公文書改ざんは「森友」だけの問題ではない。プロが指摘する「行政活動の質の悪さ」

学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書の改ざん問題では、改めて公文書のあり方が問われている。決裁文書の改ざんという事態をどう見るのか。日本での公文書の管理はどうなっているのか。情報公開制度の活用を広める活動をし、公文書管理に詳しいNPO法人「情報公開クリアリングハウス理事長」理事長の三木由希子さんに聞いた。

財務省

森友学園を巡る公文書改ざん問題で問われている本質は、公文書の在り方そのものだ。

REUTERS/Stringer

—— 今回の公文書の改ざんの問題を、「森友問題」として読み解くのではなく、行政文書全体のあり方として考えることが必要だと言われています。

三木:財務省に限らず、役所には「記録に残っていると不都合」「記録にあっても出したくない」類の文書はあります。今回の「森友学園に対する国有地払い下げに関する決裁文書」は、まさにその一例。そもそも、この払い下げの経緯を、政府が洗いざらい全て話したとしても、おそらく国民の理解は得られないし、批判の対象となるでしょう。なぜならば、そもそもの契約内容の妥当性が疑われている案件だからです。

決裁文書の改ざんは誰が、誰の指示で行なったのか。政治による圧力があったのか。なかったのか。それは調査が進まないと分かりません。ただ現場の役人が、行政文書の「改ざん」というイレギュラーな対応を上から迫られた場合、その経緯を具体的に残すことで自分の立場を守ろうとすることは理解できます

つまり、文書で記録を残すのは「リスク管理」の側面がありますが、それを公文書として管理しているかは別問題です。今回は決裁文書でしたので、明らかに公文書ですが、「改ざん」というイレギュラーな行為が表面化し、今回のように政治問題化してしまうと、現場レベルでリスク管理できる話ではなくなってしまいます。

結果的に、今回はリスク管理の一環として、決裁文書に契約の経緯を詳しく書いて残したことが、最終的に改ざんに至るというリスクを引き起こしたとも言えます。

決裁文書変更には新たに起案して決裁が必要

森友学園の小学校

森友学園と政治の癒着への疑念から見える日本の公文書管理の在り方。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

三木:当初、政府も財務省も、改ざん前の決裁文書の存在を否定しましたし、そもそも森友学園問題については一貫して情報公開に消極的でした。自分たちの利益を守ろうとしたのです。しかし、多くの人には、その態度そのものが、不正(改ざん)をやっている証のように映ったのではないでしょうか。

行政文書は政府活動の結果、発生するものです。つまり、政府活動の質が悪かったり、適切性や合理性に欠ければ、行政文書の扱いや情報公開もおかしくなるのは当然。今回の事件は、その典型だと思っています。

——行政文書において、一度決裁されたものが修正されることはありうるのでしょうか?

三木:常識的には、今回の「改ざん」のようなことはあり得ないと思っています。決裁文書は、組織としての意思決定を行った証拠の文書です。財務省文書取扱規則では、決裁文書について次のようにその取り扱いを定めています。

「起案の趣旨、事案の概要及び起案に至るまでの経過を明らかにした要旨説明を案文の前に記載するとともに、重要と認められる部分又は問題点があるときは、要旨説明の中その他の適当な場所に明記する。」(13条3号)

また

「決裁文書は、関係資料を一括し、容易に分離しないようとじる。」(13条7号)

つまり、一度決裁された文書について、後から重要な間違いなどが発覚した場合には、決裁文書を直すのではなく、新たに起案がなされ、改めて決裁のやり直しが必要なのです。

今回決裁文書で書き換えられたのは、経緯などをまとめた調書と言われる部分。今回のケースでは調書が異例というほど細かく、貸付や売却契約に至るまでの国会議員からの陳情、契約相手方の森友学園からの働きかけ、小学校の認可前からの交渉になった理由、土地の所有者である国土交通省とのやり取りなどの経緯が消えています。

つまり、特例的なものであることが分かる部分がすべて消えています。決裁文書で公開できない部分があれば、非公開にするというのがこれまでの常識でしたが、非公開にもせずに改ざんしたのは、最悪です。財務省は報道機関のスクープによって、その書き換えの事実が報道され、大きく事件化したので書き換えた文書の存在を認めましたが、報道がなければやぶの中でした。

情報公開法まで続いてきた行政文書の隠蔽

——なぜ、このような改ざんが行われたのか。官邸支配という言葉があるように、官僚の人事を官邸が握ったことによって、官僚が官邸の意思を忖度した結果だという報道がありますが?

三木:人事の影響が全くないとは言いませんが、そこに問題を収れんさせてしまうのは違うかなと思います。

そもそも、日本で行政文書の公開が原則義務づけられたのは、情報公開法が施行された2001年以降。国民が政府に対し情報公開を請求し、場合によっては裁判になって、官僚や政府のコントロールを超えて判決によって公開が命じられるようになってから、まだ20年もたっていません。

それまでは、報道機関に抜かれて問題が露呈することがあっても、ある意味、社会の批判にさらされずに隠蔽されてきました。つまり、こうした構造を前提に行政のプロセスが行われ、政治家と官僚の関係が続いてきたのです。

情報公開法施行以前は、公文書を定義した法律もなく各省庁で管理している文書の範囲もバラバラで、情報公開法で初めて行政文書という共通の定義ができました。公文書管理法ができるまでは、現在と比べると自由に行政文書が廃棄されていたのです。現在は文書の廃棄は各行政機関の独自の判断ではできず、形式的ではありますが内閣総理大臣の同意が必要となりました。つまり、昔ほど自分たちの都合で文書を廃棄することはできなくなったのです。

一方、情報公開が進めば進むほど、役所から公開される文書の中身が薄くなったのも事実です。また形式的には行政文書に該当する扱いをしていても、外からはどのように文書を扱っているかは分からないので、個人のメモ扱いにして行政文書ではないとするケースがあることを露呈させたのが、加計学園問題です。政治家と役所の構造的な関係が、一連の「改ざん」の温床になっているのだと思います。

詳細・概略の「二重帳簿」を使い分けるケース

財務省前

財務省の公文書改ざんが示すのは公文書管理の機能不全だ。

REUTERS/Yuriko Nakao

——今回の「森友問題」は財務省の管轄だったのですが、別の省庁でも行政文書の書き換えが行われている可能性はあるのでしょうか?

三木:決裁文書の書き換えではありませんが、例えば、ある行政文書に関して「二重帳簿」のように使い分けているケースはあると思います。ある事案に関して「詳しい文書」と「概略の文書」を作っておいて、表向きには「概略の文書」しか行政文書として管理していないことはあると聞いています。この場合、情報公開請求では公開されても概略の文書しか出てきません。「さらに詳しい文書があるはずだ」と争っても、「あります」と政府が認めない限りは、何か根拠がない限り「あるはずだ」という指摘以上には進めません。

つまり、情報公開や公文書管理を制度化しても、行政運営の適正化、健全化を進め、その「質」を高めようとする行政組織の意志がなければ、その形式も形骸化してしまいます。

——日本の行政組織は簡単に文書やメモが「廃棄」され、その事実が解明できない理由として都合よく使われていることはないでしょうか?

三木:まず、文書を廃棄破棄しない国というのはゼロ。なので廃棄をするなということではなく、何を残すかという判断が重要なんです。アメリカでも全体の6割の記録は保存期間が終わると、自動的に廃棄されますが、記録が残っているように見えるのは、そもそもが政府の活用や機能を示す記録が作成されて保存されていること、保存期間が満了した後に公文書館へ移管される記録量が多いからです。

役人は文書を作って管理するために仕事をしているわけではありません。文書は所掌している業務を行うプロセスで発生してくるもの。もとの仕事が組織としてあるわけです。その組織の仕事は、結局は個人が分担して担っていくわけですが、それが行政機関としての機能、活動の一部になっていくわけです。だからこそ、組織が継続する限り、また組織を維持し、よりよい政策判断を行うためには、記録は残さないといけないんです。

日本では、そういう発想で行政文書としてどこまで記録し、管理しているのかという点に問題があります。その上、そもそも行政文書の内容が薄い上に、移管される行政文書の量自体も少ないので、全体としてうまく機能しているとは言えません。

(聞き手・文:中原一歩)


三木由希子:NPO法人「情報公開クリアリングハウス理事長」。専修大学非常勤講師。横浜市立大学文理学部卒。大学在学中より情報公開法を求める市民運動にかかわり、その後事務局に。1999年7月NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の設立とともに室長となり、2011年5月から理事長。情報公開・個人情報保護制度などに関する調査研究、政策提案をし、情報公開制度の活用を進める。共著に『高校生からわかる政治の仕組み 議員の仕事』『社会の見える化をどう実現するか―福島原発事故を教訓に』などがある。

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