Mark Makela / Reuters
- 4月17日(現地時間)、サウスウエスト航空機のエンジンが飛行中に爆発、同機は緊急着陸した。
- 同機のパイロットは、元アメリカ海軍の戦闘機パイロットで、女性初のF/A-18のパイロットの1人と報じられた。
- 乗客は、彼女の高い技術と落ち着いた態度を称賛した。
タミー・ジョー・シュツルはアメリカ海軍初の女性戦闘機パイロットの1人だった。友人や同窓生によると、1983年に大学を卒業した。
大学時代のクラスメイト、シンディ・フォスターによると、空軍はシュルツがパイロットになることを認めなかったため、シュルツは海軍を選んだ。だが女性であるために「多くのハードル」に遭遇したとカンサス・シティ・スターに語った。
「だから彼女は、誰よりも努力しなければならないと理解していた。そして彼女はやり遂げた。すべての女性がチャンスを求めて戦っている」
「彼女のことを本当に誇りに思う。今日、彼女はたくさんの命を救った」とフォスター。そして、シュルツはアメリカ海軍において、女性で初めてF/A-18ホーネットのパイロットになったうちの1人と付け加えた。
フォスターによると、シュルツは飛ぶことが大好き。書籍『Military Fly Moms.』によると、彼女はニューメキシコの牧場で育ち、その頃から「きっと空を飛ぶ」と思い続けてきた。
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同書からワシントン・ポストが引用した記述によると、海軍に入ったシュルツは、航空士官候補生学校への入学を申請した。認められるまでに1年かかったが、最終的にフロリダ州ペンサコーラにある学校に入学、その後、テキサス州にある訓練飛行隊に配属され、T-2訓練機の教官となった。
だが、戦闘飛行隊への配属はなかなか許可されず、カリフォルニア州リモワ海軍基地の第34電子攻撃飛行隊での支援的な役割に就いた。
「航空士官候補生学校では、女性でも(そうでなくても)、高い資質を持っていれば、きちんと認めてくれる」と海軍の雑誌「ALLHANDS」の1993年3月号で語った。
また女性がパイロットになるチャンスは限られているが、「女性が自分たちの手で、頭上に覆いかぶさる天井を取り払うことは、素晴らしいこと」と語った。
その後、シュルツはA-7コルセアIIに乗り、そしてついにF/A-18ホーネットのパイロットとなった。F/A-18では空母への着艦も経験したが、女性初のF/A-18のパイロットの1人として、様々なハードルも経験した。
空母カール・ビンソンから発艦するF/A-18ホーネット。2017年3月3日。
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「ホーネットのパイロットコミュニティにとって、女性は初めての存在だった。最初から様々な困難は覚悟していた」と彼女は書籍『Military Fly Moms.』で語っている。
シュルツは1993年に海軍を除隊、最終的な階級は少佐だった。彼女と、同じく元海軍パイロットの夫は、2人ともサウスウエスト航空に入社した。
「彼女は鋼鉄の神経を持っている」
事故にあったサウスウエスト航空の乗客は、破損した機体での緊急着陸を成功させた彼女の技術を称賛した。
「飛行機は(エンジンが爆発した後も)びくともしなかった。コントロールできなくなっているという不安は全くなかった」とエリック・ジルベルトはカンサス・シティ・スターに語った。
「彼女は鋼鉄の神経を持っている。彼女にクリスマスカードを送るつもりだ。彼女、乗務員、全て誰もが一点の迷いもなかった。全員がプロフェッショナルで、私たちを地上に連れ戻してくれた」とアルフレッド・トムリソンはAPに語った。
別の乗客は、着陸後、彼女は客室通路に出てきて、乗客の安全を確認したと述べた。
「パイロットは元海軍のベテランだった。32年のキャリアを持った女性で、とても素晴らしかった」とケイシー・ファーナンはCNNに語った。
「パイロットのタミー・ジョーはすごい! 私たちを無事に連れ戻した」とアマンダ・ボーマンは語った。
シュルツの義理の母親は、飛行機の無線を聞いて、すぐにパイロットが「トミー・ジョーだ」と分かったとワシントン・ポストに述べた。
「彼女は素晴らしい女性で、とても聡明」と義理の兄弟はAPに語った。
「私の兄弟は、彼女は自分が知っている中で最高のパイロットだと言っている。彼女はとても思いやりがあり、多くの人に気を配ることができる人だ」
(敬称略)
(翻訳、編集:増田隆幸)