慶應大の量子コンピューター研究拠点「IBM Qハブ」が注目の理由 —— 量子ネイティブ人材育成、三菱UFJら4社参画

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慶應義塾大学と日本アイ・ビー・エムは2018年5月17日、慶應大理工学部矢上キャンパス(神奈川・横浜)の量子コンピューティングセンターが参画する国際連携の研究拠点「IBM Qネットワークハブ」を報道陣向けに公開した。

同ハブは研究者だけではなく一般企業も参加する産学共同による研究拠点になる。この日はじめて、発足当初の参画企業として、JSR社、三菱UFJ銀行、みずほフィナンシャルグループ、三菱ケミカルの4社の参画が明らかになった。慶應大は、今後どの企業も参加できるオープンな場にするとしている。

企業や大学の研究者らは今後、慶應大理工学部矢上キャンパスの施設「IBM Q HUB」から、IBMの商用量子コンピューター「IBM Qシステム」(米ニューヨーク州のIBM Thomas J. Watsonリサーチセンターに設置)にクラウド経由でアクセスし、量子コンピューター向けのソフトウェア開発や各種研究・実証を手がけていくことになる。

IBMはこれまでも「IBM Q Experience」としてクラウド経由で5量子ビットと16量子ビットの量子コンピューターの研究開発環境を提供してきた。今回慶應大が参画するIBM Qネットワークハブでは、一般公開はされていない最新20量子ビットの万能量子コンピューターが利用できるようになる。

IBM Qハブの内部

IBM Qハブの室内に設置されたモニター。クラウド経由で操作する様子などをモニター画面によるデモで説明した。

国内最高峰の量子コンピューティング研究施設

質疑応答の様子

左から、慶應義塾大学量子コンピューティングセンター長の山本直樹氏、同大理工学部長の伊藤公平氏、同大常任理事の青山藤詞郎氏、IBMリサーチ バイスプレジデントのボブ・スーター氏。

IBM Q HUBの開設にあたり、慶應大理工学部長の伊藤公平氏は、今回の取り組みの優位性を次のように説明する。

「IBMが20量子ビットのゲート式量子コンピューターを完全公開してくれることをうれしく思う。ゲート式コンピューターは、すべての量子アルゴリズムが実行できる、文字通り“万能”の量子コンピューターです。(他の商用量子コンピューターで例がある)“量子アニーリング”装置は、一部の特化した問題のみが実行できるわけですが、万能量子コンピューターでは量子アニーリングも含めて、すべての量子アルゴリズムが実行できる。

今まで量子コンピューター用ソフトウエアやアルゴリズム開発で本物の量子コンピューターが使えることはありませんでした。(IBMはこれまで)5量子ビット(と16量子ビット)のものをQ Experienceとして完全公開していたが、今回は20量子ビット。それが実際に使えれば、学術に対するインパクトは多大なものになる。物理学、化学、数学、計算機化学など諸問題で使える」

伊藤理工学部長によると、慶應大と伊藤理工学部長らは1998年以来、20年にわたって量子コンピューターの研究に携わってきた。同大学が推進してきた量子コンピューター理論の研究 —— 量子制御理論や応用数学、量子アルゴリズム —— といった、専門家による研究の多様性がIBMに認められ、IBM Qネットワークハブへの参加が決まったという。

IBM Qネットワークハブの参画施設は世界に5カ所。IBMリサーチ、オークリッジ国立研究所、イギリスのオックスフォード大学、オーストラリアのメルボルン大学、そして慶應義塾大学だ。慶應大は、これらの研究施設・機関と連携しながら、最高の量子研究環境を提供していきたいとしている。

量子コンピューティングを前進させる、実機を使った「ソフトウエア研究」

山本直樹氏

慶應義塾大学量子コンピューティングセンター 長の山本直樹氏。

量子コンピューティングの本格的な研究にあたっては、ハードウェア(量子コンピューター)の性能を高めることもさることながら、どんな問題をどう解くか、というソフトウエアの研究そのものが大きな課題だったという。

同大学の量子コンピューティングセンター長の山本直樹氏は「これまであまり報道されていない重要な事実として、量子コンピューターのソフトウエア方面の研究はこれまで、(実機がなかったため)ほとんどされてこなかった。

どのように役に立つのか、どれくらい速く解けるのか、どうやって解くのか。具体的な問題に対するソフトウエア研究に初めて取り組むのが、量子コンピューティングセンターの目的」だと説明する。

量子コンピューターのインパクト

従来のコンピューターとはまったく違うアーキテクチャーで動作する量子コンピューターは、複数の演算を同時に計算できるという特徴がある。近い将来、稼働すると言う50量子ビットの場合、約1000兆通りの計算を「同時」に行える。高速処理による材料探索や創薬、金融分野への応用が期待される。


IBM Qネットワークハブの意義

一定の性能をもつ実機が使える環境ができたことで、理論研究の先にある、具体的に課題を解決するソフトウエア研究が大きく前進することは間違いない。

IBM Qネットワークハブだけが使える「20量子ビット」の速度とは?

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IBMリサーチのバイスプレジデント、ボブ・スーター氏によると、現在、従来の5量子ビット、16量子ビットのIBM Q Experienceを利用しているユーザーは全世界で約8万5000人。これまで約440万の計算が行われてきたという。

質疑応答の中では、20量子ビットの性能についても言及があった「学術的な意味で、スパコンより速く問題が解けるのか、ということ(質問)なら、20量子ビットではまだそうはならないと思う」(伊藤理工学部長)と、いますぐ現状のスパコンより速く問題が解けるわけではない、という見解も示された。

今後、IBMが2018年の稼働予定を発表している50量子ビットの量子コンピューターでは、1000兆通り、20量子ビットに比べて10億倍の演算を同時に実行できるようになる。50量子ビット、またはそれ以上の性能が実現する時代に向けて、ソフトウエアがどのように動くかの研究をいち早く進めていくことに意義がある。

慶應大によると、今後のスケジュール感としては、2年半〜3年の期間でスパコンや普通のコンピューターでは解けない問題を(スパコンなどと組み合わせた)「パッケージ」として解く方法を見つけたいという。

「量子ネイティブ」な研究人材の育成がキーになる

量子コンピューターのプログラミング

量子コンピューター「IBM Q」で使うプログラミング環境QISKit。


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QIS Kitで書かれたコードと、実行結果のイメージ。言語的にはAI開発などで人気の高いPythonをベースに拡張したものと説明していた。Pythonベースとはいえ、背後にあるコンピューターを動かすソフトウエアはこれまでとまったく違う考え方で構築する必要があり、著名なエンジニアでもその理解の難しさを指摘する声は少なくない。


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IBM Q HUBのデモを披露しながら質疑に答える伊藤理工学部長。物事を量子的に解釈し、量子コンピューティング向きのコードを最初から書ける、「量子ネイティブ」な人材の育成が今後重要になると語る。

IBM Q HUBが設置される量子コンピューティングセンターでは、アカデミアや企業の研究者が量子コンピューターを使って研究を進めるだけではなく、「QuantumNative students」(=量子ネイティブな学生たち)の育成も行っていく。

量子コンピューティング向けのプログラムは、色々な場でIBMを始めとする研究者・エンジニアが語るように、既存のプログラミングとはまったく異なる体系を身につける必要がある。伊藤理工学部長はその難しさを、「いまのコンピューターは0、1というデジタル。(量子コンピューターでは)もう1つ“位相”という考え方があり、違う自由度の計算が入ってくる。デジタルコンピューターに慣れた人の感覚で、アルゴリズムを新しく考えようとすると結構難しい。直感的でない、まったく違うレベルのプログラミング教育、能力が必要になってくる」と説明する。そのため、「クアンタムネイティブ(量子ネイティブ)な人たちを育てるというのが、このハブの1つの大事な役目」だと語る。

量子コンピューターの実際の操作は、一般的なパソコンを使い、プログラミング言語のPythonを拡張した言語で記述してクラウド経由で計算させる方式をとる。慶應大関係者によると、20量子ビットのIBM Qシステムは、ネットワーク上では1台のみが見えていて、これを世界5カ所のIBM Qネットワークハブの拠点で共有しながら、遠隔で使うという。

量子コンピューターの実用化にあたっては、今あるスパコンなどに比べて処理能力としての優位性が本当にあるのか、という点も注目が集まっている。

慶應大としては、量子コンピューティングは、「スパコンと比較してどちらが速いのか」といったような、対立するコンピューティング技術とは捉えていない。伊藤理工学部長は、「最終的には、今のコンピューターでできないことの、どこを量子コンピューターが補っていくかが重要になっていくのではないか」と、スパコンとは補完関係にあるという見方を示した。

量子コンピューティングとは?

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IBMリサーチにあるIBM量子計算センターの「IBM Q」

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量子コンピューターを強力にするものとは?

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慶應大のIBM Q ネットワークに参画した企業4社(最前列)。

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最前列左から、JSR四日市研究センター長 小宮全氏、三菱UFJ銀行取締役専務 亀澤宏規氏、みずほフィナンシャルグループ執行役専務 加藤純一氏、三菱ケミカル常務執行役員 垣本昌久氏。


(文、写真・伊藤有)

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