あたし達の住んでいる街には
河が流れていて
それはもう河口にほど近く
広く、ゆっくりよどみ、臭い
河原のある地上げされたままの場所には
セイタカアワダチソウが
おいしげっていて
よく猫の死体が転がっていたりする
主演の二階堂ふみは、岡崎のこの作品を読み、主人公ハルナに強く共感し、実写化を望んでいたという。
©︎2018「リバーズ・エッジ」製作委員会
青春の欲望と若者の焦燥感を描いた漫画「リバーズ・エッジ」。
そのあまりにも有名な書き出しで知られる同作品は、1994年の発売以降、世代を超えてファンを生み出し続けている。作者は、「Pink」「東京ガールズブラボー」「ヘルタースケルター」などあまたの作品でも知られる漫画家・岡崎京子。1980年~90年を代表する作家として人気絶頂だった彼女だが「リバーズ・エッジ」を発表した翌年、自宅近くで交通事故に遭い、事実上、作家生命を絶たれてしまう。
以後、作品集は刊行されているものの新作は発表されていない。そんな岡崎作品の中でも屈指の名作と呼び声の高い「リバーズ・エッジ」が実写化され、スクリーンに登場する。主演は女優・二階堂ふみ、監督は「GO」「世界の中心で愛を叫ぶ」などで知られる行定勲。主題歌は岡崎と長年、公私共に深い絆をもつ盟友・小沢健二という豪華メンバーだ。
そのあらすじはこんな具合だ。
主人公である若草ハルナ(二階堂ふみ)は、彼氏の観音崎が日頃から暴力をふるい、いじめる同級生の山田を助けたことをきっかけに、山田に夜の河原へと誘われ、そこで放置された人間の死体を発見する。「これを見ると勇気が出るんだ」と言う山田に絶句するハルナ。さらに、宝物としての死体の存在を共有している後輩でモデルのこずえが現れ、3人は決して恋愛に発展しない特異な友情で結ばれていく……。
青春とは当事者には分からないもの
バブル崩壊後の1990年代に、退屈で荒涼としていた「郊外」が舞台だ。
©︎2018「リバーズ・エッジ」製作委員会
「リバーズ・エッジ」の舞台は、高度消費社会の象徴である「都市」とは対照的な、退屈で荒涼とした「郊外」だ。暴力、ドラッグ、援助交際 —— 。この作品のモチーフとなった社会現象は、まさにバブル崩壊後の1990年代の日本社会そのものだ。そもそも岡崎がこの漫画を描いた時代は、あらゆる意味で戦後日本の転換期と言われている。
「リバーズ・エッジ」が発表された翌年、1995年は「阪神・淡路大震災」とオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が勃発し、日本が根底から揺らいだ年だ。「ウィンドウズ95」の発売はインターネット時代の到来を暗示。「新世紀エヴァンゲリオン」の大ヒットは、「ハルマゲドン」や「世紀末」などの言葉と共に、20世紀というひとつの時代の終焉を決定づけた。
24年前に作られた作品にもかかわらず、今でも若い世代に読み継がれているという。それはいじめや暴力、貧困やLGBTなど「現代」を生きる若者が抱える「生きづらさ」をつぶさに予言している内容でもあるからだ。
同映画の主演でもある二階堂ふみは、いわゆるミレニアル世代で、1994年の生まれだ。沖縄出身の二階堂は、12歳の時にフリーペーパー「沖縄美少女図鑑」に載った写真が、東京の芸能プロダクションの目に留まりスカウトされる。
主演の二階堂ふみ(左)はミレニアル世代。沖縄出身で、「沖縄は好きだけど生きづらい場所だった」と振り返る。
©︎2018「リバーズ・エッジ」製作委員会
昭和の名女優、高峰秀子の大ファンだった母に手を引かれ、幼い頃から地元の映画館に通った。以前、AERAの「現代の肖像」で取材した時、彼女は「沖縄は好きだけど生きづらい場所だった」と言葉少なげに語った。
二階堂は1970年代に一世を風靡した英国バンド「セックス・ピストルズ」を愛する。ファッション一つとっても、見たこともない奇抜な格好が好きだった女子高生にとっては、癒しの島として名高い沖縄は保守的で生き苦しい場所だったのだ。
二階堂が初めて岡崎作品に触れたのは16歳のとき。2011年に公開された園子温監督「ヒミズ」の撮影現場で、仲良くなった年上のスタッフから紹介されたのが「リバーズ・エッジ」だった。その時から、いつか主人公ハルナを演じると心に決めた。二階堂は、自身の青春に重ねるように、何があっても強く生きようとするハルナについてこう語った。
「青春とは当事者には分からないもの。その時は青春していると思っていても、後から振り返ると意外に友達とダラダラと無駄な時間を過ごしている方が青春と思えます。言い換えるなら、大人にならないと見えてこないものですかね」
生きる日常そのものがなかった
二階堂と同じミレニアル世代で、2015年に国会前で安保法制に反対する抗議行動を行った元シールズの奥田愛基(25)は「リバーズ・エッジ」に描かれている「淀んだ川」「煙を上げる工場群」「古い団地」などの風景は、生まれ故郷の北九州、そのものだと語る。
奥田は、そもそもバブルなんて知らないミレニアル世代の自分たちは「時代に祝福されていない世代」と定義する。当たり前だが、バブル景気など全く実感はない。新聞には「日本は終わった」「就職氷河期に突入」など不安を煽るような文字が並び、テレビのコメンテーターは真顔で「日本の経済は終わりました」と語っていた。中学校ではいじめが横行し、奥田自身もその標的になった。高校卒業後、ある人は進学し、ある人は就職して、社会に第一歩と踏み出そうとした矢先、遭遇したのが東日本大震災だった。
安保法制に反対し、国会前でデモを行う当時のシールズのメンバーたち(2015年9月15日撮影)
REUTERS/Yuya Shino
「僕らの世代は、生きる日常そのものがなかったような気がするんです。政治的にも、経済的にも希望がなくて、未来を肯定できない。だから、終わったんだったら、自分たちで始めるしかないと考えて、行動を始めたんです。だからこそ思うのですが、それでもハルナ自身が閉ざされた学校の淀んだ日常を断ち切り、自分の意思でそれでも生きていこうとする姿には勇気づけられたんです」
奥田はこの映画の主題歌を小沢健二が歌っていることにも希望を感じたと語る。
歴史のエッジに立っている感覚を持ちながら
関係者によると、二階堂を療養中の岡崎京子に会わせ、同作の映画化のきっかけを作ったのも小沢健二だった。小沢健二は「シブヤ系」と呼ばれる1990年代を代表するアーティストの一人である。音楽カルチャーに詳しい芸人・大谷ノブ彦は自身のブログ「不良芸人日記」の中で「1995年の小沢健二」というタイトルの一文を寄せている。
「僕らが一番しんどいときに小沢健二はその細い身体で全部引き受けた。(中略)。頭の悪そうなラブソングを歌い、なよなよとしたダンスを踊りながら。(中略)。君のLIFEとLOVEと MUSIC、そして希望を」
確かに震災とオウムという事件によって、社会の空気は一変した。
当時、人気絶頂だった小沢健二は、岡崎が事故によって作家生命を絶たれた時期と時を同じくして、自身の音楽のスタイルを変えてゆく。その後、活動の拠点をニューヨークに移し、日本の音楽シーンから姿を消すことになる。やがて、消費社会に対する批判や安法法制反対のデモなどにも言及するエッセイを自身のブログで発信するようになる。そんな小沢が今から2年前、日本での活動を再開する。まるでこの日本にもまだ微かな希望があると言う河のように。
映画「リバーズ・エッジ」は2月16日公開。
©︎2018「リバーズ・エッジ」製作委員会
映画「リバーズ・エッジ」の行定勲・監督は、映画に登場するハルナなど若者は、平坦な戦場という何と戦っているのか分からない「青春」という時間の中にいると語る。
「リバー(川)が『歴史』だとして、そのエッジ(淵)に立っている感覚を持ちながら映画を作りました。この映画は大きな時代の空気に飲まれていて、最後まで途上にいる。だから、誰もが自分に置き換えられるし、長い間、いろいろな人に影響を与えている」
いつの時代を生きる若者も、「リバーズ・エッジ」という名の大河の淵に立たされているのだ。
(文・中原一歩)