累計4900万ドル(約54億2000万円)を調達したロンドン発の音楽スタートアップ・ROLI社が、デジタル・キーボード「Seaboard」とモジュラー型の楽器デバイス「BLOCKS」の2シリーズをひっさげ、本格的に日本展開を開始する。2017年10月にはCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)として、いくつもの世界的メガヒットを持つ歌手・音楽プロデューサーのファレル・ウィリアムスを迎えると発表したばかり。
「ファレルを口説いた38歳の起業家」は実は日本と深い縁を持つ。そんなROLI社のCEO、ローランド・ラム氏に独占インタビューした。
1月16日にApple 銀座で行われたイベントには、ファレル・ウィリアムスも駆けつけた。
ファレル曰く「ちょっと待って。それ、僕のアイデアなんだけど!」
ROLI社が展開するのは、高感度センサーボードによって指の繊細な動きまで音として表現することができる「Seaboard」というキーボード。さらに誰でも簡単に作曲できるデバイス「BLOCKS」と、無料アプリ「NOISE」だ。熟練者向けのSeaboardに対し、BLOCKSとNOISEはより初心者向けだ。
Seaboard(右)とBLOCKS(左)。ユニット同士はマグネットのようにして接続できる。Seaboardは映画「ラ・ラ・ランド」でも使われ、ライアン・ゴズリング演じる主人公がSeaboardを演奏するシーンがある。
ROLI社の広報によると、2009年の設立以来同社は約4900万ドル(約54億2000万円)の資金調達に成功している。Business Insiderによると、投資した中にはピーター・ティールが設立したFounders Fundなどのベンチャーキャピタルのほか、ユニバーサル ミュージック グループも名を連ねている。
しかし同社最大のニュースといえばやはり、「Happy」「Get Lucky」などの世界的ヒットを生み出した歌手・音楽プロデューサーのファレル・ウィリアムスを2017年10月にCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に迎えたことだろう。
全米ランキング1位にもなったファレル・ウィリアムスの大ヒット曲「Happy」。
動画:iamOTHER
近年アメリカでは著名アーティストがスタートアップに出資したり経営に参画したりするケースが増えている。例えば歌手のジャスティン・ビーバーはSpotifyに出資しているし、ラッパーのジェイ・Zは音楽配信サービス「Tidal」のCEOを務めている。
セレブの経営への参画がうまくいくかどうかはブランドとアーティストが互いに信頼できる関係性にあるかによる、とラム氏は言う。例えばラッパーのドクター・ドレーが設立したヘッドホンブランド、ビーツ(Beats)などはブランドとアーティストの関係性に説得力があった。ビーツは2014年、アップルによって総額30億ドル(約3300億円)で買収された。
イベントでファレルは自らのクリエイティビティの源泉などについて詳しく語った。
ラム氏がブランドと共感できるアーティストを探した時、まず真っ先に思いついたのがファレルだった。すでに製品については知っていたファレル。2人は2017年春に対面し、ラム氏は「音楽をもっと身近にし、誰でも音楽づくりを楽しめるように」という自分のビジョンやこれから作る予定の製品について説明した。ファレルは長い間じっと黙り、それから口を開いてこう言ったという。
「ちょっと待って。それ、僕のアイデアなんだけど!」
お互い全く同じ考えを持ち、ものの1時間ほどですべてが決まったことについてラム氏は「本当に偶然でした」と笑顔で振り返る。ファレルからの出資額は言えないとしながらも、「あらゆるレベルで重要な役割を担っている」。現在ファレルと共同で「今よりもっと音楽制作にアクセスしやすくなる」サービスの開発に着手中だという。
音楽界のインスタをつくる
ROLI社CEO、ローランド・ラム氏(38)。日本の禅寺で修行を積み、ハーバード大学とロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で学び起業、という異色の経歴を持つ。
ROLI社が打ち出す製品では何ができるのか、との問いに、ラム氏はこんな話をする。
「20年前、表現豊かな写真はプロしか撮ることができなかった。でもデジタル一眼レフやインスタグラムが出てきて、今ではみんなが自由に写真を楽しんでいる。なぜ音楽ではそれが起こっていないんだろう?」
6歳のときにピアノ教室がイヤで泣いてやめたトラウマを持つ筆者が、BLOCKSを実際に試してみた。ガイドに従い、いくつかのステップに分けてベース・ドラム・主旋律・副旋律とBLOCKSをタップする。
BLOCKSと音楽アプリ・NOISEを使った曲制作の様子。光っている部分を指で押したりスライドさせたりすると「それっぽい」音楽になる。インスタの「フィルター機能」にも似ている。
面白いのは「ポップ」「ロック」「和風」などとメロディのジャンルを事前に選べるところ。選んだジャンルに合わせてモジュールの一部が光る。光っている部分をランダムに押せば、なんとなく「らしい」音が鳴る。
「ポップ」を選んで完成させてみると、筆者が数分で作った15秒ほどの音楽すら確かにそれらしく聞こえた。誰でも綺麗な写真が撮れるインスタの「フィルター機能」の音楽版のようなもの、と考えればわかりやすいかもしれない。
この音源はROLI社が提供するオンラインプラットフォーム「Noise.fm」に自由にアップでき、また他の人がアップした作品に自分のアレンジを加え、それを再度シェアすることもできる。
SpotifyやSoundCloudが「音楽を聴く」環境を自由にしたなら、ROLI社のサービスは「音楽をつくる」環境に革命を起こす、とラム氏は語る。その足がかりとして、レコードレーベル「ROLI Records」を設立、曲のリリースもしており、他にもいくつものプロジェクトが同時進行中だ。
SeaboardとBLOCKS、NOISEを使って演奏された「Happy」。
動画:ROLI
兵庫・禅寺での修行から学んだこと
ファレルが加わりサービスも成熟し、いよいよ欧米圏を超えてグローバルへ、となったとき、最初の進出先として選んだのは日本だった。
「日本進出はずっと考えていたんだ。日本は音楽産業においてもとても重要な国だし、僕は日本に住んでいたこともあってこの国への情熱もあるから」
ラム氏はアメリカ人だが日本にゆかりは深い。「世界が上っ面なものに見えていた」というラム氏は高校を中退して兵庫県・安泰寺で1年近く禅の修行を積んだ経験がある。その後京都や沖縄にも滞在していたという。
「高校を中退し、剃髪して禅寺で瞑想をしたことは『自分がアウトサイダーでいること』を受け入れる経験だった。それはその後の起業という選択をしたことにも活きている」
仏教の教えはプロダクトデザインにも見ることができる。仏教の「非二元論(non-duality)」(物事ははっきりとは分けられず互いにつながっているという概念)は、複数の楽器を織り合わせたようなSeaboardのデザインと深く関係している、という。
日本進出への意気込みを語るラム氏だが、日本は依然としてCDやDVDなどの物理メディアの売り上げ比率が高く、音楽のデジタル配信化という世界の流れからは遅れている。
「音楽界のインスタ」は本当に生まれるのか?その答えは日本のユーザーが握っているのかもしれない。
(文・写真、西山里緒)