まるで映画? 空港に2カ月以上足止めされているシリア難民がツイートする窮状

Hassan al-Kontarさん

Hassan al-Kontarさんは、クアラルンプールの空港で2カ月以上足止めされている。

Screenshot/Twitter

  • シリア出身のHassan al-Kontarさんは3月7日以来、マレーシアのクアラルンプール国際空港のLCCターミナル(KLIA2)で足止めされている。
  • Kontarさんは長年にわたって、シリアを出て、少しでもましな生活を送る道を模索してきた。
  • 難民認定を求めるKontarさんはツイッターで日々の戦いを記録し、空港から出ることのできない生活に適応する術を学んだ。
  • Kontarさんは、自身の物語が世界中のシリア難民の窮状に光を当てることを望んでいる。

シリア出身のHassan al-Kontarさんは3月7日以来、マレーシアのクアラルンプール国際空港のLCCターミナルで足止めされている。

「わたしのように空港で足止めされると、2つの問題に直面するんだ」KontarさんはBusiness Insiderに語った。「1つは日々の日課を作ること。でも、一番大事なのはどうやってここから抜け出すかだ」

Kontarさんは長年にわたって、海外で少しでもましな生活を送る道を模索してきた。そして、クアラルンプール国際空港のLCCターミナルにたどり着いたのだ。

徴兵を回避し、政治的に不安定な母国の国境の外で少しでもましな未来を手に入れるため、2006年にシリアを出発したとKontarさんはBusiness Insiderに語っている。

その後、アラブ首長国連邦(UAE)に10年近く住んだ2016年、Kontarさん36歳のときに事態は一変した。

UAEでは現地の保険業界で問題なく働き、暮らしていたが、就労ビザを失ってしまったのだ。パスポートの更新もシリア大使館が拒否したと言う。

残された選択肢はほとんどなく、2017年1月にUAEの当局が彼をマレーシアの留置施設へ送還するまで、Kontarさんは有効なパスポートやビザを持たないまま不法就労していた。マレーシアはシリアの国籍を持つ人間に対し、到着時にビザを発給する数少ない国の1つだ。

Kontarさんは2017年に2度、マレーシアでお金を貯めて、国外へ出ようと試みた。1度はエクアドルを、もう1度はカンボジアを目指した。しかし、2回とも拒否され、留まることを選ばなかったマレーシアへと送り返された。今ではビザも切れて不法滞在でマレーシアのブラックリストに載り、クアラルンプール国際空港のLCCターミナルのトランジットゾーンに閉じ込められている。

囚われの身の生活

Kontarさんは孤独に耐えるため、ツイッターで自身の窮状を記録している。誰かが解決策を提案してくれないかと、日々の生活の様子を撮った動画も投稿している。

決まったスケジュールはないが、彼の1日は政府機関やボランティア、NGO、メディアに助けを求めることからスタートすると言う。

その後はターミナル内をさまよったり、「これまで問題になるとは想像もしなかった、今ではとても大きな問題」に対処する。

シャワーをいつどのように浴びるか、服をどのように洗うかといったシンプルなタスクが大きな障害となっているのだ。

「どこにも吊るすところがないとき、どこで服を乾かすと思う? 」彼は聞いた。「服を洗うチャンスがあれば、手早く洗って、まだ濡れているうちに着てしまうんだよ」

シャワーも旅行者の目を避けるため、アクセス可能な施設で真夜中を過ぎた頃に急いで浴びると言う。

食事に関しては、親切な空港スタッフが1日3食、機内食を手配してくれる。仲良くなった清掃スタッフは、空港のレストランやコーヒーショップで割引価格で買った名産品をごちそうしてくれると言う。

だが、Kontarさんにとって、眠るのは簡単ではない。この特殊な環境で、ゆっくり休むのは難しい。

「いわゆる睡眠時間は決まっていない。疲れ果てたらホールの椅子で眠り、2、3時間後に起きてまた4、5時間寝る。その繰り返しだ」

彼は空港の利用客から離れた、複数の防護柵でブロックされている階段の下に、間に合わせのベッドを作った。

Kontarさんは、マレーシアの政府機関やNGOが一時的な解決策を提案、救いの手を差し伸べてくれていて、同国の「シリア難民支援プログラム」の対象として彼を審査するとまで申し出てくれたとBusiness Insiderに語っている。

Kontarさんはこうした支援をありがたく思う一方で、長期的な解決策を見つけることに依然として力を注いでいる。

マレーシアは1951年の難民条約の締結国ではなく、同国では難民とその労働の権利は保障されていないと彼は言う。

「彼らはわたしに必要な限り滞在できる機会を提供してくれたが、働くことはできないし、難民ビザ、居住ビザもしくは永住ビザで難民認定を得ることもできない」

Kontarさんの将来設計には、「1951年の難民条約に署名した国を見つける」ことが含まれていると言う。そうすれば難民認定を受けて、人生を前へ進めることができるからだ。

「トンネルの終わりの光はまだ見えないが、わたしは挑戦している。現時点では、しばらくここにいることが認められた」

Kontarさんは徴兵を逃れたことで逮捕状が出ているため、シリアに帰国することはできないし、国の現状を考えると帰国したくないと言う。

彼がシリアに残る家族を最後に訪ねたのは2008年で、今でも時々連絡を取っているが、自身の現在の状況について詳しくは話していない。父親は2016年、彼がマレーシアに送還される直前に亡くなり、葬儀に戻ることができなかったのが今も心残りだと言う。

涙をこらえながらKontarさんは、自身の置かれた状況は彼だけの問題ではなく、内戦から逃れ、世界中で庇護を求める何百万ものシリア人の実態だと強調した。

「もちろん、家族はわたしを心配している。でも、彼らは彼らで、シリアでそれぞれの問題や悲劇に見舞われている。わたしは家族を失望させてしまった。だからこそ、立ち上がってこの戦いに勝つんだ」と彼は言う。

「自分のため、そして家族のために」

[原文:A Syrian man who has been trapped in an airport for two months explains how he survives day-to-day]

(翻訳:Setsuko Frey、編集:山口佳美)

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