「就活失敗しても大丈夫なんだ」移住して「肩の荷降りた」#被災地女子

東日本大地震をきっかけに価値観が変わり、今までの暮らしや働き方を変えたという人は多い。中でも、当時まさに進路に迷っていた大学生や新卒で入社したばかりの世代に与えた影響は大きい。そうした世代をBusiness Insider Japanでは「after3.11世代」と名付けた。

就活に失敗したり、終電に揺られる会社員生活に違和感を覚えたり。そんな彼女たちが心を許せる場所として向かったのが東北だった。

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宮城県気仙沼市の唐桑半島に住む小町香織さん(中)、矢野明日香さん(右から2人目)ら移住者のメンバー。

提供:根岸えまさん(写真左)

2015年4月に宮城県気仙沼市の唐桑(かわくわ)半島に移住した小町香織さん(25)。富山県出身、東北大学を2015年に卒業後、移住女子が集うシェアハウスに転居した。

小町さんは、震災のあった2011年の4月に東北大学に入学した。被災地でボランティアを本格的にしたのは、大学4年からだった。ボランティアに積極的になった理由は、「大学4年生の就活に失敗し、この先どうしようと迷いだしたころから」(小町さんら移住女子のブログより)だ。

小町さんは、地元に帰って就職しようと、自治体や大学職員など3団体を受けた。2団体は一次試験、1団体は最終面接で「お祈りされた」。民間企業は「資本主義、競争」の印象が強くて、自分には無理だと思ったという。

「就活に熱が入らなくて」

みんなと同じ就活の波に乗ることに抵抗があった。「敷かれたレールに乗って就活して、そういう中で、やりたい仕事の人は楽しそうだけど、働きたくないって言っている友人もいたし、先輩も社会人になって病んでいるツイートをしているのを見て、本当にそれでいいのか、ってずっと思っていて」

かといってやりたいことがあるのではなく、モヤモヤしているうちに、就活の波に乗り遅れた結果だった。

有名な大学に行っても偉くならなくていい

移住した女子

小町さんと(左)と矢野さん(右)。移住女子が生活を紹介するブログ「Pen.turn」を運営している。

撮影:室橋祐貴

そんな時に出合ったのが、気仙沼市の唐桑だった。南三陸町でボランティアをする中、知人から「気仙沼に面白い漁師さんがいる」と紹介されて出会った人は 、「自分の顔のステッカーとか、マグカップを作っていて(笑)。漁師さんのイメージが変わりました。ホタテの養殖作業をしながら、地元のおばちゃんと話をすると、とんでもなく面白くて」

早稲田大学を出て、気仙沼でまちづくりをする「まるオフィス」を設立した加藤拓馬さんらにも出会う。

「有名大学を出ているけれど、震災をきっかけに地方に出て働いている姿が印象的だった。有名大学に行くと、一流企業で働くイメージが無意識のうちにあって、こういう働き方・暮らし方があるんだって気付かされて、肩の荷が降りた」(小町さん)

「もしかしたら、唐桑に来たら、私自身も何か変われるんじゃないかな」。そんな期待を胸に移住を決めた。「公務員にならなきゃ、一流企業で働かなきゃ、でも、就活を失敗して、それに対する劣等感みたいなものもあって。べつに偉くならなくていいんだっていう安心感がありました」

小町さんは現在、まるオフィスの若者支援のチームで働き、10〜30代に地域やまちづくりに興味を持ってもらう活動をしている。

元エンジニアの矢野明日香さん(29)も、移住女子のシェアハウスに暮らす。名古屋大学卒業後、東京のIT企業でエンジニアとして、日々深夜まで働いていた。就職した当初から、3年ほど経験を積んだら、次のステップに進むことを考えていた。

大学は農学部。もともと田舎暮らしに興味があった。知人を通じて、「まるオフィス」の加藤さんと知り合い、仕事も紹介され、唐桑への移住を決めた。

終電の光景「この生活を30歳まで…」

もももさん

気仙沼ゲストハウス“架け橋”のオーナー村松ももこさん。横浜で楽しい毎日を送る中、終電でふとした疑問が浮かんだ。

同じく気仙沼市内に移住した村松ももこさん(27)は、同市内で「気仙沼ゲストハウス『架け橋』」を運営する。村松さんは静岡県出身で、横浜市内の大学に進学、移住前は横浜で看護師をしていた。週2回くらいは飲みに行って、たまに旅行もして、「普通に楽しく毎日を過ごしていた」。

ただ、ある日の飲み会の帰路で、終電に乗った。右と見ても、左を見ても、同じように疲れている人がいた。その時に、ふと疑問を思った。

「この生活を毎年続けていくの?って。 当たり前に仕事をして、飲みに行って、生かされているというか。この生活を30歳まで続けるのかなって

看護師の職は、小学校6年生からの憧れだった。だから当たり前のように看護学部がある大学を探した。目標を貫き、看護師になった。職場も、医療系の専門職に囲まれ、「目指した職業に就職するのが当然」の人たちだった。

社会に出てから徐々に他の業界の人たちと知り合う中で、「インターンや就活、休学したり、起業をしたり。いろいろな働き方や生き方があるんだと気付いたんです

都会は1人で完結できる場所

村松さんは思い立って仕事を辞め、日本一周の自転車旅に出た。仕事を辞めるときは、周りの人に言いにくかった。抱えていたモヤモヤ感を「当たり前に仕事をする人に、言っても理解されないだろう」と思ったからだ。

自転車の旅で、たまたま立ち寄った気仙沼で2週間、ボランティアの宿を手伝いながら、滞在した。その後も旅を続けたが、気仙沼で知り合った人との縁で、自身の好きなゲストハウスを運営することを決めた。

勢いだった。2017年1月に「架け橋」をオープンし、今年間約600人が訪れる。

今、横浜の生活を振り返ると、「都会は1人で完結できる場所」だった。気仙沼に住んでいれば、「水道管が凍ったり、飲んでも電車はないから自分では帰れなかったり。誰かに頼らないといけない、その分、自分も頼ってもらえる。不便だからこそ、人とのつながりが生まれる。うらのおじさん、地域のお母さん、移住者さん、頼りたい人がたくさんいる」

横浜の生活に戻りたいとは思わないという。

ゲストハウス

気仙沼ゲストハウス“架け橋”。取材をした3月中旬、初対面の男女4人は夜な夜な語り合っていた。気付けばこたつで寝て、起きたら朝方だったという。


架け橋では夜な夜な宿泊者が語り合う。

村松さんは「2時間、3時間も話していれば、誰もみんなが持っている悩みを話していく。就活に疲れたり、仕事がうまくいってなかったり。頼れる人がいるのか、ぽろっと、言いやすいのかな。仕事を辞めなくてもいい、無理って思ったときに来て休憩してもらって、気仙沼を好きになってくれたら」と願う。

村松さんは、震災から7年を迎えた2018年3月に初めて、気仙沼の「人」をテーマにしたツアー「#被災地女子」を企画した。ツアーでは、地元の飲食店や酒蔵を訪れたり、漁業を体験したりした。それぞれの場所で村松さんらがお世話になっている地域の人々と接する。

「気仙沼で好きになった人たちが、被災者だった。こんな素敵な人が悲しいことを経験していて、今後は、誰よりも幸せになってほしいし、笑ってほしい」(村松さん)

(文、撮影・木許はるみ)

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