ネクステージ代表の福井学。演劇をITの力で支える事業に全てをかける。
2009年2月28日、福井学(36)の人生は終わるはずだった。
今でこそ福井はオンライン観劇アプリ「観劇三昧」を運営するネクステージの代表を務めるが、当時、28歳の福井は、大阪市のベッドタウンである大阪府松原市で、工場経営者や地元の中小企業を顧客に、パソコンの修理業を営んでいた。
2008年9月に起きたリーマン・ショック。ドミノ倒しのように引き起こされた不況を、取引先の会社はなんとか耐えてきたが、年が明けて一気に体力を失っていった。福井の仕事までどんどんなくなっていく。
「来月、会社たたむねん」
取引先に営業に行っても、そう言われると返す言葉もなかった。
パソコン修理に必要な部品は、ロット(最小単位)で前もって仕込んでおく。顧客からの修理依頼が来ないため、先に仕入れた部品代170万円が払えない。1月に1度目の不渡りを出した。2月末が2度目の期限だが、どう考えても工面できる手立てがない。
2008年9月のリーマン・ショックが引き起こした不況は、日本全国を襲った。
Reuters/Yuriko Nakao
「仕事もないので、毎日毎日、家にこもってどうやって170万円を作れるかばかり考えていました」
とにかくお金がなかった。1日1食、スーパーで購入したもやしを湯がき、醤油をかけたもので食いつないだ。
「そのうち、もう結論は一つしかないな、と思ったんです。借金返されへん。僕のたった一つの武器の、パソコンも取り上げられてしまう。それやったら月末の返済日に、人生終えようと」
布団をかけて見たドラゴンボール
「ずっとお金持ちになりたかった。だから社長になろうと思ったんです」
福井は男4人、女2人の6人兄弟の末っ子に生まれた。一番上の兄とは15も年が離れている。一番年の近い兄ですら 8歳上だった。
「おとんが2000万円の借金を作って、おかんと大げんかして離婚しようというときに、子どもができたとわかった。それが僕です」
その父親も福井が3歳の時に家を出て、行方が分からなくなった。
それっきり、会っていない。
福井が小学生の頃から、兄も姉も働いていた。子どもの頃、一人で留守番する日々の記憶には、借金取りが登場する。水曜日の午後7時。
「家にいることがバレないように、電気を消してドラゴンボールを見ていたのに、テレビ画面のちらちら光るライトで気づかれたみたいで。消費者金融の取り立てが、バンバン玄関のドアを叩く。叩きすぎて、窓ガラスが割れてしまって、それで慌てて帰ってくれたこともありました」
それからは布団でテレビを覆い隠しながら、ドラゴンボールを見た。
小学校に上がるときは、手提げで行こうと思っていた(写真と本文は関係ありません)。
Shutterstock
小学校入学を目前にしても、ランドセルの用意がなかった。
「家の状況が分かっていたので、道具を手提げ袋に入れて入学式行こうと思ってました」
しかし、一番上の兄が、こっそりランドセルを用意してくれていた。今でもその兄には頭が上がらない。
そんな状況だったから、中学も高校も新聞配達のアルバイトで忙しかったし、遊ぶ暇もなかった。
もともと「おもろいこと言って」と言われるのが苦手な、内気な性格。唯一パソコンが好きで、休みの日には大阪・日本橋の電気街をぶらついた。高校1年生の時に、アルバイトで貯めたお金で、東芝のパソコン「BREZZA」を買ってから、本格的にのめり込んだ。
順調に思えた社会人生活
2000年に地元の高校を卒業後、大手家電量販店の大阪・松原店でパソコン売り場担当として働き始める。質問にYES/NOで答えると、「あなたにぴったりのパソコン」が導かれる手製のチャートが評判になり、福井個人にお客さんがつくようになった。入社3年目には、全国5000人の社員で売り上げベスト5に入り、社内表彰される。
一方で、「家電の販売だけでは、先々まで食べていけない」と考えていた。自分でパソコンの修理技術を学び、2004年に独立。ちょうどその頃、地元の町工場や中小企業もパソコンを導入するようになり、修理やIT化支援など仕事は次々に舞い込んだ。年商は1000万円に達するようになった。パソコンを「たった一つの武器」に、仕事は順調に進んでいるかのように思えた。
2008年9月、リーマン・ショックが起きるまでは。
ただただ、芝居を見たい
舞台に上がった人が、まるで別人のように輝いていた。
「首くくるしかないな」
月末で人生を終えようと思っていた2009年2月26日、高校時代の友達から芝居に誘われる。
「とにかく芸術に疎くて、それまで演劇のえの字も知らなかった。でも、もう終わりと思うと自暴自棄になっていて。行ったんです」
大阪・日本橋のインディペンデント・シアターで開かれた無名の劇団の芝居には、誘ってくれた友達の知人という女の子が出ていた。
幕が開くと、言葉にならない衝撃を受ける。
「普段、ゆるい感じの子なんですけど、まったくの別人に見えた」
舞台の上の人たちは、力強く、生き生きと輝いている。
「もっとたくさん、芝居を観たい」
それまでに経験したことのないような気持ちが込み上げて来て、ただただ強く、そう思った。
死ぬことは頭から消えていた。
演劇をITの力で支える
オンライン観劇アプリ「観劇三昧」は、スマホで全国の小劇場の作品を見られるサービスだ。月980円でアプリをダウンロードすれば、全登録作品が見放題になる。コンテンツ数は2018年2月末時点で268劇団913作品。今も毎月15〜20本のぺースで配信作品を増やしている。
小劇場のコンテンツ獲得は、大手IT企業も乗り出しているが、観劇三昧はその内容の充実ぶりから注目を集めている。
2013年8月に福井が立ち上げた。舞台の撮影、編集などの制作、販売も全て福井の会社で担当。収益の70%が劇団、30%が福井の会社の取り分だ。
原点は、「人生を終えるつもりで」大阪・日本橋の小劇場を訪れたあの冬の日だ。
劇団壱劇屋の「五彩の神楽」の劇中シーンより。
提供:壱劇屋
連日はしごして、10カ月で300本の演劇を貪るように観た。足しげく芝居に通ううちに、2013年春には「あの人パソコンできるらしいで」。演劇チラシを閲覧するアプリ開発の仕事が、大阪の劇場から舞い込んだ。それが「好きな演劇を仕事にできるかもしれない」と思ったきっかけだ。
4年にわたり劇場に通い続けて、演劇が好きでも食べていけずに辞めていく人たちを見てきた福井には、ある構想があった。
「仕事が忙しかったり子育て中だったりで劇場に来られない人にも、アプリで作品に触れてもらえば、顧客の底上げにつながる」
そうしてファン層を開拓すれば、演劇は音楽や映画のように、身近なコンテンツになり得る。自分の得意なIT分野から、大好きな演劇のために何かしたい一心だった。
チラシ閲覧アプリから3カ月後には観劇三昧アプリを開発。2014年5月、演劇をITの力で支援する会社ネクステージを、大阪の演劇の集積地である日本橋に立ち上げた。
劇団と直談判で交渉
はじめはアプリへの作品参加に懐疑的だった劇団には、何度も舞台の後に足を運んで説得を重ねた。2015年に人気劇団の「演劇集団キャラメルボックス」や「維新派」が参入したことで、一気にユーザーを増やし、現在、14万8000ダウンロードに達する。
170万円の返済は、意を決して相手に頭を下げ、二度目の返済延期をのんでもらった。その後、パソコン修理の仕事が盛り返し、完済することができていた。
「自分の限界を決めるのは自分やと、演劇を見て気づいたんです。芸術なんて一切縁のなかった自分が、どん底の時に演劇に触れたことで、力をもらった。演劇に恩返ししたい」
2017年1月、演劇の聖地・下北沢の本多劇場前にも、グッズ販売の店舗を構えた。
人と話すことが苦手でパソコンにのめり込んだ自分が今、こうして演劇のために奔走しているのは不思議な気もする。
あの日ランドセルを用意してくれた一番上の兄には、「石橋を叩いて渡れよ」とは言われる。
ただもう、怖いことはあまりない。
「一回、死んだと思っている人生なので、生きてることがめっけもん。失うものがないんです」
福井学:2000年、大阪府立松原高等学校卒業。家電量販店に就職。 24歳で独立し、大阪を拠点にパソコン販売・修理や自治体のITサポート業務を担当。2014年、ITを活用した舞台芸術支援事業のネクステージ設立、代表取締役に就任。 3月1日から、100団体が参加するオンライン上の演劇祭「カンプリ×観劇三昧 手のひらフェスティバル」を開催中。