「住みたい街ランキング」で毎年上位に入る武蔵小杉。鉄道の便がよく、子育て世代の人気を集める街だ。武蔵小杉駅周辺の再開発地区に超高層のタワーマンションが林立し、昨年夏公開の映画「シン・ゴジラ」にも登場して、注目を集めた。一方で、以前からの住民とタワマン住民という新階層との間には避けがたい断層も存在する。川崎で生まれ育った筆者が急速に変わりゆく小杉の今に迫った。
タワーマンションが林立する武蔵小杉
高橋浩祐
「小杉にあったマック3店舗がすべてなくなりました。小杉でワンコインで昼飯を食べることはもう無理です」
東急東横線武蔵小杉駅南口前の不動産会社「サークルホーム武蔵小杉店」でハウジングコーディネーターを務める成宮誠さん(28)は、近年の小杉の変貌ぶりを示す具体例として、マック3店舗の閉店を挙げた。
武蔵小杉駅周辺には長年、地元で親しまれていたマクドナルド店舗が3店あった。 北から順に、東横線新丸子駅構内にあった「新丸子駅店」、JR武蔵小杉駅北口・東急線高架下の「武蔵小杉駅前店」、そして、東横線武蔵小杉駅南口の駅前仲通り「センターロード」入口にあった「武蔵小杉店」だ。南北にほぼ500メートル間隔で位置していた。
特に駅南の武蔵小杉店は1984年に開店し、昨年2月末まで31年も続いた老舗で、地元のマック愛好家には長年愛されてきた。一方、駅北にある武蔵小杉駅前店は2000年に開店し、昨年10月に閉店するまで16年間営業を続けてきた。新丸子駅店は昨年1月に14年の歴史に幕を閉じた。聖マリアンナ医科大学東横病院前にある旧マクドナルド武蔵小杉店の跡地には現在、薬局が出店している。通りがかった地元の法政大学第二高校野球部の生徒や子連れの家族にマクドナルド閉店の感想を聞くと、「寂しい」「マックのフライドポテトが大好きだったのに」「おやつ代わりに買える店がなくなり、不便になった」などと懐かしむ声が多く聞かれた。
タワマン建設ラッシュで人口急増
小杉からマックが消えた理由は何か。
それを探る前に、この地域の現状を見てみよう。武蔵小杉駅のある川崎市中原区の人口は、同市7区の中で最も多い約25万2000人に上っている。これは東京の渋谷区や港区よりも多い人口だ。2017年4月1日現在の中原区の人口密度は、1平方キロメートルあたり1万7031人でこちらも川崎市7区で1位となっている。
川崎市まちづくり局小杉駅周辺総合整備推進室によると、武蔵小杉では、駅周辺の再開発事業で2006年から高層マンションの建設が始まり、人口増加に拍車がかかった。小杉駅周辺はこの11年間で約6600戸分のマンションが供給され、子育て世代や働き盛り世代を中心に人口が約1万5000人増えた。15年の国勢調査では10年と比べた人口増加率が5.8%に達し、神奈川県内の市区町村別で首位だった。
もともと郊外の農村でしかなかった武蔵小杉周辺は1930年代、東横線と南武線の2線が使えて交通の便が良いこと、南武線沿線に広くて安いまとまった土地があったこと、塩害が少ないことなどから、現在のNECや富士通、東京航空計器といった大企業が工場を建設。従業員の社宅も多く造られた。 しかし、産業の空洞化やバブル崩壊後の平成不況などで、企業の工場移転やその用地の売却に伴う「工場跡地」が出現。かなりまとまった広さの空き地が大手不動産デベロッパーにもたらされることになった。
再開発が進む駅北の小杉2丁目の町内会長、伊藤巌さん(72)は、「この辺りは駅前に企業の大きな土地があったため、複雑な個人の利害調整などが必要なく、売買取引がしやすかった」と話した。
これまでに小杉に完成した100メートル超のタワマンとしては、国内最高階数の分譲マンションのミッドスカイタワー(59階、797戸)やシティタワー武蔵小杉(53階、800戸)など9棟がある。
川崎市は現在、武蔵小杉駅東口エリアや駅西側に比べ、再開発事業が立ち遅れていた駅北口エリアに注力している。JX日鉱日石エネルギー社宅跡地では「パークシティ武蔵小杉・ザ・ガーデン」の「タワーズウエスト」(53階建て、613戸)と「タワーズイースト」(53階建て、592戸)が建設中だ。また、現在の日本医科大学武蔵小杉病院の場所に、三菱地所レジデンス・大成建設が50階建ての2棟構成のツインタワーマンション(約1500戸)の建設を予定。計画中のものをすべて含めれば、将来武蔵小杉駅周辺には15棟のタワマンができ、川崎市まちづくり局小杉駅周辺総合整備推進室によれば、現在よりもさらに約3700戸、約8300人が増える見込みだ。
制作 枝常暢子
5路線乗り入れで1日45万人の乗降者
武蔵小杉が人気を集め、次々とタワマンができる理由は何か。
不動産経済研究所企画調査部の松田忠司主任研究員は、「2010年にJR横須賀線武蔵小杉駅という新駅ができ、東京や品川など都心へのアクセスが格段によくなったことが大きい」と指摘する。 現在、武蔵小杉駅には、JRの南武線、横須賀線、湘南新宿ラインと東急の東横線、目黒線の2社5路線が乗り入れ、品川には10分、渋谷には13分、新宿や東京には18分で着く。相互乗り入れを含めれば、東京メトロの南北線や副都心線、都営三田線など13路線の利用が可能となり、武蔵小杉駅から288駅に直通で行ける。 武蔵小杉駅は現在、1日に約45万人の乗降客が利用し、この10年で4割も増えるまでに至っている。
かつてマクドナルド新丸子駅店があった場所
高橋浩祐
にもかかわらず、なぜマック3店舗は次々と閉店したのか。武蔵小杉からマックがなくなる一方で、交通の便が小杉より良くない南武線隣駅の武蔵中原駅周辺のマック2店舗は営業を続けている。 日本マクドナルドPR部は筆者の取材に対し、「閉店理由には契約満了に伴うものなど様々ございますが、個別の閉店理由は申し上げておりませんことをご理解いただけますと幸いに存じます。誠に申し訳ございません」とメールで回答するにとどまった。
マクドナルドの経営状況を分析してきた楽天証券経済研究所の窪田真之所長は、「食の問題などで経営危機に陥ったマクドナルドは、かなり大胆に都心の店舗でも閉めている。正しい戦略をとっており、ブランド力を回復している」と話した。
日本マクドナルドは、2014年に発覚した期限切れ鶏肉の使用などの問題で業績が悪化、2015年12月期の決算では過去最大となる347億円の最終赤字を計上した。経営再建のために2015年から2016年初旬までに、長期的な採算が見込めない131店の「戦略的閉店」を実施した。マクドナルドはこの戦略的閉店の対象となった具体的な店舗名を明らかにしてはいないが、「2016年初旬」に閉鎖された新丸子駅店と武蔵小杉店がともにその対象となった可能性がある。
また、同社は2018年末までに既存店をモダン化するため、総店数の90%について改装、改築を行っている。 東横線高架下にあった武蔵小杉駅前店と新丸子駅店はもともと、目黒線の武蔵小杉までの延伸を目的とした2000年の東横線多摩川〜武蔵小杉間の複々線化後に開店。現在、同区間の高架橋の耐震補強工事を行っているが、両店はその工事のために閉店されたとの見方もある。しかし、30年以上の営業を誇った駅南の小杉旗艦店、武蔵小杉店はセンターロード入口という商業地の真ん中の好立地にあり、昔からレジにも行列もできていた。
「タワマンで人の流れが変わった」
「東横線線路の向こう側に、タワーマンションや大型ショッピングセンターができ、こちらに人が来なくなった。人の流れが全く変わってしまった」
かつてのマクドナルド武蔵小杉店前にある聖マリアンナ医科大学東横病院の駐車場誘導員を6年ほど務める宇佐美義則さん(67)はこう語る。
「グランツリーにはおしゃれでハイカラな店が集まり、ベビーカーを押す女性を多く見かける。線路の向こうに客を食われているから、こちらで食べ物商売を行うのは厳しくなっている」
グランツリーとは、セブン&アイ・ホールディングスが運営する大型商業施設「グランツリー武蔵小杉」のこと。タワーマンションが乱立する東横線の武蔵小杉駅東口とJR横須賀線の武蔵小杉駅の間にあり、ケイト・スペード・ニューヨークやビームス(BEAMS)など若者や子育て世代に人気の衣料品店や飲食店が多数出店している。 実際に訪れてみると、赤ちゃんや小さい子連れの母親たちであふれている。屋上の大きな遊び場や授乳室のほか、物販テナントやフードコートなどのフロアに、子どもが自由に遊べる無料スペースもある。
「子連れでグランツリーに行けば、ショッピングも子どもの遊び場もなんでもことが足り、一日中いられる」
武蔵小杉駅南西部の5階建てのマンションに住み、ゼロ歳児と2歳児、4歳児の男の子3人を育てる主婦(32)はこう語る。タワマン新住民が好んで集う商業施設が、地域社会の機能を一定区域に集積させる「コンパクトシティー」を実現させているようだ。
前出の松田氏は、東急池上線・戸越銀座や目黒線・武蔵小山の商店街のように、昔ながらの街の中心となっている通りは、駅前が再開発されても、人の流れは変わらないと指摘。しかし、武蔵小杉は、「ゼロから街を作るほどの大規模再開発なので、人の流れが変わるのは当然」と話した。
皮肉にも人口が急増したことで、地価が上がり、タワマンとは反対側にある商店街の賃料も高騰している。冒頭の不動産会社によると、武蔵小杉周辺のオフィス賃料は契約更新のたびに上がるという。この会社の場合、昨春の契約更新時に、2割5分上がった。 国土交通省が毎年発表する神奈川県内の住宅地の公示地価は、昨年まで武蔵小杉駅周辺が4年連続トップの上昇幅を記録した。3月21日に発表された2017年分は、商業地も含め、武蔵小杉駅前の需要が落ち着いたことで、上昇に一服感が出ている。
高橋浩祐:英国の軍事専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」東京特派員。ハフィントンポスト日本版編集長や日経CNBCコメンテーターを歴任。