金融市場にさほど興味を持たない読者でも、「リスク回避ムードが高まった結果、比較的安全とされる資産の円が買われ……」というフレーズを1度は見聞きしたことがあるのではないか。その際、同時に「なぜ円が安全なのか」という疑問を抱いた経験もあるだろう。
対外純資産が沢山あるという事実は、見方を変えれば「日本国内に投資機会がない結果、外に出るしかなかった」ことの裏返し。
REUTERS/Kimimasa Mayama
実際、100年に1度の大地震が起きても、大津波に襲われても、原子力発電所が事故に遭い、「東京壊滅か」という仰々しい懸念に煽られても円はその都度、買われてきた。最近では自国に向けてミサイルが発射されても円買いが進んだことも記憶に新しい。
これらの動きに関しては直感的に納得のいかない向きもあるだろう。為替市場分析を生業としている中で「なぜ円が安全なのか」という論点は頻繁に照会を受ける論点の1つだが、最も模範的かつ異論が少ない解答が「日本は世界最大の対外債権国だから」というものになる。
27年連続で世界最大の対外債権国
これは「日本は世界で一番外貨建ての資産を保有している国だから」とも言い換えられる。この点に関する数字は毎年5月末、財務省が前年分について公表する『本邦対外資産負債残高の状況』が大いに参考になる。5月末に明らかになった2017年末分の数字によれば、日本の企業や政府、個人が海外に持つ資産から負債を引いた対外純資産残高は328兆4470億円と3年連続で減少したが、27年連続で「世界最大の対外債権国」という座を維持した。
政府債務が先進国中最悪の状況にあっても「安全資産としての円」の地位が揺らいでいないのはこうした盤石の対外ポジションが評価されているからにほかならない。まさに「安全資産としての円」の本領が発揮されている数字である。
なお、以下では対外債権のことを資産と負債をネットアウトした資産ということで対外純資産と呼ぶことにしたい。ちなみに断っておくが、対外純資産がたくさんあることが全面的に良いことだと言うわけではない(もちろん、対外純債務まみれよりは良いが)。対外純資産がたくさんあるという事実は、見方を変えれば「日本国内に投資機会がない結果、外に出るしかなかった」ことの裏返しでもあるため、日本を語る上で憂うべき論点も多く含んでいるだろう。
変わる対外純資産の構造
図①
さて、この対外純資産を項目別(図①)に見ると、どのような事実が見えてくるか。最大の項目は直接投資で前年比+11.9%増の146兆1440億円、次が証券投資で同▲26.2%増の85.7兆円となっており、直接投資の伸長が際立っていることが分かる。残高に占めるシェアを計算してみると、直接投資の44.5%に対して証券投資は26.1%に止まっており、これで3年連続、直接投資が最大の対外純資産項目という構図である。
直接投資とは日本企業による海外企業買収、いわゆるクロスボーダーM&Aの動きなどを含む項目である。近年、この動きが旺盛であることは前回の寄稿『武田、リクルート、ソフトバンク…大型海外買収は為替相場をどう動かすか?』でも解説した通りだ。証券投資は文字通り、米国債や米国株など海外の有価証券に対する投資を指す。
2000年代前半まで遡ると、日本の対外純資産と言えば半分以上が証券投資だった。そう考えると「世界最大の対外債権国」というステータスこそ27年間不変だが、その中身はかなり変わってきており、具体的には「証券投資から企業買収へ」という構造変化が起きていることが分かる。
証券投資よりも「儲かる」直接投資
図②
こうした構造変化の背景には世界的な低金利傾向を受けて「証券投資に勤しむよりも事業機会を拡げるべく企業買収に注力した方が高い収益率を実現できる」という現実があるのだと推測される。
それを裏付けるデータもある。国際収支統計を元に、直接投資の収益率は「直接投資収益(受取)÷対外直接投資残高」で、証券投資の収益率は「証券投資収益(受取)÷対外証券投資残高」で試算したものを過去10年間について平均した場合、証券投資の約+4.2%に対し直接投資は約+6.7%であった(図②)。
先進国の潜在成長率がもはや危機前を回復できないと仮定した場合、それによって各国の政策金利も恐らく高まらないことが想定され、必然的に証券投資が直接投資に収益率で劣後する構図は続くだろう。ちなみに直接投資の収益率を国・地域別に見ると、中国やASEANなどアジアを対象とした投資の収益率が欧米のそれを凌駕しており、全体平均も上回っている。日本の対外債権構造は「証券投資から企業買収へ」そして「欧米からアジアへ」という変化を経験しつつあるのである。
日本の地位に迫るドイツ
巨大な対外純資産の存在は為替の観点から見ると、「いざとなれば売る外貨をたくさん持っている」ということになり、それゆえに「通貨価値が大暴落するようなことはない」という理解につながる。日本(円)はその評価軸に照らせば他の追随を許さない地位を守り続けているため、市場では脊髄反射的に「危ないことが起きる→円に逃げる」というアクションが取られやすい現状があると考えられる。
もちろん、対外純資産の全てが直ぐに換金できるものばかりではないのだが、理論的には概ね筋が通っている話でもある。少なくとも「危なくなったら対外債務国より対外債権国」は議論の余地のない鉄則であり、これに当てはまらないのは基軸通貨国のアメリカくらいのものである(アメリカは世界最大の対外債務国)。
しかし近年、27年連続で「世界最大」という日本の地位に肉薄している国があることを紹介しておきたい。2017年末の対外純資産残高について主要国比較をすると、日本に次いで大きいのがドイツの261兆円1848億円、中国の204兆8135億円であった。
図③
この上位3か国の顔ぶれは例年通りだが、ドイツと中国の差は2015年にかけてほぼ消滅し、2016年もほぼ同じとなった後、2017年はかなり開いている。さらに日本との比較で見ても、2014年以降、ドイツの対外純資産残高は日本に徐々に、しかし確実に迫っている(図③)。
周知の通り、ドイツは「永遠の割安通貨」を背景に世界最大の経常黒字を荒稼ぎしており、対外純資産は毎年早いペースで積み上がっている。もはや、経常収支に基づく「フロー」は圧倒的にドイツが日本よりも大きいため、仮に為替レートが一定ならば、自ずと「ストック」である両国の対外純資産の差も縮まっていくことになる。
2017年7月、G20会合に出席した安倍首相とアンゲラ・メルケルドイツ首相。
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円が安全資産としての需要を引きつける理由が「世界最大の対外純資産国」というステータスにあるのだとすれば、ドイツが保有する通貨も本来ならば同種の需要を引きつける筋合いにある。本来、そうした文脈に即して「安全資産としてのユーロ買い」が出ていても不思議ではないのだ。しかし、現実はそうなっていない。
周知の通り、ユーロはドイツもイタリアも含めてユーロなのであり、ドイツのファンダメンタルズに相応しいほど通貨が強くなることは100%ない。その上、ドイツは周縁国に対して身銭を切ることを強く拒む。ドイツがユーロにフリーライド(タダ乗り)していると揶揄される一面である。遅かれ早かれドイツは「世界最大の対外純資産国でありながら、通貨は常に割安」という状況に至ることが予想される。
今回の本欄のメインテーマではないので深追いは避けるが、そのような異常事態の持続性をどう見るかは今後のEUないしユーロ圏の経済・金融を語るにあたって極めて重要なテーマになるだろう。具体的にはドイツにおけるバブルの生成・崩壊などを視野に状況変化を追っていきたいところである。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)国際為替部でチーフマーケット・エコノミストを務める。