大企業から“ソーシャル出世”の時代へ。やりたいことができれば利他的になれる

一つの会社で出世を目指すことに魅力を感じない、むしろ会社に何かあったら、生存確率は下がってしまい自分の身が危うくなるだけでは?

編集部が取材した若手ビジネスパーソンたちからこのような声が上がるほど、今「出世観」が揺らいでいます。人によっては、キャリア形成の拠り所を失いつつあるのかもしれません。

それでは今後、テクノロジーの発展やパラダイムシフトによって、「出世」の形、目指す指針はどのように変化していくのでしょうか。また、それを実現するために必要な思考法とはーー。

そこで今回は、こちらの記事でも取材し、ビジネスパーソンのキャリア支援に長年携わってこられた株式会社CORESCO代表取締役の古森剛さんにお話を伺います。

古森さんもまた、以前に代表取締役を務めたマーサージャパンとフェローシップを続けながら、自らの会社を経営し、NPO法人を立ち上げるなど、一企業に留まらない新しい出世の形を実践されているお一人です。

古森剛さん

時代が変わっても「人びとに認知されたい」という欲望は変わらない

—古森さんは「出世」をどのように定義されていますか。

究極には「広く人に認められること」だと思います。「世の中の人びとに認知されたい」という欲望は、人が人として生きている以上、自然と出てくるもの。人間の脳は太古の昔からブドウ糖と「認知」を食べてきたようなものです。その根本は変わらないと思います。

ただ、「これまで」「これから」という二元論はあまり好みではありませんが、確かにこれまでは「会社における昇進=出世」とみなされていて、それが認知の媒体になっていた側面はあったのでしょう。大きな会社で良いポジションに就くことが「出世」ということだった。

けれども新卒一括採用/終身雇用制というシステムが崩れ、はたらき方が変わる中で、個人と企業、個人と仕事の関係性は当然変化してきます。

—すでにその変化は現れてきていると思いますが、具体的にどのように変化していくのでしょうか。

まず個人と仕事の関係性で言えば、最も意識しなくてはならないのが「機械との差別化」でしょう。今までは他の人間と照らし合わせて、「どちらの能力が高いか」と比較されていましたが、これからは「機械とどう違うか」「人類しかできないことは何か」ということを考えざるを得ません。

そう考えたとき、インプットそのものも、今までのようにただ機械的に記憶できるようなものではなく、人間らしさや一人ひとりの個性を意識しなくてはなりません。覚えるだけなら、機械のほうが優れていますからね。かと言って、やみくもに「機械に仕事が奪われる」と恐れているだけでは、技術革新という契機を活かせません。ですから、真の技術理解も大事なのです。

そうすると、キャリア選択にかぎらず、学校教育や家庭にまでさかのぼって変わっていかないと、多額のお金をかけて「機械よりもスペックの劣る人材」を作り出していくことになってしまう。今後5年間を考えても、ただ「語学のできる人材」だけではマズいですよね。たとえ英語ができても、感情の起伏や空気の読み方、コミュニケーション方法も変わる可能性がある中で、「人は何をすればよろこんでくれるのか」ということを真に理解する必要があるのです。

出世の根本にあるものは、「人の役に立つ」こと。それによって、人に認知され、出世するということです。機械にできない、人にしかできないことを追求するだけでなく、機械を通してどう人に役立てるかということを知ることも大切。つまり、これからの社会で大きなテーマとなるのが、「自分はどう人の役に立つのか」ということなんです。

—個人と企業との関係性においてはいかがでしょうか。

すでに起こっている変化としては、「パラレルキャリア」「複業」などを積極的に取り入れる企業が注目されています。けれども、実際のところこれは今に始まったことではありません。

そもそも、「大企業に就職して出世する」ということ自体が、マイノリティなんです。一見、東京ではそれがマジョリティに見えますが、地方都市では今までも中小企業や個人事業を生業としてきた人びとも多くいたわけですから。

それを前提としても、大なり小なり「大企業志向」は変わりつつあると思います。実際、2000年代ごろからバブル期入社組が起業し、ITバブルを経て、業界も発展して、個人として世に出る人も増えてきました。

そもそも、人間は「自由に生きたい」と思っています。認知欲と同様、自由を求める欲求は止められないものです。その欲求に即した形に、実際なってきているということだと思います。一つの会社にずっと居続けなくても、生きられるようになってきた。反面、個人として価値を生み出せない人は、たとえ大企業にいても価値を生み出せなくなってきた、と言えるかもしれません。

例えば、パソコンやインターネット、ソーシャルネットワークによって格段に便利になったことで、個人として付加価値を持っている人は、どんどん自由になってきました。その付加価値に自信がある人びとは、制約さえなければどんどん複業やパラレルキャリアなどといった方向に行くでしょう。

これは「流行りだから」というわけではなく、必然的なことです。技術革新によって生産性が上がり、価値観の変化によって、より楽しさや自由を求め、自発的に動き、努力する人が目立つようになってきたんです。

「自分にしかできないこと」にこだわり、真摯に努力したり、リスクをとったり、今いる場所を離れ、新たな場所を作ったり… それこそが今の時代における「人の役に立つ」ということなんです。そういう意味では、本来の人類社会に戻りつつある… より出世の本質に立ち返りつつある、ということだと思います。

古森剛さん

—企業の中でのあり方を問われていた個人が、より個人として「むき出し」になるような感覚なのでしょうか。

そうですね。出世の表現型が大企業に限定されるのではなく、よりソーシャルになっていく、ということです。これまでは、大企業にいて、その中で名を成せば「この人はすごいな」ということが伝わりました。

けれども今はソーシャルネットワークでの発信がモノを言う時代。反面、良いものも悪いものもすぐに「バレる」ということ。中身がないのに偉そうなことを言えばすぐ炎上しますし、能力がないことを隠し立てできません。表向きの価値と本当の能力がイコールになったということです。

—ある種「大企業の威を借る」ことができなくなったということですね。そうなると、「自分は平凡な人材だ」と思っている人は、なかなか自己実現が難しい時代と言えそうです。

自信がない人は、会社の中でも厳しいでしょう。いや、でも個人として名を成すことに限る必要はありません。個人だけでなく、チームとして認知されたり、成果物を通して認知されたりすることもあり得る。

これからのリーダーとしての役割も、「舞台を回せる人」ではなく「舞台を作れる人」に変わってきます。少なくとも、「見せかけのブランディング」や「努力をしている人にただ乗りするフリーライダー」が通用しなくなって、まっとうな人が認められるようになる、という意味では、歓迎すべき流れではないでしょうか。

まっとうなものが評価される、より健全な時代になる

—では、これからの出世の形はどういったものになるのでしょうか。

ソーシャルで個人の活動が伝わりやすくなることを踏まえると、仕事に限らず、NPO活動や地域活動、子育てなど、あらゆる活動もまわりに伝わりやすくなるということです。

今までは、会社のみに限定されていた「出世」という概念を、「人びとの役に立つことによって起こる社会的認知」と捉えれば、より広いものとして成り立っていきます。「ウソのない、まっとうなものが評価される」ということは、これからは営利非営利問わず、本当に役立つものにはお金が集まるということです。

欧米などでは以前から、寄付したり、チャリティや非営利活動を行ったりすることは馴染みのあったことですが、日本でも「この活動にはこういった意義があって、持続的に行うにはこれだけの資金が必要です」とSNSなどを通じて広く知らしめることで、お金が集まるようになってきました。

クラウドファンディングもそうですし、私もNPO活動を行っていますが、多くの人が経済価値を認めて、助けてくれるようになりましたよね。テクノロジーが発達して、ある種実体のないお金がマネーゲームのように浮ついていることもありますが、本当に役立つものにもお金が集まりやすくなっています。

「儲かるのが先か、役立つのが先か」という二元論になりがちですが、そもそも価値って、本当に役立つものにこそ見出されるもので、だからこそ儲かるものだったはず。そう考えれば、ごまかしが効かず、学歴や社歴にかかわらず、営利非営利問わず、これからの時代は「役に立つ」ということが先に来るということでしょう。

誰でもできるようなことは機械にまかせればいいわけですから、思考停止して、誰かに乗っかっていれば安泰だと考えているフリーライダーは、厳しい状況に置かれますよ。

—大企業ではある種、上司に気に入られたり、部下の功績を自らの功績に仕立てたりして、出世するような人もいます。

結局、大企業にかかわらず、人間が作る社会というのはそういう人が生まれやすい側面があるんですよ。経済合理性を考えれば、フリーライドは自分の努力以上に得られるものも大きいですから、それを一概に否定しきれないのも確かです。

けれどもそれが通用しなくなってくるのだとしたら、「自分が世の中にどんな価値を生み出せるのか」ということを言葉で説明できる必要があるのです。「自分の得意なことはなんだろう」「役立つことはなんだろう」「自分の価値はなんだろう」と真摯に問いかけ、もしそれに答えられないのなら、答えられるように努力すべきなんです。

古森剛さん

「やりたいこと」をやることで、利他的になれる

—古森さんご自身、一企業に留まらないパラレルキャリアを構築されていて、まさに「新たな出世の形」を体現されていると思います。それを実現するために必要な思考法はどのようなものでしょうか。

自分が今やっていることは、決して計画してやっているわけではないんですよ。「コンサルタントになろう」なんて一度も思ったことはなかったのに、結果的にはコンサル2社に勤めている。自分で選び取ったというよりは、人との出会いや縁によるものが大きいですね。

ただ、大切にしているのは、人の気持ちを考えることが得意だったり、「ありがとう」と言われることが好きだったり… 自分固有の良さが活かされるようなことが仕事になるように、努力はしてきたつもりです。たまたまめぐりあった仕事でも、自分の価値観を表現しようと取り組んで、ある種「人間らしい」ところから逃げないようにしているんです。

そうやって仕事しているうちにスキルが変化していって、今度は研修やセミナーを行うことになって… 別に「講師になろう」と思ったわけではないですからね。「会ってよかった」と思ってもらいたい一心だったわけです。

これからの時代、「こうすれば生き残れる」「この枠組みを選ぶべき」とはあまり考えず、「自分らしい」という点に何らかの法則性が出てきます。それは機械に真似できないことですしね。ただ、「たまたま人の役に立った」ではなく、「誰かのためになりたい」と思うこと。それを利他的に表現していくと、仕事になるんです。

—仕事において利他主義になる、ということでしょうか。

利他的になろうとして利他的になれる人は少ないと思うんです。私だってそうですよ。

ただ、何か利他的になれた理由があるとすれば、自分が「やりたい」と思ったことは抑え込まなかったことが挙げられるかもしれません。貧しい家庭でしたし、決してお金に余裕があったわけではなくても、欲しいものを買ったり、食べたいものを食べたり… 好きな人に「好きです」というとか(笑)

些細なことでも自分の「こうしたい」に正直になって、それを一つひとつ潰していく。そうすると、「自分は満たされていない」というストレスがあまりないんです。小さく満たされていくと、比較的早く他者のことを考えられるようになるんですよね。

自由になるためには責任が伴うけど、やりたいことをやって、満たされているからこそ、その苦労も厭わないと思えます。自分だけに返ってくる苦労なら、どんどん取っていけばいいんです。

けれども自分のやりたいことをやっていないと、小さく小さく満たされなくなっていく。それは仕事でもキャリアでも一緒です。「これは大変そうだな」と思っても手を挙げる。「イヤだ」と思ったら断る。よく「仕事は最低でも3年続ける」と言われるけど、3年間耐え忍んでやって、イヤなことを引き受けていたら、いつまで経っても満たされないし、利他的にはなれません。

好きなこと、やりたいことをやった結果、起きた波紋を自分で掬いとっていくと、自由になれるんです。ただ、それには責任が伴います。起きたことはすべて自分のせいということですね。

—一方で、それだけ自分にかかる責任が大きいと、リスクを取りたがらない人も出てくるのではないでしょうか。

よく部下に「どんどんやれ。失敗しても自分が責任を取る」と引き受けてくれるのが理想的な上司像だと思われるけど、個人的にそれはあまりよくないと思います。フェアではないですよね。シビアに映るかもしれないけど、人を育てるという意味では、「自由にやる。ただし結果も自分で引き受ける」というのは必要なことです。

日本がよく「失敗が許されない文化」だと言われるのは、失敗に対して懲罰的な態度が取られがちな側面かもしれません。

私のいう「自己責任」とは、やりたいことをやって、結果が伴わなかったのなら、自分でしっかり面倒見るということ。うまくいかなかった理由もやった本人がいちばんわかっているし、しっかり分析して、それをシェアしろ、ということです。これはフェアですよね。

「失敗したら給料下がるぞ」とか「テストの点数下げるぞ」とか、そういう環境で育ってくれば、「失敗を恐れてリスクを取りたがらない」というのはうなずけます。

—失敗を恐れるというよりは、それによって起こる自分の地位低下を恐れているということですね。

本来的にあまり「挑戦したくない」という個人はいないと思うんです。育ってきた環境で多くは決まってしまっていて、「自分がどうしたいのか分からない」という人が多いのも、そのせいだと思います。

時代は移り変わるものですから、人を育てるときに自分を再生産してはダメなんですよ。「俺が若いときにはこうした」とかね。「自分を押しつけない」「一人ひとりは違うもの」という前提に立って、私が気をつけているのは、その人の好奇心の芽を摘んだり、邪魔したりしないということ。その人がパッションを持てるものや価値の作り方は、すべて個性ですからね。人間が人間らしい瞬間を大切にしなければ、人は機械に劣る存在になってしまいます。

企業は今まで、画一的に教育できるようにまっさらな新人を採用してきたわけですが、これからのまっとうな感覚の企業というのは、個人を矯正して、埋没させるようなはたらき方を推奨するのではなく、その人ならではの個性を尊重し、大切にするようなところだと思います。

古森剛さん

(取材・文、大矢幸世、岡徳之)

"未来を変える"プロジェクトから転載(2017年1月31日公開の記事)


古森剛:株式会社CORESCO 代表取締役。新卒で日本生命保険相互会社に入社、営業本部や人事部を経験。在籍中に米ウォートン・スクールでMBAを取得し、帰国後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。その後、組織・人事マネジメントコンサルティング会社マーサージャパンに移籍し、日本法人代表も歴任。株式会社CORESCOを創業し、代表取締役に就任。現在もマーサージャパンのシニア・フェローとして協働関係を維持。東北の震災被災地支援を行う、一般社団法人はなそう基金の代表も務める

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