留年、休学、浪人、人生の回り道歓迎—— 。大学卒業と同時に、横並びの新卒一括採用が当たり前だった日本企業の採用市場に変化が起きている。
東急エージェンシーはこの4月から、通常の新卒採用とは別に、浪人や休学も含む「留年採用」の募集を開始。リクルートホールディングス(HD)も同時期に一部で始めていた「30歳まで新卒」制度を全グループで始めた。学生にも、新卒での就活を急がない層が生まれている。
新卒一括採用市場も、多様化を始めている。
「またうまくやれるんだろうな」
「突然、もう勉強したくない!と、降ってきたように思ったんです」
東京大学で教育学系の学問を専攻する、あかりさん(21、仮名)が大学院への進学をやめようと決めたのは、3年生の3月も末のこと。大学院進学希望者で作る学内の勉強会のガイダンスに出席し、すべて教科書も買いそろえた翌日の夜のことだ。
「東大生だからといって、院への進学が優遇されることはありません。大学受験並みの勉強をするつもりで、先輩の話も聞いて、大まかな勉強の計画も立てていました。なのに、さあ寝ようとベッドに入った途端、やりたくない。勉強したくないという強い気持ちが沸いてきました」
関東地方の進学校を卒業し、現役で東大に進学。小学校の頃から親に言われるまま水泳、書道、英語と週5日間の習い事に通い、中学校の成績はほぼいつも学年で1番。
「勉強は自分で計画を立てて実行する。塾や予備校にも行かずに東大に入りました」
「消去法で」教育学系の就職を想定し、大学院に進学しようと考えた。
「またうまくやれるんだろうな」と思っていたが、いきなり突き動かされるように降って湧いた「やりたくない」だった。
満たされなかったら意味がない
「大学院に行きたくない。卒論を書くのもいや」
そう思った瞬間から頭が冴え渡り、もう眠れなかった。休学、退学をインターネットで検索して、そのまま朝4時まで休学や退学した人の体験談をブログやツィッターで貪るように読み漁った。
翌日には帰省した実家で両親と話をつけ、月末には休学届けを出した。母親は驚いたようだが「私が本気だと知ると止めませんでした」。
1年間は、学費も発生することなく休学ができる。
立ち止まることは、マイナスではないはずだ。
東大でも同級生に勉強を教えるような「しっかりした優等生キャラ」だが、「自分は本当は勉強は好きじゃない」。
ネット上には、有名大学を出て大企業に勤めた30〜40代で、自分の生活に疑問をもち、苦しんでいる人の書き込みがあふれている。
ずっとがんばり続けてきたからこそ思うことは、「どんないい大学を出て、大きな会社に勤めても、心が満たされない人はたくさんいるし、満たされなかったら幸せにはなれない」。
次のアテはない。「これまで頑張り続けてきたので、頑張らないで、やりたいことをやったらどうなるか、試してみたい」とだけ思っている。
周囲にはこの春からやはり休学してアジアで働く友人や、留年や休学を繰り返した先輩もいて、自分が特殊とも思わない。
「1年後のことは、1年後の自分に任せます」
就活するかどうかも含めて、未定だ。
祭りのような就活に入っていくのは怖い
京都大学理学部の絵里奈さん(21、仮名)は、この4月から昼間は葬儀場の生花部で、夜と週末は和食屋で働いている。週6日間アルバイトをして、生活費を自分で賄う生活を始めた。大学はこの春から休学中だ。
地方の進学校を出て、現役で京大に入った。研究職を目指し理学部に進学したものの、環境の変化で関心事も変わっていった。人文系に進んだ方がよかったのではと悩んだり、教育系NPOの活動に打ち込んでは気負いすぎて体調を崩したり。勉強に集中できないまま大学生活を過ごしてきた。
「学問をやるには、体力と精神力の土台がいるが、今の自分にはその準備ができていない」と感じた。
そのうちに「大して勉強もせずに経済的に親に頼っていることへの罪悪感と窮屈さから自由になりたい」と考えるようになり、4月からは自ら生計を立てながら、今の自分と向き合ってみようと決めたのだ。
「学生という身分が守ってくれていることもあり、自分ひとりの家賃や食費を賄うことは、それほど大変ではないと思いました」
父親は「見通しが甘い」と猛反対したが、実家を飛びだしたまま連絡を取っていない。
祭りのような騒ぎに、流されていくことに抵抗がある。
「毎日花に触れたり、故人に別れを告げる瞬間を見届けたりすることで、『命』や『愛』について考えます。机に向かわないでも学べることはたくさんある」と、手応えを感じている。
いずれ「体力がついてきたら」大学には戻るつもりだ。
「この先どんな選択をしても、政治、経済、教育という3つの社会システムには誰もが組み込まれているわけですから、どんな関わり方をしていこうか模索中です」
ちょうど今、4年になったばかりの同級生たちは就活に明け暮れているが、焦りはないのか。
「焦りも多少はありますが、今の就活はお祭りのようで。ある種の興奮状態に一斉に巻き込まれて、押し流されていくような印象を持っている。今の状態でそのなかに入っていくことはとても怖い」
従来型ルートを選ばない人材
文部科学省の調査では、2012年時点で休学者は6万7654人。学生全体の2.3%に相当する。データが古くて参考にはなりづらいが、注目すべきは2007年との比較で、2万2000人も増えていることだ。
前出の2人のような一見、立ち止まるように見える選択は、従来の新卒一括採用の就活市場では不利に働いたかもしれない。ただ、世界一のスピードで少子高齢化が進行する人手不足の社会では、20代の採用の考え方も変わりつつある。
在学中に起業をした会社でそのまま働いたり、社会活動に打ち込んだり、海外で経験を積んだりといった学生もいれば、「一度、自分と向き合いたい」という理由で休学する学生もいる。そこには、就職の狭き門を目指す、氷河期世代のような焦りはない。
大学3年生から就活モードにスイッチを入れ、卒業と同時に入社するといった“従来型ルート”には乗ってこない層。こうした若手人材を積極的に採用しようという動きは、大手企業でも広まりつつある。
「留年採用」は反響を呼んだ。
東急エージェンシーの募集サイト。
回り道は本当にマイナスなのか
「これだけの売り手市場になると、正直、学生が業界1位、2位に行ってしまうんですよ。採用が激化する中で、新たな価値を提供して、面白いと思ってもらいたいというのもあります。もう一つは、社内外の留年経験者がけっこう活躍していることです」
4月に「留年採用始めます」と発表した、東急エージェンシーの統合プランナーで、制度創設に携わった丸本翔一さんは、背景をそう説明する。
「私も4年留年していますが、留年や休学経験者は、スタートが遅れているという焦りもあって、早く結果を出そうと働くのかもしれません。起業でもアルバイトでも、(就職までには)回り道でも何かに打ち込んだ人を採用することで、多様な人材を採用したいという狙いもあります」
そもそも、留年にはネガティブなイメージがつきまとっていることも、世に問い直したいという。
「やはり広告の会社ですから『回り道は本当にマイナスなのか?』と、物申したいというのもあります。留年採用という新しい概念を打ち出せたら」
幅広い人生プランを支援したい
リクルートHDは2019年4月から、国内グループ9社の採用を統合するのに伴い、これまで一部の事業会社で実施していた「30歳まで応募可能」「365日通年エントリー」を、全社で展開することを決めた。
担当者は「これまで応募資格外となってしまわれていた方々にも、採用機会を提供できるよう、採用方法を拡大しました。裏返すと、留学・旅行・起業など、さまざまなチャレンジをしやすくし、卒業後すぐに就職をする以外の選択肢を選べる、幅広い人生プランを支援できれば」と、話す。
ほかにも、ヤフーのポテンシャル採用が応募時30歳以下、ソフトバンクの新卒採用は30歳未満など、もともとIT企業では若手の採用で「来春卒業予定」にこだわらない企業が目立つ。
空前の若手の人材不足に加え、IT化とグローバル化が加速し、変化の激しい時代。まっさらな状態の学生を新卒で一括採用し、企業研修で「我が社色」に染め上げる人材育成に限界を感じる企業は少なくない。
寄り道や回り道をしながら、独自の経験を積んだ、多様な人材を受け入れる企業が増えるのは、時代の必然と言えそうだ。 (文・滝川麻衣子、撮影・今村拓馬)