2010年にサンフランシスコで生まれたオンライン決済のストライプ(Stripe)。アイルランド出身のパトリック・コリソン(29)とジョン・コリソン(27)兄弟が創業し、わずか5、6年で企業価値を約90億ドル(約1兆150億円)に拡大させた、世界が注目する巨大ベンチャー企業だ。今ではその価値は100億ドルを超えたとも言われる。
パトリック・コリソンは、アイルランドを飛び出し、高校を飛び級してMITに入学。大学退学後に、弟のジョンと共にストライプを創業する。
REUTERS/Albert Gea
ベンチャーキャピタル世界大手のセコイア・キャピタルやアンドリーセン・ホロウィッツの他に、イーロン・マスクやピーター・ティールらが出資するストライプは、2016年に日本に進出。インバウンド(訪日外国人旅行者)の急成長と、15兆円を超える国内eコマース市場とシェアリング・エコノミーのさらなる拡大が見込まれる中、ストライプは日本市場における事業拡大のスピードをさらに速めていく。
ストライプが急成長を遂げた理由の一つにそのサービスのシンプルさがあった。数行のコードで事業社のサイトに決済機能を導入できるストライプの魅力は、アメリカ市場で爆発的な人気へとつながった。
今では、ツイッター(Twitter)やカナダ発ECプラットフォームのショピファイ(Shopify)、配車サービスのリフト(Lyft)やグラブ(Grab)、中国・アリババとテンセントが展開する決済サービス「アリペイ」と「ウィーチャットペイ」などがストライプを採用している。日本では全日本空輸(ANA)が2016年に始めたクラウドファンディング・サイトでストライプを使用する。
年間数十兆円の決済を処理するストライプだが、BtoBに特化しているためその名を知らぬ消費者は多い。ネットショッピングで買い物をする際、店舗サイトの支払い・決済画面の裏側で活躍しているのがストライプの決済プラットフォームで、オンラインコマース・サイトの表側にその姿を見せることは少ない。
ダニエル日本代表と創業者パトリックは「幼なじみ」
ダニエル・ヘフェルナンは小学生の頃、プログラミングと日本語に没頭する毎日を送った。
撮影:今村拓馬
2014年から日本事業の指揮を執るのは、ストライプジャパン・代表取締役のダニエル・ヘフェルナン(Daniel Heffernan)、30歳。創業者であるコリソン兄弟の兄・パトリックの幼なじみだ。流暢な日本語を話すダニエルは、2010年1月にアイルランドから日本へ引っ越した。日本での永住を計画するほどの日本好きである。
人口20万人足らずのアイルランド・リムリック州で生まれ育ったダニエルが中学2年生の頃、パトリックはダニエルが通う中学校に入学してきた。
「ある日、先生が『君みたいなプログラミング・オタクっぽい生徒がいるけど、話してみないかい』と言って、パトリックをつないでくれた。それから、一緒にプログラミングをしたり」と、ダニエルはパトリックとの出会いを語る。
ダニエルによると、パトリックはその後、飛び級制度を使って大学入学時期を早めようとイギリスに渡り、ダニエルがリムリックにある地元の大学に入学する前には、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学をしていたという。パトリックは結局、起業家の道を選び、MITを退学する。弟のジョンも兄の背中を追うかのようにハーバード大学を退学している。
コーディングと日本が人生を変えた
パトリックとダニエルは、アイルランド・リムリックの中学校で出会う。(写真はアイルランドの田園風景)
REUTERS/Cathal McNaughton
ダニエルがコーディングの世界に引き込まれるきっかけは、映画や小説の中で文字をコード(暗号)に変え、それを巧みに操るスパイの存在だったという。そして、複雑なコードのように4つの「アルファベット」を使う日本語への興味も幼少期から大きくなっていったと、ダニエルは話す。
「プログラミング言語もそうだけど、日本語には、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字と、アルファベットが4つもある。漢字は何文字あるのか誰にも分からない。こういう言葉がすごく楽しくて、勉強したいと思った」とダニエル。
リムリック高校時代は、地元で日本語を話すアイルランド人に家庭教師になってもらい日本語を学び、リムリック大学ではマルチメディアとゲーム開発を専攻する傍ら、ラボをサボって小さな日本語のクラスに出席した。
大学3年生になると、ダニエルは8カ月間をインターンシップに費やした。そのうちの3カ月は、愛知県・岡崎市で日本語を集中的に学び、残りの5カ月はアメリカ・シリコンバレーでゲームの物理シミュレーションを開発するアイルランド企業・ハボック(Havok)で働いた。
2010年、ダニエルはコードと日本語にあふれる東京の生活を始める。経済産業省の奨学金プログラムを使って、東京大学大学院で自然言語処理を勉強したダニエルは、2012年にクックパッドに入社。エンジニアとして働く。入社前、パトリックはダニエルにストライプの日本進出計画を話し、ダニエルの参画を促すが、ダニエルは自身の経験不足を理由に自らそのオファーを断った。
「奨学金をもらっていたので、日本企業で働こうと思った。自分の経済的な出力を日本に残したいという強い思いがあった」(ダニエル)
創業者の弟・ジョンと上野のラーメン屋へ行って「決心」
ジョンと2人で入った東京・上野のラーメン屋。ダニエルがストライプ入社を決めるきっかけとなった。
撮影:今村拓馬
2014年春、サンフランシスコに居住するパトリックの弟・ジョンが東京を訪れた。ダニエルとジョンは上野のラーメン屋で会うと、ストライプの話や日本の話、プログラミングの話、アイルランドの話をした。ジョンが帰国して間もなく、パトリックはダニエルに2度目の「オファーメール」を送ると、ダニエルはストライプへの入社を決める。
「あまりよく覚えていないけど、ジョンとラーメン屋で過ごした時間が、ストライプジャパンをリードするポジションに挑戦してみようと思うきっかけになったのかもしれない」とダニエルは言う。
2014年にダニエルが日本代表のポストに就くと、ストライプはその2年後、正式に日本における活動を開始させた。ストライプはアメリカ市場において、そのサービスをスタートアップ企業を中心に広く普及させていった経緯がある。日本でもここ数年、スタートアップ企業の数やベンチャーキャピタルの投資額も上がってはいるものの、アメリカや中国と比べるとその数字は桁違いに小さい。
「アメリカでやってきたビジネスモデルでは成功しないと思う」とダニエルは言い切る。
ストライプが日本市場に投入する3つのサービス
ストライプはアメリカでスタートアップ企業をターゲットに置いて事業拡大を遂げたが、日本ではそのモデルでは失敗すると、ダニエルは話す。
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
ダニエルのこの言葉で思い出すのは、国内の決済ベンチャー・ウェブペイ(WebPay)社の例だ。ウェブペイは2013年、数行のコードでウェブサイトやアプリに決済システムを埋め込めるサービスを、ベンチャー企業向けに開始するが、2015年に「LINE Pay」の拡大を図るLINEによって買収された。翌年、ウェブペイはサービスの終了を発表、同社の従業員はLINE Pay事業に傾注するとしている。
ダニエル率いるストライプジャパンは、3つの大きなサービスを柱に、スタートアップだけをターゲットにするのではなく、幅広いビジネスエリアに向けた販売を促していくという。
1つ目は、日本進出後すぐにスタートさせた「多通貨決済」だ。約130の通貨に対応した決済サポートは、サイトの開始からグローバルな展開を行うことができ、日本国内に類似したサービスは少ない。ストライプはこの多通貨決済の日本向けサービスを三井住友カードと協力して開発した。
また、2つ目の「Connect」と名付けられたサービスは、プラットフォーム型事業者のニーズに合わせて作られたサービス。これは、eコマースなどのプラットフォームを運営する企業が、購入者の支払い代金を、そのプラットフォームの中で商品を売った販売社へ支払い決済を行うというもの。
そして、オンラインカード決済における不正利用が増加する中、ストライプは機械学習に基づいた不正使用の対策システム「レーダー(Rader)」を日本市場に投入する。これが3つ目だ。
「この3つを日本でしっかり展開できたら、他社が持っていない技術であるし、そのニーズは増えてくると思っている」とダニエルは国内戦略の一部を話した。「一企業が決済システムを変えることは難しいが、新規事業を始める企業とストライプのサービスの相性は良いと思う」
2018年5月16日、ストライプは大きな提携契約を結んだ。相手企業は、1億1000万のカード会員を有するJCB。このアライアンスにより、ストライプの国内導入企業は、JCBカード会員からの支払いを取り扱うことができるようになる。将来的に、国外の何十万ものストライプの導入企業は、世界中のJCB会員へのアクセスが可能になる。
パトリックとジョンは2018年5月、再び日本を訪れ、ダニエルと語り合った。
撮影:今村拓馬
このプレス発表から2週間ほど前、パトリックとジョンは再び日本を訪れていた。ダニエルを交えて3人は、ストライプの話や日本の話、アメリカの話、アイルランドの話をした。読書好きなパトリックはその後、鎌倉に赴き数日を静かに過ごしたという。
アイルランドの静かな町に生まれ育ったパトリックとジョン、そして幼なじみのダニエルの日本での挑戦はまだこれからだ。
(敬称略)(取材・文:佐藤茂)