専門性を磨くことが足かせに?今注目のシンセサイザー人材とは何か?

この社会でキャリアを築いていくのには、確固たる「専門性」を磨くことが近道であるというのが、これまでの通説だったのではないでしょうか。ところが、そうやって苦労して身につけた専門性が、逆に「足かせ」になってしまう可能性があると指摘する人がいます。

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ソニー本社、教育事業のアメリカ進出担当を経て、昨年9月に開講された「ハーバード以上の難関」と評されるミネルヴァ大学のマスターコースに、現時点で唯一の日本人として在籍する橋本智恵さんです。彼女は自身のブログで、

これまでは特定の専門性を持つことが一人前だと重視されてきた時代ですが、それでもなお、既存のシステムの中では、紛争、資本主義による富の分配の不平等、貧困問題、所得格差による教育機会の格差など、さまざまな解決困難な問題が残っています。

と綴っています。

橋本さんが在籍するミネルヴァ大学は、「トップ大学が富裕層の特権集団になり、社会に出ても学閥などクローズドなコミュニティを形成してしまっている」(橋本さん)という問題を解決すべく、2014年に設立された4年制大学。授業がすべてオンラインで行われること、専攻を決める前に徹底して「考える力」を鍛えるカリキュラムが敷かれていることは、以前この記事で触れた通りです。

橋本さんはそのカリキュラムを、

今後私たちの前に立ちはだかる課題に対して、1つの分野に特定した専門家よりも、複数にまたがる領域の原則を見いだし、未知の根本的な問題を特定できる「Synthesizer(シンセサイザー=組み立てていける人)」を育成するプログラム

と紹介しています。専門性を磨くことの潜在的な問題とは何か、その問題を克服し、不確実な世の中を生き抜く新たな人材像「シンセサイザー」とはどういったものなのか —— アメリカ西海岸で暮らす橋本さんとSkypeをつないで、お話を伺いました。

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橋本さんは内閣府グローバルリーダーシッププログラムにも参加。

現代の複雑な問題を一つの専門性で解決するのは難しい

―専門性を磨くことの何が問題なのでしょうか?

これまでは ”専門家” によって多くの問題が解決されてきました。しかし、21世紀の問題はより複雑化しているので、既存の専門性だけで解決するのは難しくなっています。複数の分野から必要な情報を集めて組み立てられないと、こうした問題を解決することはできません。

今、「イノベーションが必要」と頻繁に言われますが、このイノベーションも、異なる知と知の新しい組み合わせによって生まれることが分かっています。例えば、HIVやAIDSの疫学対策においては、薬学の他に行動保健学や社会的偏見にも対応する必要があり、ジェンダー心理学などさまざまな分野の知が組み合わさることで、制圧に貢献しました。

同じく、日本国民のテクノロジースキルを向上させるためプログラミング教育をこれからどう導入していくのか、といった問題も、教育分野だけで解決できるとは到底思いません。工学の分野では学習者の多様化に対応する仕組みを整えたり、教える人材のインセンティブを教育界に招致する経済学の知、女子生徒の興味低下の問題に取り組むためのジェンダー心理学など、さまざまな知が必要とされていくでしょう。

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しかし、何か一つの分野を究めた専門家ほど、積み重ねてきた経験からくるバイアス(偏見)が邪魔をして、「分野外」の物事をフェアに判断できないことがあるのです。すべての人がそうではありませんが、自らを何かの「専門家」と名乗る人は、カチッとした芯の通った人という印象は受けるものの、問題の全体感を捉えるよりかは自分の専門性からくる主張を貫こうとする姿勢が上回ってしまい、どこか一緒に仕事がしづらいところがないでしょうか。

また、個人のキャリアという観点から見ても、一つの専門分野を突き詰めることで出せる価値は今後、どんどん人工知能やロボットによって置き換えられていくことが予想されます。例えば、「マーケティングのプロ」と言ったところで現時点でもすでに、かつて人間がやっていた仕事の大部分は消費者動向データ統計などの機械に置き換えられ、人間が担う仕事はかぎられたものになってきていますよね。

将来的に人間に残される仕事、求められる役割は、未知の問題を特定し、それを解決するために必要な要素を複数の分野にまたがって集め、組み立てていくことになるのではないか。このような問題意識に基づいてミネルヴァのマスターコースが育成しようとしている人物像が、「Synthesizer(シンセサイザー)」です。

一般にはエキスパート・ジェネラリストとも呼ばれるように、専門性は持ちつつ、ジェネラリストとしての側面も持った人物のことを指します。

ミネルヴァの学生たち。

ミネルヴァの学生たち。

シンセサイザーたちが磨くコアスキル=「情報判断力」

―「専門家がジェネラリストとしての側面も持つ」とは、どういうことを意味するのでしょうか?

私が今、ミネルヴァでどのような教育を受けているかを説明することが、その質問に対する答えになるでしょうか。ミネルヴァに来てからの半年で学んだことを私なりにひと言で表すと、それは「情報判断力」を磨く日々だったということになるかと思います。

ミネルヴァ大学

ミネルヴァの授業風景、といってもすべてオンライン。画面右下が橋本さん。

先ほど、未知の問題を特定し、解決に導くには、解決するために必要な要素を複数の分野にまたがって集め、組み立てていくことが求められると言いました。しかし、それができるためには前提として、 どの情報がキーになっていくのか、自分の専門分野外の内容も合わせて状況やコンテクストに合った「信頼できる情報」を正確に判断できることが不可欠です。

自分の専門領域に関してそれをするのは比較的簡単です。しかし、専門外の情報の真偽を正確に判断するのは難しいですよね。特に、一つの分野を究めた人であればあるほど、専門外の情報にはわりと無頓着になりやすい。

―最近はフェイクニュース問題がよく取り上げられますが、情報の真偽を判断するのは難しいです。

例えば、遺伝子組み換え作物などいまだにリスク予測が実証されていないようなトピックです。賛否両論さまざまな角度から情報が報道されるので、一つの側の主張のみされている記事の情報を真に受けてしまうなどの罠に陥ってしまいます。

自分の専門分野ではない場合、知識がないのでなおさらニュースが発信する真偽を判断するのは難しい。しかし、その情報の元となった研究結果がどれだけ信頼性のおけるサイエンスメソッドに従っているのか、実験対象となったサンプルの質や量からどれだけ主張の汎用性があるのか、主張を展開するに足る統計的根拠を持っているのか、利害関係者間にどんなバイアスが潜んでいるのか、などの軸で評価することはできます。

これらの情報を判断するステップを踏むことで、 単にニュースの主張を鵜呑みにするのではなく、たとえ専門分野の知識がさほどなくても、情報の信頼性を判断できるのです。

―そうした力をミネルヴァではどのように磨いているのですか?

私がミネルヴァのマスターコースで「意思決定の科学」を専攻し、そこで学んでいるのは、まさに問題解決のためのキーとなる情報を見分け、「専門外の情報であっても信頼性を判断する方法」であると言えます。具体的には、この半年で私は「Formal Analyses」と「Empirical Analyses」という二つの科目を終えました。

前者のFormal Analysesは、統計学や数学モデルをツールとして、いかにロジックを根拠に定量的に情報を精査し意思決定するのかという学問。後者のEmpirical Analysesは、問題解決のフレームワークや専門家が陥りやすいバイアス(偏見)を見抜き、仮説を立て、検証するための実験をデザインするといった、サイエンスメソッド、科学者がとるアプローチを学ぶ科目です。

今夏の学期では「Complex System」という科目を習得中で、ここでは複雑系事象に対し問題を分解し、さまざまなレベルでの分析を通し、不確実性を受け入れた上で将来の動向を予測する手法を学びます。

ここで学んだ型を用いれば、仮に「遺伝子組み換え作物は体に悪い」という報道に接したとしたら、総合的にこの問題を複雑化している要素を洗い出し、確立されつつある事実関係がどんな研究、データを元にしているのかを見に行き、信頼に足るものなのかどうかを吟味することができます。他にも、刑事裁判や気候変動、高齢化社会など、いわゆるグローバル問題と呼ばれる複雑な問題を題材に、こうした型を使って考えることを繰り返し、その習熟を図ってきました。

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複雑な問題を解決するため、異なるバックグラウンドの人が集ったとしても、お互いが相手の専門分野についても深い知識を持ち合わせているとは限らず、一つの方向に向かうのには難しさがあります。そうした際に、チームの中に専門外の情報について真偽を判断できるシンセサイザーが一人でもいれば、物事は解決に向かって進みやすいはずです。

もちろん、最終的には専門家にまかせなければならない部分はなくならないでしょうが、どこからどこまでを誰にまかせたらいいのかを判断したり、また仮にまかせたとして、その情報が正しいかどうかを最後まで見届けたりするのにも、この情報判断力が不可欠だと思います。

「3つの専門性」×「横断」で人はよりクリエイティブに

―チームの中にそういう人がいると、うまくいきやすいのはイメージできます。橋本さんは、シンセサイザーがチームに一人でもいればいいとお考えですか? それとも誰もがそうなる必要がある?

誰もがシンセサイザーにならなければいけないかと問われれば、そうではないかもしれません。例えば、飛び抜けた天才プログラマーであれば、一つの分野を究めるだけでも、唯一無二の価値を生み出し続けることができるでしょう。

しかし、それはごくひと握りの人間にかぎった話。そうでないのであれば、専門家として価値を出すことは今後難しくなっていくだろうと私が考えているのは、先ほどお話しした通りです。

それに、私の印象ではたとえ専門家を名乗る人であっても、「本当に賢く、示唆に富む気づきを周囲に与えてくれる」と思える人は、結果としてシンセサイザー、エキスパート・ジェネラリストであることが多い気がするんです。知識の幅が広く、何かを究めてもなお、幅広く勉強し続けているような。

象徴的なのは、テスラ・モーターズやスペースXの創業者、イーロン・マスクですね。異なる分野で次々に成功を収める彼は、幼いころから哲学、文学、テクノロジーなどさまざまな分野を学び、異なる分野の原則を境界を超えて当てはめ、独創的なアイデアを生み出すことで知られています。

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だから、もし私に大学生の妹や弟がいたとしたら、「専門性を磨け」とは言うでしょうが、そのうえで、「できるだけ幅広い情報に触れられるよう、アンテナを広げてね」とも、あわせてアドバイスするだろうと思います。

―なるほど。

イーロン・マスクのように分野を超えた原則を見いだし、新しい価値を打ち出すシンセサイザーになるためには、先ほどの情報判断力に加え、「3つの専門性」を並行して磨き、それらの領域を「横断」する必要があると言われています。

例えば、私の場合、

  1. 現在ミネルヴァで学んでいる情報判断力、データサイエンススキル
  2. 8年勤めたソニーでの営業・経営管理の経験で培ったマネジメントスキル
  3. 教育や女性のエンパワーメントの分野で問題を見つけ出す力

です。これらを組み合わせることで、ゆくゆくは日本における教育改革や女性の社会進出に貢献したいと考えています。

シンセサイザーを目指すことは当然、個人のキャリアにもプラスに働きます。なぜなら、1つの専門性だけでは他の人との違いを打ち出すのが難しくても、3つの組み合わせであれば、独自のポジションに立ちやすいからです。

最近は「クリエイティブであれ」と頻繁に言われますが、「クリエイティブ」というのがその人独自の問題解決ができることだとすると、シンセサイザーになって自分なりのセンスで3つの専門性を掛け合わせることこそがクリエイティブなのではないかと、私には思えます。

キャリアの築き方はもっと自由になる。これからの学び方

―では、何を自分の専門性とすればいいのでしょうか。3つのカードはどうやって選べばいいと思いますか?

私は、自分の内側を掘り下げて、自分の興味に徹底して従うことが、結果として自分の分野を横断できる存在へと導き、独自のクリエイティビティーを発見することになるのではないかと思っています。というのも、私自身、先ほど挙げた3つの専門性に気づいたのは、まさにそうしたプロセスを踏んだ結果でした。

―どういうことでしょうか?

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シリコンバレーの教育テクノロジー事情を調査していたころの橋本さん。

私の過去を振り返りますと、まずソニーを退職したきっかけは夫の転勤でした。「この先長く勤めるイメージも湧かないし、いい機会だ」と思って辞めたはいいものの、当初は自分がやりたいことが何なのか分からず、自分探しをする期間が続きました。世の中のニーズを探るべく、毎日いろいろな人と会うようにしていたのですが、これといったものは見つかりませんでした。

そんな折、とあるスタートアップで働く若い男の子に、単刀直入に聞いてみたんです。「私を雇おうと思いますか?」と。私よりもだいぶ年下の、でもスタートアップの最前線にいる彼から返ってきた答えは、とても辛辣なものでした。「何か飛び抜けた専門性があるならまだしも、あなたを雇いたい理由が思い当たりません」って。

大企業で約8年勤務した結果、世の中の最前線で通用する実践的スキルを持つ人材像から遠ざかってしまっていたのでは、と自分の価値をあらためて知ることができました。この出来事がきっかけで、私はそれまで固執していた見栄やカッコイイ職業に就きたいという欲を捨て、自分のやりたいことに集中して人生を豊かにしようと決めたんです。

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自身で立ち上げた「EdTechWomen Tokyo」のメンバーたちと。

道が少しずつ開けてきたのは、そこからでした。教師であり、地域貢献にも精力的だった祖母のような女性になりたいと思い、教育分野での道を模索することに。するとちょうど、古巣であるソニーが教育系のスタートアップを立ち上げるという知らせが飛び込んできて、恥を忍んで「一緒にやらせてもらえないか」と打診したところ、快く受け入れてもらえることになりました。

夫の転勤で渡っていたサンフランシスコを拠点に、シリコンバレーの教育系スタートアップや最新の教育事情を調査して回り、大いに刺激を受けました。ミネルヴァのことを知ったのもその流れの中で、でした。同時に、かねてよりやりたかった女性の社会進出支援のコミュニティ運営にも取り組むことになりました。

そうやって好きでやっている活動では、かつて感じていたような社会での孤独感に悩まされることはなく、「ここなら貢献できる。ここが自分の居場所だ」と思えるようになりました。自分でもそれまで気づかなかった自分の中のクリエイティビティーに気づくことができたのです。

―現代の複雑な問題を解くのには多様な才能がコラボする必要があると考えると、各自が自分自身の興味を突き詰めることで多様性を担保するというのは、納得感がありますね。

かつてのように社会や会社からの要請を受けて、必死に自分を駆り立てて ”外” に合わせて専門的なスキルを学ぶよりも、自分から学びたいことを組み合わせて学ぶほうが独自の付加価値を発信できるし、クリエイティビティーを追求し続けられる。キャリアの築き方は今後、今までよりずっと自由なものになっていくのではないかと思っています。

もちろん、今の私は学生だし、ブログによる情報発信もコミュニティ運営も、お金をもらってやっているわけではありません。今後自分の会社を作るなりしてお金を稼ぐフェーズになれば、こんなにきれいごとばかりではいかないかもしれません。でも、そうなったとしても、学び続け、3つのスキルを軸とし磨き続けることだけは、私は止めないんだろうと思います。

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ミネルヴァのクラスメイトたちと

(取材・文) 鈴木陸夫

"未来を変える"プロジェクトから転載(2018年5月29日公開の記事)


橋本智恵:ミネルヴァ大学大学院生。2007年津田塾大学卒業後、ソニーに入社。2015年夫の海外赴任で渡米。現地でソニーの新規事業である教育系スタートアップで米国市場進出、主にシリコンバレーの教育テクノロジー事情の調査に従事。現在はミネルバ大学大学院修士課程に在籍(Master of Science in Decision Analysis専攻)。EdTechWomen Tokyoファウンダー。米国STEM分野の女性支援メンタリング組織であるMillion Women MentorsにもEvaluation担当として参画中。

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