メルカリ代表取締役会長兼CEOの山田進太郎氏。
2018年6月19日、フリマアプリ国内最大手のメルカリが東京証券取引所マザーズに上場する。
今回の上場で市場から新規に調達する資金は、500億円を超える。その使途についてはさまざまな推論があるが、有力視されるのが既に進出済みの海外事業、特にアメリカ市場への大規模な資本投下ではないかという見方だ。
メルカリにとって海外事業はどんな意味を持つのか。そして、海外事業はどういうフェーズにあるのか。
今回、メルカリが一部報道陣向けに公開したシリコンバレーオフィスと、アメリカ法人Mercari, Inc.のエグゼクティブの言葉を通して、アメリカ市場での成功への道筋を見ていく。
パロアルトへ「米国オフィスを移転」した理由
パロアルトのMercari, Inc.の新オフィス。幹線道路に面した低層の2階建て。典型的なシリコンバレー地域のオフィスだ。
米国Mercari, Inc. の新オフィスは、シリコンバレーの中心部、パロアルトにある。2014年にアメリカ進出して以来、活動の中心地としてきたサンフランシスコ市内を離れ、5月29日に移転。広さは一気に2倍、スタッフはこの9カ月で約40人から約80人に倍増した。
社内の調度品は、どちらかと言えば落ち着いた実直な雰囲気。
ガラス張りの個室のミーティングルームのほか、こうしたオープンなミーティングスペースもある。
カフェテリアの一角にはビリヤード台もあるが、グーグルなどでおなじみのアーケードゲーム機といったようなカジュアルなエンタメは置いていない。カフェテリアでは毎日、ケータリングの昼食などが振舞われる。
メルカリのアメリカ進出は早かった。アメリカ法人のMercari, Inc. は2014年1月に設立。本家メルカリアプリが日本でサービスインした1年2カ月後の2014年9月に米国版メルカリ(Mercari)を開始した。運営期間は現時点で4年弱、決して短くはない。
しかし、日本における事業の拡大規模に比べ、アメリカでの実績はいまだ投資の段階。ここまでの状況を「苦戦」と見る向きは多い。
外形的な事実として、直近の米国版メルカリは、少なくとも活性度において停滞していた。
有価証券報告書によると、2017年6月期のアメリカ国内での流通総額は約160億円。規模にして日本の7%(同期の国内流通総額は約2300億円)であり、2017年6月期の下半期の数字は前年同期を下回っている。
メルカリの「新規上場申請のための有価証券報告書」より抜粋。
一方、メルカリの「アメリカでの成功」への決意は並々ならぬものがある。山田進太郎会長は、2018年1月のBusiness Insider Japanとのインタビューで、「『アメリカがちょっと調子が悪いからやめる』となれば、会社の存在意義がなくなる」とまで語っている。
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2018年3月、米国版メルカリは大規模な「リブランディング」を実施した。現在の米国版メルカリは、ロゴも違えば、アプリの画面も、ブランドカラーも異なる。アプリのプログラムそのものも別物だ。そうと知らなければ、同じサービスだと気づかない人もいるかもしれない。
左が米国版のメルカリアプリ、右が日本版。テーマカラーが青と赤でまったく違うほか、米国版は明確に「売る」ということを意識させる文言やUI設計になっている。細かく見ると機能も違う。まさに別物だ。
リブランディングについて、米国法人Mercari, Inc. のCEO、ジョン・ラーゲリン氏は、パロアルトの新オフィスで取材陣に対し、流暢な日本語でこう答えた。
「(知名度が十分でない状態のサービスで)ロゴマークとワードマークが別々(の日本ロゴ)だと、両方の認知度を高めなければいけません。(ブランディング上)難しいと感じていました。だから、(両方を)合体させたかったんです。新しいロゴでは、(家具の)イケアや(小売大手の)ターゲットのように、男女・経済水準・出身地など関係ない雰囲気のフォーマットで、認知度を上げていきます。
(ロゴカラーの)青色は、アメリカのマーケットプレイスで持っている(使っている)人たちがいません。信頼性につながる“青”を獲得できたのは、興味深いと思っています」(ラーゲリン氏)
ジョン・ラーゲリン氏。メルカリの取締役CBO兼US CEO。
アメリカ取材で改めて確認できたのは、リブランディング計画が、まさに聖域なき見直しだったということだ。当初は、「Mercari」というサービス名すら変更しても良いという話があったという。ラーゲリン氏は「名前すら変えても良いと言うシン(山田会長)のオープンマインドが、入社を決めた理由の1つ」(ラーゲリン氏)と語った。
米国版メルカリとMercari, Inc. は、ラーゲリン氏のCEO就任後から現在までの9カ月間で、サービスと組織の質を大きく変化させてきた。
就任以来の時系列の動きを語るラーゲリン氏の口調には、Mercari, Inc. の潜在能力の良い部分だけを抽出し、一方で「シリコンバレー流の組織づくりと、高速改善の手法」を妨げる要素はゼロベースの勢いで徹底的に考え直してきた、という自信がにじむ。
取材で確認できた範囲だけでも、時系列に並べると、当初からこの時期の上場を見据えたかのような連続性を感じさせる。
なぜ米国版メルカリを作り直したのか?
シリコンバレーは、日本企業がかつて成功した例がほとんどないと言われるほど、日本のスタートアップ企業にとって厳しい競争環境だ。この地でメルカリがどこまで大きな存在になれるのかは、まだわからない。
しかし、「リブランディング」と「移転後のMercari, Inc. 」は、歴史を振り返ったときに、重要なターニングポイントになる可能性が高いだろう。
ラーゲリン氏は2017年の状況について、「(入社してアメリカの状況をみると)モノが売れる比率は日本に負けない水準。(顧客ロイヤリティを示す)NPSも50ポイント以上など、小規模ではあるけどワークしているのが見えて感動した」(ラーゲリン氏)と語る一方、就任時点でチームの体制や組織でやるべきことがたくさんある状態だったとも認める。
CMOのスコット・レヴィタン氏は、リブランディング実施までの苦労をこう説明する。
CMOのスコット・レヴィタン氏。前職はグーグル。ラーゲリン氏とは旧知の仲だった。「ジョンの入社を聞いた約1年前に、メルカリという名前は、正直言って知らなかった」。その知名度でも一流の人材を獲得するため、ラーゲリン氏のシリコンバレー人脈が大いに発揮された。
「一番のキモは、“解決しようとしている問題が何なのか”について、全員のコンセンサスを得ることでした。ただ(気に入った)新しいロゴが欲しかったのではなく、市場で何ができるのかすぐに認識してもらえるロゴにすることが目的だったからです」
「(これだけECが発達した世の中で)どんな消費者にも、今さら物の“買い方”を教える必要はないのです。しかし売り方はちがいます。消費者は“売りたくない”のではなく、“自分が手放したいものを、買いたい人などいない”と思っているのです。
アメリカ家庭は、11軒に1軒が貸し倉庫に(不要な)モノを保管しています。世界中の貸し倉庫の94%がアメリカにある。
(米国版メルカリの)“The Selling App.”という言葉(キャッチコピー)が出てくるまでには、試行錯誤がありました。この言葉は社内から出てきたものです。考え出す作業は(外部のコンサルなどに)委託すべきではないと考えています」
米国版メルカリアプリの起動画面。「The Selling App.」(売るアプリ)というのは非常にシンプルに研ぎ澄ましたコピーだ。
現在、米国版メルカリは、独自のコードで作り直された日本版とはまったく別モノになっている。米国版メルカリの製品担当のトップ(Head of Product)をつとめるシダ・シューベルト氏は、従来の世界共通コードで展開していた際の課題を、「(アメリカの新機能が各国に影響しないかを慎重に検証する必要があり)フェイルファースト(fail fast)が十分にできない環境になっていた」と説明した。フェイルファーストとは、“いち早く失敗し、改善する”という意味のエンジニア用語だ。
ただでさえ変化の激しいアメリカのEC(C2C)業界で、試行の繰り返しと改善のスピードを削がれることは、文字通り死を意味する。
独自コードに一新された米国版メルカリでは、いま2週間に一度の頻度でアップデートを繰り返している。さらに1回の更新のタームの中で、ユーザーごとに「およそ4〜5のバリエーションを同時に」(シダ氏)走らせて、新機能や新しいUIをテストしているという。
メルカリが目指す「シリコンバレー級企業」
玄関のメルカリロゴ。取材時はまだ移転して2週間余り。室内にはうっすら塗料の匂いが残る。
上場、さらにその先を見据え、ラーゲリン氏はメルカリにとって重要なアメリカ事業をどのような方向にバージョンアップさせようとしているのか。
一言でいえば、シリコンバレー流の組織にすることだと、ラーゲリン氏は言う。
既に知られるように、ラーゲリン氏はFacebookやグーグルで要職を歴任し、シリコンバレー流のクリエイティブと改善の手法を肌身で知っている人物だ。
世界をリードする、シリコンバレー企業の強さとは何なのか?
ラーゲリン氏は山田会長と共有している想いとして「改善マシン」という考え方を挙げた。
「(サービスを)常に改善していくマシン(=プロセス)をどう作っていくか、その改善マシンを回している人たちがシリコンバレー級の知識を持ってやっている。これを実現する」
「日本では感覚的にできる部分を、ここ(シリコンバレー)では、感覚ではなく、プロセス化しています。(米市場での成功のためには)感覚がいらないくらいの改善マシン、(グーグルやFacebookが当たり前のように行なっている)常に改善して、競合をリードする改善マシンを作っていくことが大事なことです」
もちろん、シリコンバレー級企業になるための組織には、何より人材が必要だ。
米国版メルカリの街頭広告。サンフランシスコ周辺の幹線道路沿いなどにも複数の場所で行なっている。
メルカリ
しかし、メルカリは、アメリカではまだほとんど無名と言っていい。2017年10月に参画したCMOのスコット・レヴィタン氏によると、着任後に実施した認知度調査では、スマートフォン利用者における「Mercari」の認知度は5〜7%だったという。
端的に言えば、ラーゲリン氏が奔走した9カ月は、現地ではまだほぼ無名の企業が「優秀な人材を獲得するために必要なこと」を、地道にかつ急速にやり続けてきた期間だった。
幹部とリーダー層にピカピカの一流人材を集め、有能な人材の集積地であるシリコンバレー中心部にオフィスを移転させ、アプリを一新(リブランディング)させ、新たな街頭広告も始める。組織一丸となってこれを約9カ月で実行した。
「着任以来、組織づくりをひたすらやってきました。(いま、上層部の人材は)ほとんど揃いました」とラーゲリン氏は断言する。相当な自信だ。
このタイミングでの上場と、市場から調達する500億円以上の資金は、メルカリからすれば、まさに準備万端整ったという状況だ。ラーゲリン氏は「(アメリカでの本格展開は、資金の余裕があったとして)何百億円を燃やしてやっていこうということはない。建設的にステップを踏んでやっていく」と語る。これは、自身と山田会長の共通の考え方だという。
とはいえ、典型的なWinner takes all=「勝者総取り」のC2C市場で勝つには、競合と同水準の資本投下は避けられない。勝ちを狙うからこそ、短期間の大規模投資で一気に市場を獲りにいくというのは、それほど極端な見方ではないだろう。
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Mercari, Inc. にとって、「パロアルトへの移転は大きなマイルストーン」(ラーゲリン氏)だが、「世界的なマーケットプレイスを創る」をミッションに掲げるメルカリ本体にとっても、それは同じ意味を持つ。
気鋭のスタートアップだったメルカリが、「大人の企業」として次のフェーズへ脱皮できるか。シリコンバレー級の企業に「変貌」できるか。
その成否は、ここから1〜2年のアメリカ市場での成果にかかっている。
(文、写真・伊藤有)