4月下旬、筆者は福祉国家として名高いデンマークを訪れた。4日間の滞在の間、デンマークを案内してくれたのはイギリスのサセックス大で学ぶ、森雅貴(23)さんだ。
ミラツクという未来創生のNPO法人の合宿で初めて出会った際、欧米諸国を周り、オープンイノベーションについて研究をしているという彼の、同い年とは思えない知識量に衝撃を受けた。
滋賀県のある村から、海外大学へ飛び出し、世界をフィールドワークする森雅貴さん(右から2番目)。写真はデンマーク訪問の様子。
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日本の“意識高い”と言われる大学生の流行りは、ベンチャーインターンや起業だ。そんな中、地道に研究とフィールドワークに励み、独自の突き抜け方をしている彼の存在は、私にとって衝撃的だった。
就職活動もし、大学生の人気就職先である大手総合商社に内定もした。が、辞退して、NPO法人に就職。その大胆な選択にも興味を惹かれた。
どうしたらこんなプロフェッショナリズムにあふれた23歳になれるのか。話を聞いてみると、高校時代までは滋賀県育ち。しかも彼の育った集落は人口100人ほどだったという。
「東京もイギリスも変わらない」“田舎”から出る方法
高校時代の森さん。一発逆転をしたいと考えていた。
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「滋賀の田舎から出て行く僕にとっては、東京にいくのも、イギリスに行くのも、もはや変わらなかった」
当時高校2年生の森さんは、生まれ育った地域で生きていくことに、閉塞感を感じていたそうだ。そんな時、親しい先生に勧められ、スピーチコンテストで英語の落語にチャレンジした。その挑戦が、彼の世界を広げた。
「自分よりはるかに英語のできる帰国子女とかがいて、都市部のエリート層はやっぱり違うなって。しかも、みんな親はどこどこ商事とか大手広告代理店ばっかり。もうスタート地点が違うなと思ったりもして」
森さんは父親から「関西の大学に行き、地元の銀行か役所に就職し、結婚して子どもを育て、墓を守れ」と言われ続けてきたという。何歳で結婚するかまで父親の頭の中にはあったというエピソードからは、伝統的価値観の強い家庭で育ったことが垣間見える。
「僕の人生は、高校生の今でも想像できるようなレベルで終わっていいのか」
「一発逆転チャレンジするには、国内の私立大じゃなくて、海外大にいくしかない。京大にいける学力があるなら、そうしたかもしれないけど」
自分の未来に希望を残すためには「海外大にすがるしか、なかった」。
「わざわざ海外まできた」と無意識に自分の首をしめていた
ところが、イギリスの大学に留学して3カ月後、次第に無力感に襲われることになる。
誰よりも勉強しているはずなのに、中東や香港のインターナショナルスクール卒業の学生にかなわない。夜も1人で復習予習をして、20〜30ページもあるリーディングをこなしても、試験では60点ぐらい。インターナショナルスクール出身の学生は70〜80点を楽々とっていた。
イギリスは雨の日も多い。不安定な気候もあって、気分が沈んでいった。悔しくて、より一層閉じこもって勉強に打ち込んでいたが、次第に“悟った”そうだ。
「すがるようにして海外の大学に来たけれど、もともと僕はエリートなんかじゃなかったし、彼らと真っ向から戦わなくていいんだって思えるようになってきた」
「周りと違う選択をしてわざわざ海外にまできたんだから、せめて良い成績をとらなければと無意識に自分の首を締めていた。勉強ばかりに打ち込んだ結果、自分のいる場所を見失ってたというか」
最初の1学期が終わり、少し顔をあげる余裕ができた森さんは、勉強だけではない学びを求めて、休学を決意した。
“自分だからこそ”できることを追い求めて
バックパックで訪れたタンザニアで、次の道が見えてきた。
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「いま自分が一番興味があることはなんだろうか」と考え、もともと興味があった国際協力の分野の中でも、国連とか世界銀行でなく、現地ベースの活動に関心を持つようになっていた。
タンザニアでは日本人が経営するスタートアップでインターンをしたり、自分で小さなビジネスを始めたりした。いまの自分“でも”できることがたくさんあるという手応えもあったという。
一方で、「現地の人の立場やその国にとってを考えると、いまの自分“だからこそ”できることってそんなにないなって。このまま細々と続けるよりも、いったん大学に戻って学び直したい」
復学した森さんは、市民を巻き込んだ社会の仕組みづくりである、ソーシャルデザインの領域に興味を持つ。北欧等の事例について論文を読み込むうちに、研究にのめり込んでいった。
大企業の内定を辞退し、NPOへ
「エリート」の姿は、変わりつつあるかもしれない。
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森さんはこの6月の大学卒業後に「ミラツク」(本拠地:京都府京都市)というNPOに就職する。大手総合商社や大手IT企業の内定は、辞退した。
日本や諸外国でみつけたいくつかの組織に片っ端からメールを送った際、一番初めに返信が来たミラツクで、インターンを始めたのがきっかけだったそうだ。
現在も、朝5時に起床し、3〜5時間ほどをミラツクの仕事に充てている。国内外での完全テレワークも可能。将来は拠点を国外に置きながら、働くことを考えているという。
「いつかは市民を巻き込んだ持続可能な社会づくりの仕組みを、アフリカで実装したい。でも、いまはまだ研究したりリサーチしたり知見を貯めるフェーズかなって思ってます」
「海外に行ってなかったら、いまごろシンプルに地元の銀行に入っていたかも」
今森さんは、かつての自分と同じように、生まれ育った“地元”でくすぶっている高校生の力になりたい、と考えている。
これまで海外大進学というと、灘高などのエリート校を卒業し、東京大学に「仮面入学」してからハーバード、といったトップエリートのイメージが強かった。しかし最近では、森さんと同じように地方出身の学生も増えているそうだ。
4年間の学費と生活費はざっと見積もっても1400〜1700万円ほど。
「共働きとはいえ、滋賀県で決して年収の高くない両親には相当な負担だったと思う」
「両親は『やりたいことをやるのが大切』という考え方で、大学のために頑張って貯金してくれていたんだと思います」
JASSO(独立行政法人日本学生支援機構)からも毎月奨学金を借りており、14年間かけて毎月返済していく予定だ。森さんの選んだ道は、決して金銭的にも簡単なものではない。しかし、長期的に見たらとても価値の高い投資に見える。
「ゆでガエル」になる方がよっぽど恐ろしい
撮影:今村拓馬
考えようによっては、国内のそこそこの大学をでて、銀行や大手総合商社に就職するよりも、よっぽどリスクが少ないのではないか。
日本の人口は減少し続け、世界の中での存在感も明らかに落ちてきていると感じる。そんな国で、ゆでガエルになるほうが、よっぽど恐ろしい。ましてや、伝統的価値観の残る大手企業で、何年も何年も下積みを続け、その会社でしか通用しない人材になってしまった頃に、会社が潰れでもしたら一体どうしたらいいのだろう。
こんなことを書くと、「大企業はそんな簡単には潰れない」「まずは社会人としての経験を大企業で積むべき」「最初にNPOなんかに就職してそのあとの転職は難しいだろう」という大人たちの声が聞こえてくる気がする。
それでもなお、いまこの瞬間に世間一般の“エリート”と言われる、人生のレールに飛び乗ることへの危機感は、それらの声をかき消すほど強いのだ。
世界に飛び出し、日本の立ち位置を客観的に見つつ、幅広い価値観を知る。そして、心地よい環境に身を置きながら活き活きと働き、自分の専門性を磨いていく。こうやって、どこの会社でも、どこの国でも働ける実力を身につけるという彼の選択は、筆者からみると激動の時代を生き抜く、とても賢く、現実的な判断に思えるのだった。
新居日南恵(manma代表): 株式会社manma代表取締役。1994年生まれ。 2014年に「manma」を設立。“家族をひろげ、一人一人を幸せに。”をコンセプトに、家族を取り巻くより良い環境づくりに取り組む。内閣府「結婚の希望を叶える環境整備に向けた企業・団体等の取組に関する検討会」・文部科学省「Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」有識者委員 / 慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科在学。