アメリカのスターバックスは、店内及びトイレの利用に関するポリシーを変更した。
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- アメリカのスターバックス(Starbucks)は、商品を購入しなくても客が店内やトイレを利用できるようポリシーを変更した。
- 新たなポリシーは、スターバックスを「より温もりの感じられる居心地の良い環境」にするものだという。
- しかし、スターバックスの顧客はコミュニティーよりも利便性を求めている。
アメリカではスターバックスの店内やトイレを利用するのに、もはや商品を注文する必要はない。
「わたしたちはスターバックスが第三の場所になることを望んでいます。人々が集まり、つながることのできる、温もりの感じられる居心地の良い環境にしたいのです」同社は週末、リリースを出した。「商品を購入するかどうかにかかわらず、スターバックスのトイレやカフェ、パティオといった空間を利用する全てのお客さまを歓迎します」
この発表は、ペンシルベニア州フィラデルフィアのスターバックスで4月、仕事の打ち合わせのために店内で待っていた黒人男性2人が逮捕されたことを受けて出されたものだ。2人のうちの1人が商品を購入せずに店内のトイレを使っても良いか、店員に尋ねたという。
この決定は、全ての論理的なビジネス・セオリーに反するように見える。スターバックスはフードやドリンクを購入する客から収益を上げている —— パソコンをいじったり、トイレを使いに店に飛び込んでくる人からではないのだ。
店を開放するのはスターバックスの創業のセオリーにある意味、合致している。しかし、同チェーンがトイレを開放するというポリシーを明文化した事実は、ブランドが危機にあることを示している。
"第三の場所"になる
"第三の場所"というスターバックスのコンセプトは、長きにわたり同社のDNAに組み込まれてきた。長年CEOを務め、現在は会長となったハワード・シュルツ(Howard Schultz)氏は、スターバックスが家と職場の間にある、人々がコミュニティーを見つけられる場所でありたいと考えてきた。
シュルツ氏の考えるこのコミュニティーこそ、人々がスターバックスを訪れる(そしてドリンクにより多くのお金を払う)真の理由だ。スターバックスが"第三の場所"であり続ける力を失えば、同社はその主要なセールス・ポイントを1つ失うことになる。
しかし、多くの白人以外の人々は、スターバックスが彼らにコミュニティーという感覚を提供したことなど一切ないと主張している。
「平等なアクセスを提供しているかのように見えるが、現実はごく一部に限られている」テンプル大学の教授ブライアント・サイモン(Bryant Simon)氏は自身の著書『Everything but the Coffee: Learning about America from Starbucks』で書いている。
例えば、本を書くための調査をしていたとき、サイモン氏がトイレの鍵を貸してもらえないか店員に尋ねてもトラブルになることはなかったが、黒人男性が頼んでも拒否される場面を何度も見たという。
店を開放するというこの新たなポリシーは、客であろうとなかろうと、誰もがいつでもどんな店にも入ることができるというスタンダードを作ることでこの問題を解決するはずのものだ。しかし、多くの客がスターバックスでコミュニティーを見つけるのをすでにあきらめている中、同社の対応は遅すぎたかもしれない。
コミュニティーとドライブスルー
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コミュニティー・センターになるというスターバックスのミッションは、もはや大義を失っているのかもしれない。今やスターバックスの新規店舗のおよそ80%に、ドライブスルーというコミュニティー作りに貢献したり、店の周りに人が集まることのない注文手段が備わっているのだ。
そして、顧客はますます"第三の場所"という気高いミッションの代わりに、利便性を求めてスターバックスを訪れているように見える。ドライブスルーとモバイル注文によって、より多くの顧客が可能な限り人との接触を減らし、ドリンクを持ち帰ろうとしている。
「顧客基盤が成長するにしたがって、我々の顧客は時に第三の場所という体験を求め、時に利便性を求めている」スターバックスのCEOケビン・ジョンソン(Kevin Johnson)氏は2017年、Business Insiderに語った。「我々は一方のために他方を犠牲にするつもりはないが、そのバランスはデリケートなものだ」
ブランドの一貫性を維持するのは —— 特にコミュニティー・ベースのより高級路線の場合 —— 異なる顧客が異なるものを求めたとき、より困難になる。
黒人男性の逮捕を受けてのスターバックスの努力は、"第三の場所"という評判を獲得し続けるために同社がいかに真剣であるかを表している。しかし同時に、コミュニティーと利便性という2つの異なる目標は、逮捕とは無関係のアイデンティティー・クライシスを生んでいるのかもしれない。
(翻訳、編集:山口佳美)