高度プロフェショナル制度によって影響を受ける可能性があるのは管理職である中高年だ。
撮影:今村拓馬
今国会の目玉である「働き方改革関連法案」がようやく審議入りした。与野党の最大の争点は「高度プロフェッショナル制度」(高プロ制度)導入の是非である。
もう1つの柱だった現行の企画業務型裁量労働制の対象を営業職などに拡大する法案は、周知のように厚生労働省の調査が客観性を欠く不適切なデータであることが判明し、国会提出が見送られた。
残業代も休憩・休息時間もなくていい
裁量労働制には企画業務型裁量労働制(企画型)と専門業務型裁量労働制(専門型)の2種類があり、実際の労働時間が9時間、10時間であっても、会社が見なした労働時間が8時間であれば、割増賃金(残業代)を支払わなくてもよいとする制度だ(ただし、深夜労働や法定休日労働は残業代を支払う)。例えば、みなし労働時間を9時間とした場合、法定労働時間の8時間を超えているので1時間分の割増賃金を織り込んだ手当をつける必要がある。
これに対して高プロ制度は、深夜労働や休日労働の残業代も支払う必要もなく、法律に定めている休憩・休息時間も付与する必要もない。労働時間規制を適用除外とするアメリカのホワイトカラー・エグゼンプションと同じものだ。
では、どういう人が対象になるのか。もちろん管理職は労働時間の適用除外者(深夜労働の残業代は支払う)なので、管理職以外が想定される。法律案要綱には「高度の専門的知識等」がある人で、年収が「平均給与額の3倍を相当程度上回る」という条件がついている(具体的には年収1075万円以上)にすぎない。高度の専門的知識を持つ人の具体的な業務は法案成立後の省令に書かれることになっており、明らかにされていない。
ただし、法案提出の根拠となった厚労省の労働政策審議会の報告書には、対象業務として「金融商品の開発業務、金融商品のディーリング業務、アナリストの業務(企業・市場等の高度な分析業務)、コンサルタントの業務(事業・業務の企画運営に関する高度な考案又は助言の業務)、研究開発業務等」が例示されていた。
中核業務担うホワイトカラーのほとんど?
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しかし、高度の専門的知識を持つ人は金融業やコンサルタント業に限らない。
厚労省は各業界の年収1000万円以上の業務を調査し、2014年に審議会に報告している。その中には情報通信業の「システムエンジニアの業務」「コンサルタントの業務・営業」や製薬業の「研究開発業務、管理部門(財務、人事、法務)、営業(MR)、製品の生産技術の開発業務」などが入っている。これらは言うまでもなく事業の中核をなし、その会社のホワイトカラーのほとんどを占める。
また、高プロ制度導入に熱心な経団連は、「ごく一部の業務に限定せず、研究職、技術職、市場調査担当、さらには高度の専門知識を用いて新たな製品・部材・サービスの導入を提案したり、付加価値の高いビジネスモデルを創造したりするソリューション型ビジネスの担当者などを含むことが求められる」と政府に要望している(「2015年版経営労働政策委員会報告」)ほか、サイバー攻撃に対応するホワイトハッカーやデータサイエンティストも含めるように提起している。今で言えば、AI(人工知能)やIoT、フィンテックに関わる高度テクノロジー人材も入るのだろう。
高額年俸と引き換えの高度技術者
高度専門職と言えば、いかにも限定的なイメージを与えるが、その定義は曖昧であり、全ての業種・企業に“専門家”が存在するので、結果として多くの業務が対象になる可能性がある。
そうなると残るのは年収要件(1000万円以上)だけとなる。年収1000万円以上の会社員は管理職を含めて3.9%とされるが、その大部分を占めるのは大企業の中高年世代だろう。中高年層を含めて高プロ制度のターゲットになる可能性があるのは大きく以下の3つである。
- 高度テクノロジー技術者
- 残業代込みで年収1000万円超の非管理職
- 課長の肩書きはついているが、部下なし、決裁権のない“名ばかり管理職”
現在、AIやデータサイエンスに代表される高度テクノロジー人材の争奪戦が、日本の大手企業や外資系企業を巻き込んで展開されている。だが、外資系企業と違って、年功的賃金制度が残る日本の大手企業で、そうした人材を高額の年収で迎え入れるのは難しい。そこで本体とは別の賃金体系を持つ専用の子会社を設置し、2000万円超の高額の年収を支払っている大手も少なくない。
こうした企業にとっては高額年収と引き替えに、労働時間を気にすることなく思う存分研究・開発に取り組んでほしいという期待があるのも確かだ。中途採用の要件に高プロ制度適用者になることを入れるとともに、政府お墨付きの制度を理由に差別化を図り、破格の年収を支払っても他の社員から妬みを買うなどのリスクも少なくなる。だが、対象者は限られるだろう。
ターゲットは残業代で稼ぐ非管理職
2番目がおそらく企業経営者が高プロのターゲットにしたいと考えている層だ。経営者の中には、たいした成果も出さないのに生活残業をして稼いでいる“残業代ドロボー”に不信感を抱いている人も少なくない。
経団連の榊原定征会長は、非効率な働き方のために残業代がかさむ不公平感を問題視している。
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実際に経団連の榊原定征会長は労働時間問題に関して過去にこう発言したことがある。
「現行の裁量労働制では、深夜労働の割増賃金が適用され、制度上時間外の割増賃金規制も残っているため、たとえ同じ仕事であっても効率的に短時間で働いた労働者よりも、残業手当等をもらう関係で、長い時間をかけた労働者の方が所得が高くなるといった問題がある。公平で透明性の高い賃金、処遇制度の実現という意味でも問題があると考えている」(2014年5月28日「産業競争力会議課題別会合議事要旨」)。
つまり効率よく働いて定時に帰る人よりも、非効率な働き方で残業した人のほうの所得が高くなり不公平だと言っている。ではそれは誰かといえば、残業代込みで年収1000万円超の中高年社員に大体絞られてくる。ちなみに従業員1000人以上企業で45歳以上の係長級の残業代を含まない平均年収は740万円を超える(厚労省の賃金構造統計基本調査から試算)。これに残業代を加えた1000万円超を稼ぐ非管理職も相当数いるはずだ。
名ばかり管理職の未払い残業代を回避?
3番目の「名ばかり管理職」はスタッフ管理職とも呼ばれる。労働基準法では「管理職」(管理監督者)には残業代を支払う必要がないとされている。そのため部下を抱えるライン管理職ではなく、肩書きだけの部下なし管理職を置いている企業は多い。「専門課長」「担当課長」といった肩書きを与えている企業もある。
大手IT企業の人事課長も、「管理職のうち本当の管理職と呼べるのは2割ぐらいではないか。残りの8割は法的にはたぶん管理職と呼べないだろう」と語る。
残業代を払わなくてもよい法律上の「管理監督者」とは、「経営者と一体的な立場で仕事をしている人」。つまり、経営者に代わって同じ立場で仕事をしている人であり、単に上司の命令を部下に伝達する人は管理監督者ではない。労働事件に詳しい弁護士は、「在職中は残業代を払え、という管理職はさすがにいないが、リストラされて退職後に未払い残業代を請求する訴訟が徐々に増えている。しかも裁判所はほとんど請求を認めている」と言う。
会社にとっては裁判に訴えられたら、残業代を払わなくてはいけない“爆弾”を抱えているようなものだ。仮に年収1000万円以上社員が残業代支給の適用除外になれば、法的には支払い義務のある部下なし管理職も対象になる。産業界の高プロ制度導入の強い要望の背景には、スタッフ管理職を高プロ制度対象者として再編し、法的リスクを回避したいと狙いもあるかもしれない。
もっと言えば日本企業のライン課長であっても採用・解雇の権限もなければ「経営者と一体的な立場で仕事をしている人」ではなく、厳密な意味での管理監督者ではないとする学説もある。法的に微妙な課長職について高プロ制度導入をきっかけに一気に整理する企業も出てくるかもしれない。
裁量ありと言われても不自由な働き方
経済界にとってアメリカのホワイトカラー・エグゼンプションの日本への導入は長年の悲願であった。今回、年収1000万円超と高いハードルはついているが、決してメリットは小さくない。また、導入そのものに意味があり、アメリカの制度対象者の要件が共和党政権下で緩和されていったように今後、ハードルが下がる可能性もある。
政府は高プロ適用を会社と交渉できる人にのみ制度の対象となるとしている。
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働き方改革関連法案では、同種の企画型の裁量労働制の拡大が削除されたが、政府は高プロ制度について高度の専門職であることや年収要件など条件が限定されているし、会社側と交渉力のある労働者にしか適用しないと説明している。
だが「交渉力のある労働者」とは、「この条件は飲めないので会社を辞めて他社に行きます」と言えるぐらいのバーゲニングパワーを持つ人のことだ。はたして政府が言うように会社に抵抗して高プロ制度適用を拒否できる人がどのくらいいるのかは疑問だ。
現行の裁量労働制について、独立行政法人労働政策研究・研修機構の調査(『裁量労働制等の労働時間制度に関する調査結果』2014年6月)では一般の労働者よりも裁量労働制の適用者の労働時間が長いという結果が国会審議でも話題になった。
同じ調査では、日々の出退勤において「一律の出退勤時刻がある」と答えたのは専門型の社員が42.6%、企画型が49.0%の割合を占めている。半数近くの人の会社が出退勤時刻で縛っている。しかも、企画・専門型の社員の40%超の社員が遅刻した場合は「上司に口頭で注意される」と答えている。自由な裁量があると謳いながらも不自由な働き方を強いられている実態もある。
また、労働政策研究・研修機構は4月16日、野党議員の求めに応じてこの調査の「自由記述欄」を公表している。それによると、会社で企画型の適用を受けている社員から以下の声も上がっている。
「誓約書にサインしなかった者に不利益人事と思われる事象が出ており、実質的に強制されている点も承服しがたい」
高プロ制度を導入しても同じ結果にならないとも限らない。特にターゲットになりやすい大企業の中高年世代にとってはポスト不足に加えて新たな試練が待ち受けているかもしれない。
(文・溝上憲文)
溝上憲文(みぞうえ・のりふみ):人事ジャーナリスト。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て独立。人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマに執筆。『非情の常時リストラ』で2013年度日本労働ペンクラブ賞受賞。主な著書に『隣りの成果主義』『超・学歴社会』『「いらない社員」はこう決まる』『マタニティハラスメント』『辞めたくても、辞められない!』『2016年残業代がゼロになる』『人事部はここを見ている!』『人事評価の裏ルール』など。