アメリカの名門大学7校に合格した高校生のエッセイ、その全文

ケンワージーさん

ケンワージーさんはハーバード大学を含む7つのアイビーリーグ校に合格した。

Luke Kenworthy

17歳のルーク・ケンワージー(Luke Kenworthy)さんは、緊張していた。

3月最終木曜日のこの日は、アイビーリーグの8大学全てが入試の結果を発表する日だ。 彼は、マサチューセッツ工科大学には落ち、シカゴ大学とカーネギーメロン大学は補欠で繰り上げ合格待ちという状況だった。

「はっきり言って、自分がアイビーリーグに入るのは無理だろうと諦めていた」とケンワージーさん。 しかし、選考結果の通知を開いたとき、諦めは一転、興奮に変わった。アイビーリーグのほとんど全ての大学から入学を許可されたのだ。ハーバード大学、プリンストン大学、ブラウン大学、コーネル大学、コロンビア大学、ダートマス大学、そしてペンシルべニア大学。イェール大学には補欠合格した。

8校のエリート校を受験する学生たちは皆知っているが、アイビーリーグに入ることは恐ろしく難しい。例えばハーバード大学は、約4万人が応募し、今年合格したのは5.2%だった。


親子

ケンワージーさんと父親。

Luke Kenworthy

これらの大学は、学業成績と課外活動への参加の両方を重視する。シアトル近郊にあるマーサーアイランド(Mercer Island)高校3年生のケンワージーさんは、高校の全ての教科で優秀な成績を収め(彼の好きな科目は、物理と比較政治学)、生徒会にも深く関わっていた。セルビア、トルコ、グアテマラへも旅行した。

入試では、エッセイも重視される。ケンワージーさんは教育コンサルタントのCollegeVineで、デューク大学生物化学エンジニアリング専攻のメンターの指導を受け、エッセイの改善に取り組んだ。彼は子どもの頃の個人的な体験について書くことにした。

「こんなことをエッセイに書くのは少し変な気がしたけれど、自分にとってとても重要なことだと思った。これまでの経験から、今の自分が作られているわけだから」

彼は、大学入学出願用のエッセイをBusiness Insiderへ提供してくれた。以下が全文だ。


父の胸に顔をうずめて泣いていたとき、そこから感じるやわらかな鼓動がほんの少しだけ慰めになった。

当時、私は小学5年生だった。ボーイフレンドに殴られた母が病院に運ばれた、と父が教えてくれた。自分を散々な目に合わせた母が不幸な目にあったことに、自分が悲しんでいることに驚いたのを覚えている。

自分が8歳のとき、今の自分よりも若い10代の連中と家で大騒ぎをした母。何日もバーに泊まり込んだ挙句いなくなった母。酔いつぶれて意識をもうろうとさせながら父を絞め殺そうとして牢屋に入れられた母。父が単独親権を獲得してから1年以上、自分の人生に彼女は存在しなかった。彼女に悩まされる生活は終わって、全て忘れたつもりだった。それなのに、彼女の腫れた顔や腕のあざを想像すると、熱い涙が頬をつたった。

子供のころの自分は引っ込み思案で、母親の不在がそれに拍車をかけた。人から受け入れられることで、母親の存在を補い、不自然に不安を押し込めていた。6年生のとき、友達の気を引こうと努力したが、結局グループでいじめられた。7年生で学校を変わったときには、新しい人たちと関わるのが怖くなっていた。自分が、変えられない社会階層の底辺にいるように感じていた。次の年には活動範囲を広げられるようになったが、自分が他人にどう見られているのか、いつもびくびくしていた。

高校に入ってからも、自分の不安について考えることを止められず、母親の思い出について父と語り合った。そんなときには必ず、父のシャツに顔をうずめて泣いていた5年生のあの日を思い出した。あのときの無力感は忘れられないが、何度も思い返すうちに、違った捉え方をするようになった。

もし自分が、母親のような境遇で育っていたら ーー 。アルコール依存症で虐待を繰り返す父親と無関心な母親に育てられ、支配欲の強い男性たちと異常な関わりを続け、不公平感を紛らわすために深酒し、気づいたときには自分で自分を止められなくなっていた。自分があの母親だったならば、彼女とは少しは違った人生を送ることができていただろうか。そんなことは知る由もないが。

そのとき初めて、こう考えられるようになった。自分は母の靴を履いて歩くことはできない。誰も自分の靴を履いて歩くことはできない。人が自分をどう理解していようと、それは基本的には正確ではなく、他人の目に映る自分の姿まで心配する必要はないということだ。この気づきが自分に自由を与え、ようやく自分自身でいることが楽になった。

それからは、もっと心を開くようになった。高校生活では、共通の話題を探すのではなく、宇宙旅行や哲学など、自分がわくわくするような考えについて話すようになった。ほとんどステータスだけのためにやっていたアメリカンフットボールをやめ、純粋に走ることが好きだったので、クロスカントリー競技を始めた。そして、クラスメートの1日を少しでも明るくするため、毎朝、彼らが来るたびに教室のドアを開けてあいさつするようになった。生徒会での役割に打ち込み、ついには会長に選ばれた。そのときでさえ、その役職自体よりも、他の生徒を支援する方法として、その立場を利用できることに意味を感じていた。自分の中の友情関係は、認められるために頑張るものから、お互いを純粋に尊重し合うものに変わっていった。

あの夜、父の心臓の鼓動を聞きながら、怒りと悲しみでいっぱいだったことを思い出す。しかし、後になってみれば、母から学んだ教訓に感謝している。あの痛みは、恐れずに自分自身を表現することができる今の自分になるための、必要なステップだったと分かった。

[原文: Read the essay that got a high-school senior into 7 Ivy League schools

(翻訳者:時田雅子)

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