ハーバードよりも難関「ミネルヴァ大学」初の日本人学生がレールを外れた原動力とは

終身雇用、年功序列というかつての常識が崩れ、「新卒で入った会社のために身を粉にして働いて、出世して、大きなローンを組んでマイホームやマイカーを買って…」という、会社が用意した「大きな物語」に従ってさえいれば幸せになれる時代は終わった、といわれます。そんなこともあってか今、自分なりの幸せとは何か、それを掴むためにはどうすればいいのかという問いに直面し、悩み、もがく人が増えてきているようにも映ります。

こうした時代の空気を(意識するともなく)いち早く感じ取ってきたのは、会社組織にどっぷりと浸かったベテラン社員以上に、若者たちなのかもしれません。そうだとすれば、「大きな物語」を信じて邁進してきた先輩社員がマネジャーという立場になった今、「若者のことが分からない」と漏らしているというのは、自然な帰結のようにも思えます。会社はもっと若者のことを知る必要があるのでしょう。

日原翔さん

ミネルヴァ大学初の日本人学生、日原翔さん。

そこで今回インタビューをお願いしたのは、いまや「ハーバード以上の難関」と言われるミネルヴァ大学に、日本人学生として初めて進学した日原翔さんです。2014年創立のミネルヴァ大学はキャンパスを持たず、4年間で7都市を移動しながら学ぶという全寮制の大学。講義はすべてオンラインで行われ、ディスカッション中心の授業や、企業などと協働して進めるプロジェクトを通じて課題解決の手法を学ぶという、従来的な価値観からすると大変ユニークなカリキュラムをとっています。

有名進学校である聖光学院を中退し、まったく新しい進路をとった19歳の話から、この時代に若者は何によって突き動かされているのか、その「原動力」の正体を探ります。彼の話をそのまま若者を代表するものとして受け取るのは無理としても、既存のレールから自らの意思で大きくはみ出した彼の言葉には、この時代を理解するためのヒントがあるはずです。

WhatよりHowを追いかけるミネルヴァ1年目の日常

―このインタビューでは、ミネルヴァ大学進学という日本人として前例のない道を選んだ日原さんが、今どんなことに夢中になっているのか、またそのように何かに夢中になる時の日原さんの「原動力」はどこにあるのかについて伺いたいと思っています。けれどもその前提として、キャンパスのない、授業がすべてオンラインというミネルヴァ大学の日常というのが、われわれ日本人にはなかなかイメージできない。まずはそこから教えていただけますか。

オンライン授業

授業はすべてオンラインで行われる。

Minerva Schools©

ミネルヴァの教育は、コンセプトとしてとても自由を重んじます。授業は月曜から木曜の午前中だけ。朝9時に始まって12時半には終わります。平日の午後や休日にどのように過ごすかは完全にフリーです。必要な知識は各自で事前に学んできていることを前提としたディスカッション形式の授業なので、準備に費やす時間は確かに多い。けれどもそれもスケジュールが決められているわけではないので、各自のペースで進めることができます。

授業はオンラインなので、物理的な制約も少ないです。PCとインターネット環境があれば世界中のどこでだって授業を受けることができます。テック系のことが好きな友人の中には先日、バチカン市国でローマ法王が初めて開催したハッカソンに参加したというすごい人もいるのですが、それでも授業にはちゃんと出席していました。

僕自身はというと、ダンスが好きなので、授業が終わった後にサンフランシスコのダンスのイベントを見に行ったり、これまで楽器をまともに演奏したことがなかったので、気まぐれにドラムセットを買ってその練習をしてみたり。ミネルヴァは街自体がキャンパスというコンセプトなので、時間があったらまだ行ったことのない地区へ足を伸ばしてみたり、食べ歩きしたりもします。

本を読むのも好きで、最近読んだものの中ではマイケル・サンデル教授の『Justice(邦題:これからの正義の話をしよう)』が面白かったです。実際に先生の授業をオンラインで見たりもしました。ハーバードは大きな大学なので、すべてが20人以下のセミナー形式のミネルヴァとは、その点ではまったく違います。でも、難しいテーマをやさしく噛み砕き、あたかも対話形式のようにして進めるサンデル先生のやり方には、通じるところもありますね。ぜひミネルヴァの先生になって、直接教えてもらいたいです(笑)。

―ミネルヴァ大学の1年目のカリキュラムはかなり特徴的だそうですね。

ミネルヴァでは専攻に進むのは2年目からで、1年目は「HC(Habits of Mind and Foundational Concepts = 思考習慣と基礎概念)」というものの習得に費やします。

HCというのは、知識を習得する以前に、あらゆる問題や状況に直面した時にまず必要になってくる効果的な学び方や考え方のことです。ある問題にぶつかった時にすぐにその問題そのものに取り組むのではなく、その問題の背景にはどんな文脈があって、どんな人たちが関わっていて、そこにはどんな力関係があるのか、そういう細部にまで目を向けるというような。このHCはミネルヴァ独自の学びの科学に基づいたカリキュラムで、全部で100以上の項目から成っています。

カリキュラムの様子

学生はHCで学んだことを活かし、滞在都市で行政、NGO、企業などと実際の社会・ビジネス課題の解決に取り組む。アルゼンチン政府との共同プロジェクトの様子。

Minerva Schools©

2年目以降に専攻するのが社会科学であっても人文科学であっても自然科学であっても、必要になってくる「How」を教わっているという感じです。なので、その授業ではびっくりするほど具体的な話が出てきません。例えばビッグバンの話をするにしても、星の重力や動き方は一切関係なくて、ビッグバンの話を例にとりつつ、この論文にはどんな誤りがあるかとか、どのような仮説を持っているから強い論になるのかとか、そういうことを読み解きます。

これと比較すると、日本にいたころに教わっていたのはひたすらに「What」でした。この単元、この方程式のことは分かっても、それぞれのつながりは見えないという感じ。そこに重きが置かれていなかったように思います。でも、それが間違っている、という意味ではないですよ?

見えない未来から逆算するより、今の最適な決断を積み上げる

―今は「What」よりも普遍的な「How」の力を磨く時期ということのようですが、その先にはどんなことをやりたいと考えていますか? さまざまな選択肢がある中から何かを選ぶという際に、日原さんは何に基づいて決断しているのでしょうか。

勘というか、その時の気分で動くことが多いです。友達の中には「10年後にこれがやりたいから今これをやっている」というビジョンが見えている人もいて、それはすばらしいと思うのですが、僕はあいにくそうではない。物理もいい。経済も面白そう。でも最近は哲学もすごくいいなと思っていて、正直なところまったく絞りきれていないです。

おそらく、将来やりたいことから逆算するみたいな考え方は僕には合わないのだと思います。仮にゴールを設定したとしても、たぶん1年後にはそのゴール自体が変わっている。だったら僕はその時々に一番興味のあることをやろう、と。それが続けばいいし、続かなければそれはそれ。悪く言えば適当な生き方ですけど、やっているうちに自分でも意外な道ができたらいいなと思っています。

実は、今ミネルヴァにいるのもそう考えてやってきた結果だし、聖光学院を中退してカナダのUWCへ行ったのもSpontaneousな決断でした。将来国連に入るためとか、外交官になるために海外の学校へ行くとかではまるでなく。振り返ってみたら一本の道でつながっているように見えなくもないけれど、当時考えていたのは、「今一番心惹かれるカリキュラムを提供している学校はどこか」ということでした。そう考えた結果としてここにいる今、というのは悪くないなとも感じています。

日原さんと友人たち

ミネルヴァの友人たちと登山して、初日の出参り。

今はこれだけ変化の速い世の中なので、そうした変わりつつある世の中に適応すべく、その場その場で最適な決断をする。予測できない未来を予測して道筋を組むくらいなら、その時に納得した道を選んで、後から振り返るくらいでいいんじゃないのかなと思っています。

―経験がない中で自分の選択が最善であると思って行動するのはとても難しいことだと思うのですが、その点に関してはどう考えていますか?

もちろん、最善だと思ってやってみたらそれが間違いだった、失敗だったということは誰でもあることだと思います。でも、そういう結果を自分で引き受けるというのは、決断に必ず伴う「責任」だと思うので。大事なのは、「それはそれでいいじゃん」と思えるかどうか。だから、度胸というほどのものでもないですが、僕の場合は「やる」と決めたらもう迷わないですね。

「日本人初のミネルヴァ進学」ということで注目してもらっていますが、今のような状況にあるのは、決して僕が特別に優秀だったからではないと思っています。他の人との違いがあったとすればそれは、吹っ切って決断できたかどうかの違いだけ。UWCで仮に失敗したって、日本に戻れば家族がいるし、ミネルヴァに出願した時はまだ卒業生もいない段階だったけれど、そこでうまくいかなかったからといって、人生は終わりじゃない。そうやって吹っ切るのが大事だと思ってやってきました。

そう思わないとどうしたって保守的になってしまって、決断なんてできないじゃないですか。保守的なことが常に悪いことだとは思わないですが、変化という概念自体を恐れてしまっては、この時代には適応できない。自分なりに考えた上での間違いなら、その間違い自体にも意味があると思いますし。

周りの人からインスパイアされて、今ここにいる

―そう考えるようになったきっかけがありますか?

幼少期の日原さん

幼少期の日原さん。弟、妹と。

こんなふうに考えるようになったのはここ2、3年の話で、家族の後押しが大きかったと思います。UWCに出願する時に父親に相談したら、「自分で調べろ。考えろ」と突き放されたんです。逆に自分で考えた上で出した結論であれば、なんであれ尊重してくれる父でした。「ミネルヴァに行こうと思う」と言った時も、僕が父親の立場だったら一瞬でも「えっ」てなると思うんですけど、「自分で出した結論なら、それでいいんじゃない?」と。

思うに決断力というのは、そうやって自由にやらせてもらうことの結果として生まれるものなのではないでしょうか。僕自身、決断には責任が伴うというのも、そうした中から学んだことです。

日本から出てみて気づいたのは、日本人は本当に頭がいいということ。教育が優れているし、子育てする際にしつけが重んじられる文化なので、平均点が高い。賢いし、クリエイティブだし、ビジョンも持っている。世界に出たら欲しがられる人材が山ほどいるんです。にもかかわらず日本国内で高いポテンシャルを押し殺している感じがして、とてももったいないという気がします。

先ほども言ったように、そういう人と僕との違いは、吹っ切って決断できたかどうかだけ。そしてそれが僕にできたのは、自由に決断することをよしとする家族や友人に恵まれていたからだと思います。抑圧されたままでは、何が自由かなんて学ぶことはできない。「結局上の人が決めるんだから」となったら、責任を持って決断することなんてできなくなってしまう。そうではなく、信頼して、自由に決断をする機会を与えることが必要なんじゃないのかなと思います。僕はその点でとても恵まれた環境にあったと、周囲に感謝しているんです。

―今、友人の話題が出ましたが、日原さんは他人と自分を比べて劣等感に苛まれたり、逆にそれをバネにして頑張ったりということがありますか? というのも、「若者が分からない」という人の中には、「今の若い人は他人と競い合う気がない。だから分からない」という人もいるそうで。

ピクニック

UWC出身のミネルヴァ生でピクニックをした時の様子。

他の人と自分を比べることなんてない…とかって言いたいですけど、それは比べちゃいますよね、人間なんで。どうしたって一度は「この人はすごいな。僕はなんでこれまでちゃんとやってこなかったんだろう」という考えが脳裏をよぎります。最終的には「別人なんだし仕方がない。僕には僕のペースがあるんだから」って思うようにしてますけど。

実は、先ほど「Spontaneousな決断だった」と言ったUWC行きのきっかけは、聖光時代のすごく仲の良かった友人の影響なんです。僕と彼とはただダラダラとつるんでいるという感じで、成績もあまりよくなかった。だけどある時、その彼が「ちょっと次の試験は頑張るわ」と言い出して。そうしたら本当にめちゃくちゃいい成績を取ってきたんですよ。それで一瞬、僕だけが置いていかれたような気になった。「友達だと思っていたのに、自分だけは相変わらずだ」って。UWCに出願したのはその出来事があったから。僕だってやれば何かできるんじゃないかって思ったんです。だからすごく影響を受けてますよね。

聖光学院時代の様子

聖光学院時代、文化祭実行委員たちと。

UWCに来てからも、世界中から集まったすごくできる子がまわりにいっぱいいて、それと比較すると、いつも自分への物足りなさを感じていました。でも、そういう気持ちがあったからこそミネルヴァに出願するという決断ができて、その結果たまたま受かったから今ここにいる。まわりにいる人からインスパイアされて、というのは僕にとってすごい「原動力」。そういう意味でも、まわりの人がいなかったらここまで来られなかったと思います。

「若者」だから? レッテルを貼って遠ざけることに意味はない

―今回の取材テーマがまさにそうですが、大人は自分が理解できない相手と出会うと、どうしても「自分とは違う若者だから」という解釈をして自分を納得させがちです。けれども本来、大人だろうが若者だろうがみんな同じ人間であって、そこに世代による違いはない、ということですね。

そう思います。今僕がいるのは「ハーバードより合格率が低い」とかって騒がれている、すごくへんてこりんな大学だし、実際にミネルヴァに来るまでは、さぞすごい人ばかりが集まっているんだろうと思っていました。でも来てみて一番感じたのは、やっぱりみんな同じ人間だったってことで。金曜日になったら騒いで、悲しいことがあったら悲しんで、何かについて夜中まで議論して。「みんな普通じゃん!」って。それは嬉しかったですね。

寮での様子

寮での共同生活の様子。

だから、大人だって若い人だって、本当はそんなに違わないんじゃないかと思います。世の中に慣れきっちゃっている、会社組織に染まりきっちゃってるという大人の人だって、友達と会ったら楽しいとかっていう感情は何歳になってもありますよね? 根本的なところは、何歳になろうと、どの国から来ようと同じなんだろうと僕は思います。

そして、それこそが「いい世界だなあ」って思うんですよ。だって、個人の違いを尊重できるというのは、同質性にも目を向けられる社会だからこそ、と思うので。違うけど同じ。同じだけど違う。「日本人だから」とか「若者だから」とかっていうレッテルを貼って遠ざけることには、意味がないと思います。だから僕のことも、「最難関の大学に通う若者」とか「海外に生きる人」みたいな感じで線を引かないでほしい(笑) 僕の人格というか、僕が僕たり得ている大きな要因は、やっぱり日本の聖光学院での経験だと思いますしね。

(取材・文、鈴木陸夫)

"未来を変える"プロジェクトから転載(2018年3月28日公開の記事)


日原翔:ミネルヴァ大学学生。1998年埼玉県生まれ。聖光学院高等学校を中退し、カナダのPearson College UWCに2年間留学。2017年9月よりミネルバ大学に進学。多様な教育のあり方を日本にも提起するため、ミネルヴァでの経験をメディアを通じて発信。ソフトバンク孫正義氏が未来を創る異能を開花させるため設立した孫正義育英財団準財団生にも選出。

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