女性装で知られる東京大学・東洋文化研究所の安冨歩教授(55)が、埼玉県東松山市長選挙への立候補を表明した。子どもたちを政策の中心に据え、大学と地方議会の新たな関係を築きたいと言う。
東松山市長選への立候補を表明した安冨歩さん。記者会見は牧場で行われた。
撮影:竹下郁子
「無投票を避けたい」という市民の声に応えて出馬
6月21日、安冨さんが出馬の記者会見に選んだのは、東松山市の隣に位置する滑川町にある牧場だった。趣味は乗馬。この牧場と街の景色に惹かれて2017年に東京都から東松山市に移り住んだ。
東松山市長選は7月1日に告示、8日に投開票だ。安冨さんは無所属で出馬する。
他には自民党と公明党が推薦する現職の森田光一氏(65)も出馬の意向を示しており、当選すれば3選となる。
「強い現職の市長さんがおられるので対立候補がいないと。『無投票は避けたいから(選挙に)出てくれないか』と市民のみなさんに言われたんです」
安冨さんは、出馬のきっかけをそう説明した。政策の最優先事項は「子ども」だ。
「社会の未来を守るために最も重要なことは子どもを守ることだと、選挙を通じて伝えたいと思っています。当選したら全ての政策を『子どもを守る』という観点から、優先順位をつけて実行したい」(安冨さん)
学校は「子どもを守る基地」、道路は「交流の場」
撮影:今村拓馬
まずは学校。東京都目黒区で起きた女児虐待死事件が大きな注目を集めているが、安冨さんは学校を子どもたちが苦しいときに逃げ込める「基地」のような場所にしたいと考えている。「緊急の場合にはもちろん警察の力が必要ですが、それだけで子どもを守ろうとするとかえって虐待の隠ぺいが起きる可能性もある」と言い、小学校を地域の住民に開放して、社会全体で子どもに関わっていくことで、被害を未然に防ぐ方針だ。
そして交通。子どもにとって危険な場所がないかいう点検を徹底し、現在シャッター街のようにになっているという東松山市の中心部の自動車の進入を大幅に制限して、子どもや老人が道で自由に遊んだり、くつろいだりできる空間をつくる。「小さな路地を整備し、信号を取り外して循環交差点(ラウンドアバウト)に置き換え」「電線を地下に埋めて電柱を抜き、人が通りやすいように」(「東松山あゆみの会」HPより)するのだ。安全な道はすなわち交流の場だ。
「そこで定期市を開けば、子どもの安全を守るだけでなく経済も活発になるはずです」(安冨さん)
パートナーシップ制を異性にも
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安冨さんは京都大学経済学部を卒業後、住友銀行に就職。再び京大に戻り、大学院経済学研究科から博士号(経済学)を取得し、2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2009年から現職に就いている。
東日本大震災後の東京電力福島第一原発事故では、その後の国や東京電力の対応、それらを受け止める社会の在り方に違和感を覚え、論理的欠点をごまかしながら主張を正当化する「東大話法」について『原発危機と「東大話法」ー傍観者の論理・欺瞞の言語ー』を出版し、話題になった。
「男らしさに対する拒絶」(安冨さん)という理由で、女性装を始めたのは2013年頃だ。現在の婚姻制度を「150年ほど遅れている」と批判し、LGBTなど性的少数者のカップルを公的に認める「パートナーシップ制度」を同性だけでなく、異性でも利用できるように広げていきたいと言う。
「性自認や性的嗜好など、何かを口実にした差別や暴力は決して許さない。私たちの社会をボロボロにする、全ての暴力と対決していきたいと思います」(安冨さん)
大学と地方議会の架け橋に
撮影:今村拓馬
今回の出馬で痛感したのは、地方で政治の担い手が不足している深刻な現状だ。
「市長候補者になるような人材が払底し始めているんじゃないかと思うんです。だとしたら、国立大学にいる教員はその人材供給の重要なソースになるべきです」(安冨さん)
5月には東大の食堂に飾られていた著名な画家の作品が、判断ミスで廃棄されていたことが話題になった。こうしたことも「大学の政治的能力の欠如」が背景にあると安冨さんは言う。若い研究者が数年間、市長や地方議員を務めてまた大学に戻ってくるような交流ができれば、大学の研究にも行政にもメリットが大きいはずだと考えている。
しかし安冨さんによると、現在の規則では市長と教授の両立は困難だという。
東京大学の広報に問い合わせると、「公職の候補者への立候補に関する規定はない」が、「兼業は本学の職務の遂行に支障がない場合に限って許可される」とのことだった。(東京大学本部広報課)
安冨さんは当選しても4年後に復帰できるよう、大学に意見書を提出したそうだ。
「あの人は誰?」、選挙を身近な存在に
撮影:竹下郁子
安冨さんの立候補を支援するのは、子育て中の母親から60代後半の男女まで幅広い市民たちだ。支持政党がない人も多いという。そのうちの一人である40代の女性は、多様性のある街づくりを安冨さんに期待している。
「無投票は避けたいという思いから選挙の相談をしていたのですが、本当に立候補してくださるとは思わなかったので、すごく心強いです。保守的な地域なのですが、安冨さんが市長になったら、ジェンダーのことも含め、全ての人がありのままの姿で暮らしていける気がして」(女性)
女性の周囲には日々の生活のことでいっぱいで、選挙に関心を持たない人も多い。しかし安冨さんが立候補を表明して以降、「あの人は誰?」「何が起きてるの?」と、市長選が話題にのぼることが増えている。
「『一票を持たない子どもを政策の中心にしたい』というメッセージは、普段は政治に関心が薄い若者や子育て世代にも響くはず。市長選をきっかけに、市民が政治に興味を持ったり、新しい視点で街づくりを考えられるようになればいいなと思っています」(女性)
(文・竹下郁子)