武田、リクルート、ソフトバンク…大型海外買収は為替相場をどう動かすか?

2018年5月、日本企業による海外企業の大型買収が相次いで発表された。

為替相場を示すモニター

海外企業を買うという行為がある程度「腰の入った円売り」を伴うというのは自然な想定である。

REUTERS/Toru Hanai

8日には武田薬品工業によるアイルランド製薬大手シャイアーの買収が、そして9日にはリクルートホールディングスによる米ネット求人サービス大手グラスドアの買収が明らかになった。

武田の買収金額が日本円にして約6.8兆円と日本企業の海外買収案件としては過去最大であり、これまでの過去最高額(2016年7月にソフトバンクが発表した約3.3兆円規模の英半導体開発大手アーム(ARM)に対する買収)と比べても倍という超大型であったため、リクルートの約1300億円という金額が小さく見えるが、これも十分「大型」案件と言って良い。

6.8兆円がどれだけ大きいかと言えば、日本の2017年度の経常黒字額の約3割に相当する。

買収に絡んだ各社の経営戦略やその成否については筆者の専門外なので諸賢の論考に任せたい。本欄で解説したいのは、そうした日本企業による海外企業買収に伴う資本フローの視点、より具体的には「買収に伴って円売り・外貨買いがどれほど出るのか」という為替市場からの視点である。

当然ながら買収対象が英国企業ならば英ポンドが必要になるし、米国企業ならば米ドルが必要になる。この際、元手が円ならばそれを売って外貨に換える必要が出てくるので「円安圧力になるのではないか」との思惑が浮上するわけである。

ちなみに日本企業による海外企業買収は国際収支統計上、対外直接投資という項目にカウントされる。対外直接投資は「日本企業が投資先国に法人を設立する形態(通称グリーンフィールド投資)」と、今話題となっているような企業買収を伴う「M&Aの形態」に大別されるが、基本的に対外直接投資と言えば後者を指すと考えて差し支えない。

海外企業買収に係る「円売り」の特徴

武田薬品・CEOのクリストフ・ウェバー氏

2018年5月9日、過去最高額となるシャイア社の買収を発表する武田薬品・CEOのクリストフ・フェバー氏。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

もちろん、対外直接投資ではなく対外証券投資(海外の株や債券の購入)も当然、円売り・外貨買いを伴うので為替市場では注目されるが、足の速い投機的な資金であれば買ってもすぐに売られてしまう展開も十分考えられる。この点、対外直接投資は同じ「円売り」でも対外証券投資のそれに比較して「資金フローの不可逆性」が強いことが注目されているように思う。直感的にも海外企業買収に用いられた円資金が簡単に円市場に戻ってくることは考えにくいだろう。文字通り、「円の売り切り」としての色合いが強いと言える。

もちろん、海外企業に投資した資金がそのまま放置されるとは限らないし、買収に伴い発生したバランスシート上の外貨に為替ヘッジをかけることもあるので、「資金フローの不可逆性」を過信して円安効果をうたうことにも議論はある。だが、海外企業を買うという行為がある程度「腰の入った円売り」を伴うというのは自然な想定でもあり、為替市場が買収報道と共に円売りで反応するのは短期的にはそれほど違和感がない。

中長期的には円高要因でもある

「短期的には」と付けるのは、中長期的には買収した海外企業の生む利益まで考える必要があるからだ。海外企業買収に限らず海外投資が奏功すれば、そこから利益が生まれてくることになる。生まれた利益の幾分かは投資元である母国に返ってくるだろう。これがレパトリエーション(資金回帰、以下レパトリ)に伴う円買いとして年度末に必ず話題となる動きである。

レパトリに係る資金は国際収支統計上、直接投資収益と呼ばれる。より厳密には直接投資収益は出資所得と利子所得に分かれ、海外企業が稼いだ利益の処遇という意味では前者が相当する。さらに厳密には、そうした前者の出資所得も配当金・配分済支店収益と再投資収益に分かれる。再投資収益とは外貨で稼いだ利益のうち「外貨のまま現地で使うことにしたもの」であるため、これには為替取引が発生しない。

つまり、対外直接投資に絡んだレパトリといった場合、普通は配当金・配分済支店収益のことを指す。実際、図①に示されるように、毎年3月は配当金・配分済支店収益を主体としてレパトリが膨らむ。要するに投資段階では円売りだが、結果段階では利益の還流が円買いを伴うため、ネットで見ればその影響は相殺される部分もある。

日本企業のレパトリ状況

図①:日本企業のレパトリエーション

なお、実務的なことを言えば「短期的には円安になる」という想定も本来それほど単純な話ではない。そもそも公表されている買収額に関し、どの程度の割合で為替取引が発生するのか、しかもそれが元手を円とした取引になるのかも定かではない。また、取引が発生する金額や通貨が分かったとしても、それがいつ、どういった頻度で市場に出てくるのかも推測の域を出ない。

もちろん、「実情はどうか分からないが、皆がそう思うからそうなる」というのが金融市場の常であり、特に直情的な反応を示しがちな為替市場であればなおのこと、その傾向が色濃く出やすい。とはいえ、金融市場の思惑や値動きが真実を示しているわけではないことはここで強調しておかねばならないだろう。

本当に重要なことは為替市場への影響ではない

富士山をバックに夕暮れの東京湾

日本の対外純資産は2016年度末時点で約350兆円。同率2位の中国とドイツの約1.7倍。

REUTERS/Toru Hanai

対外直接投資に絡んで重要なことは為替市場への影響がどうなるかといった目先の話ではなく、日本が海外に対して持つ債権の構造が変わってきているという大きな話である。巨額の政府債務を抱え、景気が長期低迷する日本の円が安全資産とされる最大の理由は「日本が世界最大の対外純資産国だから」である。

より砕けた言い方をすれば「日本は世界で一番外貨建ての資産を持っている国だから」だ。

この対外純資産は2016年末時点で約350兆円とほぼ同率2位の中国やドイツ(共に約210兆円)の約1.7倍に及んでおり、これで26年連続の世界一である。ラフに言えば、日本はそれだけ「外貨の売り余力がある国」ということでもあり、だからこそ危機時にその地力が評価されるのである。

基軸通貨ドルを除けば、リスク回避ムードが高まった時に買われる通貨は往々にして対外純債権国の通貨である。円はその筆頭だ。 近年の対外直接投資の隆盛はこの対外純資産の中身を変容させている。歴史的に日本の対外純資産と言えば対外証券投資、要するに米国債を中心とする有価証券への投資が最も大きなシェアを占めてきた。

しかし、図②に示されるように、2000年代以降は対外直接投資の比率が基調的に伸びており、2016年時点では直接投資が37.6%、証券投資が36.8%と逆転している。2000年代に入り、好況もあれば不況もあり、円安もあれば円高もあったわけだが、そうした経済環境に関係なく対外直接投資は増え続けた。

図②:対外純資産に占める直接投資と証券投資の割合

やはり少子高齢化で国内市場が縮小する日本企業にとって対外直接投資は経済環境に依存しない経営戦略となっているということだろう。 既に述べたように、為替市場への影響という観点からは直接投資は証券投資に比較して腰の入った「円売り」という側面が大きそうであるため、売られた円は簡単に戻ってくることはないだろう。

日本企業の海外企業買収だけで円安が加速するとは思わないが、この傾向が今後も続くことで「円高に進みにくい土壌」が出来つつある可能性は否めない。

※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。


唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)国際為替部でチーフマーケット・エコノミストを務める。

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