女子レスリングで五輪4連覇を果たした伊調馨選手(33)に対し、日本レスリング協会の栄和人強化本部長(57)がパワハラをしたとする告発状が出された問題で、第三者の弁護士による調査報告書において複数のパワハラ行為があったと認定された。レスリング協会は4月6日、栄強化本部長の辞任を発表した。
報告書では、伊調選手に対し栄氏が「俺の前でよくレスリングができるな」と発言した行為など、複数の事実をパワハラと認定したとしている。
「俺の前でレスリングができるな」との発言は「競技するな」という命令にとれる。にもかかわらず、栄氏はヒアリングの席で「そんなつもりではなかった」という趣旨の釈明をしたという。
男性中心で排他的な役員構成
なぜ、日本のスポーツ界は女性に対するハラスメントが起きやすいのだろうか。 スポーツ環境におけるパワハラやセクハラなどのハラスメントを研究する明治大学政治経済学部教授の高峰修さんらが挙げた「男性から女性へのハラスメントが生じやすくなる背景」の主な要素は5つ。
- 男性中心主義で排他的な役員構成:その競技の元選手のみで運営しているため、女性よりも構成員の規模が大きい男性の価値観が中心になりやすい。
- 勝利至上主義、パフォーマンス(実績)至上主義:指導者や運営側になってからも、コーチングや運営手腕より現役時の戦績が序列を左右するため、既存の価値観や組織文化の問い直しを図れない。栄氏のように指導者として戦績を残した人の発言権が肥大化する。
- 強い権力関係・理不尽な人間関係:大会(五輪など)に出場する選手の決定権をも持つ側(監督や協会)に対し、選手の立場は弱く受け身になりがち。
- 集団主義と服従:個人の人権は軽視され、組織にとって都合の悪いことは隠ぺいされがち。
- パワハラやセクハラについて「スポーツ(の現場)では許される」「スポーツはそういうもの」という諦観や受容がある。
このどれもが、今回の件を見る限り、女子レスリングに当てはまる。1896年アテネ大会からグレコローマンが五輪種目だった男子に比べ、女子が五輪競技として採用されたのは2004年のアテネ大会からだ。後追いの形になった女子では、指導者の多くが男性。その男性組織が培ってきた文化が女子においても基本になる。
この点で同じことが言える女子柔道、女子サッカーでも近年、問題が発覚している。
女子柔道は2013年に女子の日本代表監督がパワハラで告発された。女子サッカーは2014年になでしこリーグのチームが選手へのセクハラ行為を理由に監督を解雇した。どちらのケースも被害者をサポートしたのは女性の関係者。ともに現場から追われるかもしれない覚悟をもって寄り添ったと聞いている。
今回の伊調文書を内閣府に提出したのは男性のレスリング関係者だったが、いずれにせよ日本のスポーツ界でハラスメントを告発するには非常にハードルが高いのが現状だ。
大会に出場する選手を選ぶ権利を持つ側に対して、選手の立場は弱い(写真はイメージです)。
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「部屋で飲もう」と誘われて
「女子レスリングのセクハラ報道があったときも全く驚きませんでした。レスリング協会は最初、ほとんど調査もせずにすぐに何もなかったと発表したよね。日本の女子アスリートが置かれた環境は10年前となんら変わっていないのです」
そう話すのは、西日本のある地方都市に住む女性(30代)。大学時代、球技系の体育会に所属していた。インカレと呼ばれる全日本学生選手権を狙うような強豪校で中心選手だった4年生の夏、チームメートであるA子さんからの電話を受けた。
「監督に性的な行為を求められた、と。セクハラです。本当に驚きました。彼女は泣き叫んでいて。すぐに会おうと言いました」
彼女同様チームのエースだったA子さんは、大学の教授でもある監督(当時50代)から高校生の大会にスカウティングに行くので同行するよう指示を受けた。同行することは彼女たちにとって、特別なことではなかった。 A子さんは監督に伴って大会を視察し、ホテルで食事。「部屋で飲み直そう」と部屋に誘われた。
その日見た高校生のプレーや卒業後の進路のことなどさまざま話していたら、突然監督に抱きつかれた。椅子に座ったまま、体を触られた。A子さんは衝撃のあまり、最初は体が動かなかったと女性に話したそうだ。それでも少しずつ抵抗していたら、酒の酔いがまわったのか監督のほうが寝てしまった。すぐに当時付き合っていた交際相手に車で迎えに来てもらい、女性に連絡したのだった。
「好きだった」と言い訳する加害者
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栄強化本部長も「選手と恋愛をしなければ指導できない」と、選手への愛情を男女の関係にたとえた。「選手に手をつけた」と明言していたことからも、パワハラをする指導者はセクハラにも走るのかと考えてしまうが、実はそうとも限らない。
前出のA子さんにセクハラをした監督が、その一例だろう。
女性によると「監督は、当時体育系の大学にいた暴力・暴言に頼る高圧的な指導者と 一線を画すような人だった。私たち部員はみんな監督が好きでした」
だからこそ許せなかった。電話で「何てことしてくれるんですか!私たち、監督のこと、信じていたのに……」と抗議した。
すると「好きだったんだよ」と訴えるように言うではないか。
「頭おかしいの?自分の立場をわかっているの?って思いました」(女性)
仮に好きだという気持ちが本当だとしても、自分の立場で上記のような行為に及ぶことは、スポーツに取り組む選手に対する権利の侵害になる。
「相手もそんな意識はないと思っていた」 と栄氏も同様のコメントをしていたが、そのように言い訳する指導者は非常に多い。それで被害を受けた側が「私が誤解させるようなことをしたからだ」と自分を責めることもある。A子さんも直後は自分を責めていたという。
謝罪もなければ辞任もなかった
前出の高峰さんとともに研究を進めてきた大阪府立大学高等教育推進機構の熊安貴美江准教授は「(上記のような行為は)立派な人権侵害です」と断言する。
「被害者が反省する必要などありません。監督、コーチという自分の権力の重さに対する無自覚が、セクハラを生んでいる。日本の指導者はそこをもっと自覚しなくてはいけないのですが、なかなか理解が進まないのが現状です」
企業や大学などのセクハラに対するコンプライアンスはかなり整備されてきた。それに比べ、スポーツ界は大きく出遅れたままだ。 高体連や高野連などの所属組織を対象にした「国内のスポーツ統括組織における取り組みの現状」(前出・高峰教授)の調査結果では、2013年時点で「暴力やハラスメント、ドーピングなどの倫理的問題や金銭的問題が起きた場合の規程やガイドライン」がなく、その計画もない組織は46.8%、実に約半数にものぼる。
女性とA子さんはその後、大学の他の教授に助けを求めヒアリングを受けたが、現われたのは全員男性だった。聴き取りの中で「二度とこのような行動はさせない」と約束してくれたが、A子さんの「第二の被害者が出ないように、監督をすみやかに辞めさせてほしい」という願いはかなわなかった。監督への処罰もなければ、A子さんに対する直接の謝罪もない。まるで何事もなかったかのように、練習に出続け、指導をし、試合の指揮をとった。
日本のスポーツ界全体がセクハラ問題に向き合わなければ、事件はなくならず、ひいては振興や普及に影を落とすことになる。今回のように男子のレスリング関係者が伊調選手をサポートしたことは、男性たちのハラスメントへの意識向上を感じさせる。
(文・島沢優子)