これまで核とミサイルでアメリカや近隣諸国を“脅し”続けてきた北朝鮮が、突然対話路線に転じたのはなぜか。
ここに来て、北朝鮮側は南北高官対談を急遽中止し、「米朝首脳会談の中止」までほのめかしている。
一体彼らの対話路線はどこまで本物なのか。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏に北朝鮮情勢を徹底解説してもらう3回目は、東アジアのパワーバランスの行方について。
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中東に忙殺される米国、存在感示す南北
浜田敬子BIJ統括編集長(以下、浜田):史上初の米朝首脳会談が6月12日にシンガポールで開催されることになりました。国際社会で北朝鮮が存在感を増す中、東アジアの情勢はどう変化するのでしょうか。
佐藤優さん(以下、佐藤):まず、確認しておきたいのは、大きな流れでみるとアメリカが東アジアから退潮していく途上にあるということです。アメリカは世界唯一の超大国ですが、今のアメリカには中東と東アジアで二正面作戦をやれる力はない。
アメリカ大使館移設の式典に参加したイバンカ大統領補佐官(右)と娘婿のクシュナー大統領上級顧問(左)。
REUTERS/Amir Cohen
アメリカはイスラエルにある大使館をエルサレムに移設し、5月14日の移転式典にはトランプ米大統領の長女のイバンカ(大統領補佐官)、娘婿のクシュナー(大統領上級顧問)が出席しました。パレスチナ人はそれに反発し、5月16日現在で60人を超える死者が出ています。
またトランプ氏はイラン核合意からの離脱を決め、イランに最大限の圧力、巨大な制裁を課し続けると言っています。こういうカードを切ったことで、ただでさえ混乱している中東情勢の「導火線」に次々と火がつき、中東は蜂の巣をつついたようになるでしょう。そのためアメリカは今後、中東情勢に忙殺され、東アジアや日本どころじゃないという事態になります。
その空白の中でアジア各国の力を相対的にみると、思っていた以上に外交力のある韓国、米朝首脳会談や中朝首脳会談の開催で存在感を示している北朝鮮は、この隙を最大限に利用してさらに力を伸ばすでしょう。中国はここでは特段、イニシアチブを発揮していないので現状維持。ロシアの力は若干弱まり、日本は著しく弱まります。日本は竹島問題や尖閣問題、北方領土問題などあらゆる面で今より不利な状態におかれるでしょう。
米国と「ウィンウィン」築いた韓国
浜田:韓国はそれほど強い外交力があるのでしょうか。
佐藤:韓国の鄭義溶・大統領府国家安保室長が3月、北朝鮮で金正恩朝鮮労働党委員長と対話をした後、アメリカでトランプ氏と会い、その直後、記者団に米朝首脳会談を行うと発表しましたね。これは外交の世界では異例です。通常、この種の発表は当事国である北朝鮮かアメリカのどちらかがします。おそらくトランプ氏が、定石通りに大統領府や国務省のスタッフを通したら反対されるだろうと思って、鄭氏から発表してもらうように頼んだのでしょう。その重責を依頼されるくらい韓国がアメリカの信頼を得ていたということの表れです。
5月16日に北朝鮮は突然、当日に予定されていた南北高官会談を中止すると発表しました。11日から韓国周辺で行われている米韓合同空軍演習に反発しているからですが、これは6月12日の米朝首脳会談を北が有利にするための駆け引きで、南北の信頼関係は崩れていません。
米韓首脳会談の記者会見で目を合わせるアメリカのトランプ大統領と韓国の文在寅大統領。
REUTERS/Jonathan Ernst
浜田:そこまでの深い信頼関係はいつからあったのですか。
佐藤:韓国の文在寅大統領が当選後に密かにつくったルートだと思います。短期間で、非常に信頼し合える関係をつくりあげた。
一方、日本は、文在寅政権は反米だからトランプ氏とは人脈をつくれないと思い込んだ。それは完全な思い違いだった。プラグマティストのトランプ氏には、反米かどうかなんて関係ない。自分に利益を与えてくれる人との関係は構築するんです。
韓国は「トランプさん、あなたの圧力が功を奏して北朝鮮が譲歩した」と持ち上げる。判断基準を持たないトランプ氏はその言葉を信じる。北朝鮮情勢に関していえば、韓国はアメリカに対して情報を操作できる立場にいるし、トランプ氏も自身の権力基盤の強化にはプラスだと考えている。つまり「ウィンウィンの関係」というわけです。
日本は完全に出遅れていますが、安倍政権の中にも「韓国は今、身の丈に合わない竹馬に乗っているから、そのうちこけるだろう。しばらくは布団をかぶって様子見だ」と言う人もいます。それでいいんだと思います。
浜田:佐藤さんは文大統領がこれほど大きな役割を果たすと思っていらっしゃいましたか?
撮影:今村拓馬
佐藤:思っていなかった。ポストが人をつくるということだと思います。さらに、局地合理的な発想が今の韓国にはまったんです。何らかの行動をする時、通常だったら日本に与える影響や国際政治に与える影響を考えて躊躇してしまう。でも文大統領は自分の生き残りだけを考えて物事を組み立てている。
経済発展によって内から変質する北朝鮮
浜田:今後、日本を含めた東アジア情勢はどうなりますか。
佐藤:韓国の民間団体が5月、戦時中に日本に動員された徴用工を象徴する像を釜山の日本総領事館前に建てようとした。それを韓国政府が阻止しましたよね。今の韓国は、その程度のことをしても「民族裏切り者」と言われないくらい強いナショナリズムを持ち始めているんです。だからこそ、「これは外交の問題だから抑えろ」と言えるんです。しかも、南と北でナショナリズムが一体化しつつある。これは日本にとってはかなり厄介なことです。
浜田:佐藤さんから見て、南北の統一はありうると思われますか。
佐藤:近未来にはない。そもそも双方にとって利益がない。特に北には利益がないですね。統一されたら、おそらく北朝鮮が「一つの県」のような扱いになるでしょう。それよりは、小さくても自前の国のほうがいいというのが、どんな国においてもエリートの総意でしょう。
一つの槌でオブジェを割る金正恩氏(左)と文在寅氏(右)。
Korea Summit Press Pool/Pool via Reuters
そして今後も金王朝は継続するでしょう。ただ、その上で経済発展はする。そうなると中から変質していくでしょうね。今の北朝鮮では配給が基本ですが、そこに外資が入ることによって自力で自分の欲望を実現できるようになる。お腹いっぱい食べたい物を食べる、子どものために運動靴を買ってやる……。そういう時代になると金正恩氏に面従腹背になり、配給に対して心の底から感謝することはなくなる。独裁者はそういう民意は無視できない。さまざまなことが緩んでいくでしょう。
浜田:北朝鮮はいつまで今の形が続くでしょうか。中国のように経済的には「豊かにしてやる」から政治的な自由度は「我慢しろ」、という方向にいくのでしょうか。
佐藤:どうでしょうか。もしかするとドラスティックに崩壊するか、あるいは開発独裁のような感じで続いていくか。ただ、外部との交流が生まれ、特に韓国との交流が自由になると「なぜ同じ民族なのにこんなに生活の差があるのか」となりますよね。でも、北朝鮮の人は、韓国の行きすぎた競争社会を見て、のんびりしている自分たちの暮らしの方がいいと思うかもしれません。今の段階では誰にも読めないでしょう。
(構成・宮本由貴子、写真・今村拓馬)
佐藤 優(さとう・まさる):作家、元外務省主任分析官。1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。85年外務省入省。在ロシア連邦日本国大使館勤務後、対ロシア外交の最前線で情報収集・分析のエキスパートとして活躍。主な著書に『国家の罠–外務省のラスプーチンと呼ばれて』(毎日出版文化賞特別賞)『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)など。最新刊は『十五の夏』。