2017年の6月にケガを抱えた状態でアメリカのリーグに移ったら、サッカーができる日常そのものに感謝を深く感じられて。
サッカーに限らず、日常に起きるすべてのことに心を込めようと思たら、心がスッキリと整って、他人の評価も気にならなくなったんです。「やりたいことがあるなら挑戦したらいい」というアメリカの空気が私を変えた部分もあるかもしれませんね。
自己表現の価値を広げる形での複業
西村:永里さんはお兄さんの影響でサッカーを始めて才能を見出され、お父さんの熱心な指導でストイックに練習をしてきたと。ブログの発信を始めたのは高校生の頃。きっと、ずっと周囲の期待に応えて結果を出してきた人生から、徐々に“自分自身の表現”へとシフトしてきたのでは。今、周囲の期待に応えて結果を出すアスリートの永里優季と、会社を設立して自己表現の価値を広げようとしている永里優季が“複業”という形で合流しようとしている。
永里:まさにそうだと今気づきました。西村さん、スゴい!
西村:よかったです(笑)。最後に、ライデンシャフトで実現しようとしている長期目標を教えてください。
永里:いずれはアカデミーやクラブチームを作れたらと思っています。アカデミーは海外移籍のステップと位置付けて、世界で勝てるチームを育成したい。海外移籍にもれた選手も国内のクラブチームで活躍してもらう。地域とも連携して貢献できるようなチームにしていきたいです。日本女子サッカーがまた世界のトップになれるよう、自分の経験を活かせたら嬉しいですね。
西村:カッコいいですね。40歳まで現役で活躍しながら、次世代女子サッカーのための土台づくりを目指すなんて。
永里:これは、やらなければいけないこととしてやります。純粋な個人の興味として始めたのは合気道。今日もこれから教室に行くんですが、合気道の「相手の心を読む」技術から学べることは多そうだなと。今朝は英会話のクラスも受講してきたんですよ。
西村:貪欲に吸収する永里さんのこれからが楽しみです。何より、心から楽しそうな表情がいいですね。永里さんの情熱の伝播を応援しています。
西村創一朗の今日のパラレルキャリア分析
サッカー部出身のサッカーファンとして、「複業研究家」として、一度お会いしてみたいと思っていたのが、本田圭佑さんと永里優季さんのお二人でした。
お二人の共通点は、世界の最前線で活躍するトッププレイヤーでありながら起業し、「パラレルキャリア」に挑戦していること。 会社員ですら「本業に専念せよ」という逆風が強い中、プロアスリートは「競技に一意専心すべし」と批判の対象になりやすい。競技でパフォーマンスが下がると、「競技以外にうつつを抜かしているからだ!」というバッシングが決まって出てきますが、果たしてそれは真実なのでしょうか。
お話を伺って改めて「永里さん以上にサッカーに情熱を注いでいる人はいない」と感じました。プロアスリートとして最大のパフォーマンスを上げるために鍛錬を怠らず、最先端のテクノロジーを活かしてコンディションを整えるだけでなく、プライベートの時間に『サッカーの未来に向けた貢献活動』を展開しているのです。ある意味、サッカー一本で活動している選手よりも、サッカーに専念していると言えるかもしれません。
トッププレイヤーとして培ったことをビジネスに応用し、ビジネス活動で得た刺激や気づきをサッカーにも積極的に取り入れていき、プレイヤーとしても非連続に成長し続ける。それぞれの活動が交わらない平行線の「パラレルキャリア」ではなく、それぞれの活動が相乗効果を生み出す螺旋系型の「スパイラルキャリア」を実践されている。
永里さんのような、スパイラルキャリア型のアスリートが今後はどんどん増えていくことを予感させられる、素敵なお話でした。
永里優季(ながさと ゆうき) : 1987年神奈川県生まれ。6歳からサッカーを始める。2004年に日本代表に選出。2010年、独1.FFCトゥルビネ・ポツダムに移籍。2011年、ワールドカップ優勝(6試合出場1得点)。2012年のロンドン五輪で銀メダル。同年、ブンデスリーガ得点王。その後、英チェルシーレディース、独ヴォルフスブルク、1.FFCフランクフルトでプレー。2017年5月より、米シカゴ・レッドスターズでプレーする傍ら、6月に日本国内で株式会社ライデンシャフトを設立。サッカー日本代表FWとして通算132試合出場58得点を挙げる(2012年から15年までは大儀見優季名で選手登録)。