クラウド型人事労務サービス「SmartHR」
新生活が始まった4月。入社式を終え、これから新しい仕事に向かう人は入社直後に、社会保険や雇用契約書の手続きを行ったのではないだろうか。
こういった諸作業は、企業内では「人事労務」や「バックオフィス」と呼ばれる職種のカテゴリーに入る。入社時以外にも退社や引っ越し、扶養家族に増減があった場合などの手続きも担当する。
人事労務は、さまざまな業務ツールのデジタル化が進む2018年現在でも、「紙」の作業が根強い領域だ。「レガシーのかたまり」のような業務をテクノロジーでクラウド化し、急成長しているベンチャーがある。クラウド型人事労務システム「SmartHR」だ。
2018年夏には労務の手続きと管理を半自動化する「雇用契約締結機能」をリリースする予定だ。
サービス開始2年で1万社導入、資金調達15億円
SmartHR社長の宮田昇始氏。
SmartHRは、Webディレクターをしていた宮田昇始氏と、エンジニアの内藤研介氏が2013年1月に創業。2015年11月に正式サービスを開始した。2018年1月23日には*戦略的スキームSPV(Special Purpose Vehicle)を活用し、15億円の資金調達を実施。2月22日時点で、導入企業は1万社を超えた。
戦略的スキームSPVとは:特定のサービスや企業に対して投資する目的で専用のファンドを設立し、出資を募ること。
宮田氏は、SmartHRのミッションを「人事労務のペーパーワークをなくすこと」だと説明する。企業内で人事労務系の部署は組織を潤滑に回すいわば縁の下の力持ち。“稼ぐ”部署ではないことから、この部署の「効率化」は後回しにされがちだ。
実際、宮田氏に「競合は?」と尋ねると、「社労士さん向けの高価なソフトがあったぐらいで、ほぼ存在しなかった」と言う。SmartHRが急速に企業の人事担当者から支持を集め、サービスを順調に拡大できている理由でもある。
人事労務の作業時間を3分の1に
SmartHRのオフィスには大柄なヤギの置物があるが、これも「ペーパーワークを無くす」という意志の表れだという。
SmartHRによると、人事労務のペーパーワークに代表される「作業の手間」は、大きく分けて次のようなものがあるという。
- 申請用紙を受け取るには、内容毎に管轄している役所へ赴く必要がある
- 日常ではなかなか書くことがない書類のため、記入ミスが頻発する
- 用紙は窓口もしくは郵送で申請することになり、記入から完了までタイムラグが発生する
これらをSmartHRは、IT化で解決する。
実際、どの程度「効率化」ができるのか。宮田氏曰く、トータルの時間圧縮効果は、「導入された企業には紙ベースの時の約3分の1の時間で作業が進むようになったと言われます」。
例えばメンバーの入社が決まった場合、一般的に雇用契約書の締結や雇用保険・社会保険の加入手続きといった煩雑な作業が発生する。
SmartHRを導入している企業の場合、(基本的には)SmartHRにメンバーを参加させるだけでいい。必要な保険や契約書類などが登録されているため、メンバーはスマートフォンの画面にしたがって、必要事項を入力していくだけだ。
人事労務の担当者は、まずシステム上から手続きをする人に対して招待を行う。
出展:SmartHR
招待を受けた人は画面に書いてあるとおりに、必要事項を記入する。画面は入社手続き時の例。
出展:SmartHR
情報が送信され、人事労務が確認し、会社として入力すべき項目を埋めると、書類が作成される。画面の例は厚生年金の申請書。
出展:SmartHR
雇用保険など対応している手続きの場合は、電子申請が可能。
出展:SmartHR
人事労務の担当者は、SmartHRが集めた情報に入社日や給与などを付与し、書類データを完成させるだけでいい。ほとんどの作業はスマートフォンやPC上で完結させられる。別途、管理のための書類などは必要ない。
申請内容にもよるが、雇用保険などの申請であればe-Gov電子申請システムの外部APIを経由して、書類作成から申請まで完全に紙を使わず実行できる。
当然、SmartHR上で作成したデータはクラウド上のデータベースに保存されているので、社員情報の検索や変更も容易になる。
全国チェーンやアルバイトの出入りの激しい企業ほど効果的
メルカリやDMM.comなどIT企業も多く導入している。だが、宮田氏によれば現在はITとはまったく別の業界からも問い合わせが来ているという。
出展:SmartHR
SmartHRの導入企業は、メルカリやDMM.com、SmartNewsなどITやベンチャー企業など、フットワークの軽い企業が目立つ。
一方で、「最近ではレストランや小売店など全国規模でチェーン展開している企業の採用も少しずつ増えてきた」(宮田氏)というなど変化が見え始めているという。
「チェーン展開されている企業は、学生のアルバイトなど入れ替わりが激しい非正規雇用の方が多い。さらに、全国に店舗が散らばっている場合、本社の人事労務担当が、全国の店舗から入社に必要な紙や情報を集めたりしています」(宮田氏)
コシダカホールディングス(東京都港区)が経営するカラオケチェーン「カラオケまねきねこ」もその1つ。北海道から沖縄まで516店舗(2018年3月末時点)を束ねる。
こういった全国チェーン店で紙ベースの人事書類をやりとりをしていると、1カ所の修正依頼のやりとりだけで数日間のタイムロスになる。紙書類×距離×件数で指数関数的に「非効率性」が増加するわけだ。
人事担当の仕事をなくすためのシステムではない
先進的なサービスを提供するSmartHRは自社内の効率化にも積極的だ。たとえば、会議室は面接時など以外は、通常の会議でも扉を閉めてはいけないルールがあるが、これは社内の情報はなんでも共有するための環境作りの一環だ。
とはいえ、新しいシステムの導入には同然コストが発生する(SmartHRは月額または年額制、10名以下の規模の場合は無料)。
「人事労務の業務は“なぜ、その仕事に時間をかけているのか”と言われることが多い作業なんです。それは、従業員の個人情報をかき集めて紙の書類に書き写していくという、付加価値が発生しづらい業務だからです」(宮田氏)
だが、仮にその業務量を半分にできれば、残りの半分でもっと創造的な仕事をできるかもしれない。
そういった考えをもつ経営者は実際増えているようだ。
「最近では人事担当者の方に、より付加価値の高い仕事をしてもらいたいからSmartHRを導入する。そんなお話をいただく経営者の方が多い印象です」(宮田氏)
クラウドソーシング大手の「クラウドワークス」の事例はその典型的な実例だという。人事労務担当者がSmartHR導入で空いた時間を活用し、リモートワークや副業解禁などの環境を整備し、働き方改革の促進に生かした。
SmartHRのオフィスは来客スペースと執務スペースを分ける壁さえ存在しなかった。
働き方改革の中で、リモートワークやフリーアドレスなど“働く場所”の改革ばかりに注力しがちだが、バックオフィスの改革にはまだまだ効率化の余地がある。SmartHR以外にも、そうした業態のスタートアップは増えている。HRテックの分野は今後も、注目度の高い分野になっていくだろう。
(聞き手・伊藤有 文、撮影・小林優多郎)