福島第一原発の事故で2017年3月まで村全域が避難区域になっていた福島県飯舘村が、だれでもさまざまな村のサービスを受けられる「ふるさと住民票」を発行する。村が2018年3月9日に発表した。
東日本大震災が起きた2011年3月11日には、村には6509人の住民がいたが、6年にわたる避難生活で、2018年3月1日までに「帰還」をした人は、537人にとどまっている。今後、人口の減少も懸念される中で、村と関わりのある「関係人口」を増やしたい考えだ。
3種類のデザインがある飯舘村の「ふるさと住民票」
きっかけは原発事故から間もない時期のことだ。全村が避難すれば、避難先に住民票を移す村民も出てくることが予想された。菅野典雄村長は当時、「村との関係を切らさずに済むよう、二重の住民登録を認めてくれないか」と総務省に訴えた。
右から菅野典雄・飯舘村長、イラストレーターのわたせせいぞうさん、構想日本の加藤秀樹代表
二重の住民登録は、選挙権や納税の問題が絡むため、実現しなかった。その代わりに浮上してきたのが、すこし緩やかな「ふるさと住民票」だ。
菅野村長は「ほかの災害であれば『帰ってこい』と強く言えるかもしれないが、原子力災害ではそれは言えないし、言ってはいけない。それぞれの意思で村との関係をもってほしい」と説明する。
このふるさと住民票は、だれでもウェブや郵送で登録を申し込める。登録した人には、「ふるさと住民票」としてカードが送られ、住民と同額で村内の公共施設を利用できるなどのサービスが受けられる。ただ、いま村内で稼働中の公共施設については、住民とそうでない人を料金面で区別している施設はないという。
村は、ふるさと住民票を持っている人を対象に、さまざまな企画を実施。村の応援団として、全国から広く、ふるさと住民を募る計画だ。
「いいたて再発見塾」は、飯舘村の魅力を再発見する塾を開く。ふるさと住民票を持つ人の中から、年に1〜2人程度、「一日村長」を選び、復興関連の会議に出席してもらう企画も予定している。
原子力規制委員会の前委員長で、現在は月の半分ほどを飯舘村で生活している田中俊一さん、3種類のカードのうち1種類をデザインしたイラストレーターのわたせせいぞうさんらが、最初の「ふるさと住民」になった。
現在、村の復興アドバイザーを務める田中さんは「この住民票を活用して、飯舘の大自然と自然の恵みを楽しみ尽くしたい。さまざまな形で村の役に立てればと考えている」と話した。
「ふるさと住民票」を受け取る田中俊一さん(左)。写真中央は、わたせせいぞうさんがデザインした「ふるさと住民票」。
飯舘村は現在、村の一部地域が帰還困難区域に指定され、原則として立ち入りができない。住民の帰還だけでなく、さまざまな課題が山積している。
村内の一部は立ち入ることができない。
とくに高齢者は、帰村を希望する人が多いが、介護の担い手が十分に確保できていないという。菅野村長は「避難先で介護を受けていて、村に帰ってきたくても、環境を変えることに二の足を踏むお年寄りも少なくないようだ」と言う。
村内のあちこちに、除染ではぎ取った表土を集めた「仮置き場」がある。
一方で、村内では道の駅や工場、介護施設、福祉施設などで、人手が不足している。
4月には、村内で認定こども園と小中学校が再開する。100人ほどの子どもたちが、こども園と小中学校に戻ってくる予定だ。ただ、福島市など避難先から学校に通ってくる子も多いという。放射能への不安が残る中で、それぞれにとって難しい選択だろう。
この春に3年になる中学生は、全員が戻ってくるという。菅野町長は、子どもたちの選択を喜ぶ。「みんな、飯舘の卒業証書がほしいと言って戻ってきくれる。これには、ぼくも涙が出た」
(文と写真:小島寛明)