shutterstock
5年ほど前からビジネスにおけるAI(人工知能)の利用は、人事問題であるという話をしてきた。機械学習のアルゴリズムをつくり、大規模データを解析するようなデータサイエンティストの争奪戦がグローバルで益々激しくなることが、当時は予想されていたからである。
ここ数年、スタンフォード大学のようなメジャーな大学でコンピュータサイエンス学部を出た学生は、初任給1500万円に加えてストックオプションや譲渡制限付株式で1500万円程度というのが相場であり、日本のエンジニアの給与の話をアメリカ人にすると信じてもらえないか、「激安だね」と言われるかであった。
確かに昨今、日本人の人件費は安い。感覚的にはスイスや北欧諸国の半分程度が日本の平均年収であろう。
報酬体系は変えないという経営判断
Facebookなど世界的IT企業を中心に優秀な人材の争奪戦が激しさを増している。
REUTERS/Robert Galbraith
グーグルやFacebookなどのメジャープレイヤーの「普通」のエンジニアは少なくも2000万円以上の給与は得ている。アメリカでは投資銀行やコンサルティング会社の人気は陰り、優秀な若者はコードを書いて機械学習を学び、巨大IT企業に就職するか、自ら起業して世界を変えるかビリオネアになることを夢見る。
グローバルに事業展開を行う日本の家電メーカーや自動車メーカーのようなテクノロジー企業もこのような人材獲得競争から無縁ではいられないことは衆目の一致するところだろう。
一方で企業の現場に目を向ければ、年収600万円の10年目エンジニアの横に、新卒で年収1500万円のデータサイエンティストを配属している企業は少ない。自分の方が「ここに長くいる」という点において、自分より報酬の高い新人は受け入れ難いのが普通である。
特殊な教育を受けた外国人なら「仕方ないか」と思えるが、自分との同質性が高いほど許し難いのが現実である。
これは「だから日本企業はダメなんだ」という話ではなく、今までの報酬体系は変えないという経営判断をしているということである。若くて優秀な、アルゴリズムを構築できる人材は合理的な選択として、自分に年収2000万円の価値を認めてくれる米国系企業や中国系企業に就職することもあるだろう。
横並び報酬は企業価値を高めるのか
東京大学をはじめとする日本の優秀な学生たちも、新入社員になれば同じスタートラインから出発する。
REUTERS/Toru Hanai
情報は求める人間には無限に手に入るのが今の世の中であり、東京大学でトップクラスの理系人材が、アルファ碁を世に送り出したディープマインド社で腕試しをしてみたいと考えることを誰も止めることはできない。
日本企業はこうした人材に月給20万円とブランド価値、福利厚生で自社を選んでもらう必要がある。無論、優秀な若者は優秀な上司、同僚と無限に拡がる可能性を好むものだ。こうした環境を提供することによって人件費を抑えられる日本企業もあることだろう。
ある意味で、年功序列の報酬体系が問われており、一生みんな一緒に少しずつ給与が上がることこそが、企業価値を高めると考える経営者もいるだろう、それは信念と判断の問題である。
ただしここ3~4年は上場企業経営者の報酬水準は上昇傾向にあり、CEOが何十億円もの報酬をもらう米系企業とは比較にならないが、日系企業の経営者も1億円以上の報酬は珍しいものではなくなっている。
40、50代の男性は自身に有利な制度をつくる
現場の社員達は横並びの昇進・報酬を良しとするのも一つの考え方だが、自分たちの経営者の報酬も見ておきたい。
日本企業において経営者の報酬が増えることの良い面は、自他ともに能力の限界に気づいた経営者や役員をスムーズに退任させ、新陳代謝を促せる点である。新卒から何十年もかけて役員の座についた人間でも、経済的に余裕があった方が、第2の人生プランに進んでもらうことを促しやすい。経済的に余裕が無ければ、その地位にしがみつく理由にもなる。
これは民間、官僚、大学とどんな組織にいたとしても、他社に移って満足できる地位と報酬を得る確証があれば、今いる組織で自分の信念を曲げて迎合する必要が無いためである。
逆に言えば、外に出ることに不安があるから、自分の信念や性格を曲げてでも組織に適合しようとするのがごく普通であり、これは生きていくためなので誰も責められない。所属する会社のカンバンが強くて大きいほど、外の世界は厳しく見える。
昨今、副業解禁から外で仕事をしたら、本業がいかに快適だったかよくわかったという話も耳にする。また、会社に残り、年齢を重ねて能力・体力が劣化すれば年功序列にシンパシーを抱くのは自己防衛本能である。現在の我が国の企業におけるマジョリティである40歳~50歳男性なら、その数の力によって、自分に有利な制度設計の社内ロビイングを行うのもその属性としては合理的である。
出世コースに乗るかどうかの選別は早くなっている
「AI活用を推進する人材を社内の充実した教育制度で育成する」と宣言したダイキン工業。
REUTERS/Toru Hanai
例えばダイキン工業のように、AI活用を推進する人材を大阪大学とも提携し、社内の充実した教育制度で育成すると宣言するのも経営判断だろう。AI人材の能力において米中に既に大きく差をつけられてしまったことを所与として、経営判断するのもある。
ただし、最適化、認識、推薦、予測を得意とする機械学習のビジネスへの応用が進む中、AI人材の獲得を奇貨として、人事制度をアップデートするという機会を捉えることが経営者はできたはずである。これを使わないのであれば、それも経営判断だったのだ。
横並びの昇進・報酬を良しとして働くのも社員の考え方だが、世界各国で本気で戦っていこうとする企業であれば、それは社員側からは冷たく見えるかもしれないが、いわゆる出世コースに乗るか否かの選別が年々、早くなっているということだ。企業という組織が一つだけ願いが叶えられるならば、「継続的に名経営者が生まれますように」という願いとなるだろう。
55歳の社長をつくるために始まる30歳選抜
54歳で三井物産社長に就任した安永竜夫氏。
REUTERS/Issei Kato
では名経営者をつくるにはどうしたら良いか?
経営者は20代のように物事を吸収し思考し、海外を飛び回っても疲れ知らずに元気いっぱいであるべきだ。そして経験に裏付けられた度胸と風格、そして社員からの信頼があるべきだ。
そうすると年齢にして50代前半、55歳くらいまでには社長になって欲しい。三井物産の安永社長は54歳で社長に就任したが、そのイメージだろう。そうすると、45歳くらいで事業部長やカンパニー長にはなっていて欲しい。そこから社長まで10年弱しか無いのだから。
45歳で事業部長なら35歳からはいくつもの事業やプロジェクトのリーダーを務めて、結果を残しているべきだろう。そうすると30歳前半にはMBA以上のビジネスの広範な知識や語学力が無いと、35歳でグローバルなプロジェクトのリーダーは難しいだろう。すると企業としても30歳くらいで、幹部候補か否かを選別し、子会社再生や事業提携といったチャレンジを設計して与えていく必要がある。
ごく普通に考えて名経営者と言わずとも、元気なまともな55歳の社長をつくるにはこういうスケジュール感となる。無論、これは理想であり、現実には鳴かず飛ばずで役職定年する人材も出るし、不幸にも健康でいられない人もいるだろう。また、企業が傾いた際に、コースに乗らず傍流にいた人間が活躍して本流に戻る例もよくある。
55歳の元気な経営者をつくるには30歳前半で幹部候補を選別にかけていくことになる。これは社員として冷たく感じるだろうか?しっかりと終身雇用してもらうには、勤め先に潰れてもらっては困るので、将来の良い経営者をつくることには総論賛成に違いない。
自分より年収の高い新人や、若い社長を否定するのもまた組織であり経営だが、未来は現在と地続きであり、逃げられないのであれば、今が意思決定タイミングであることは間違いない。
※本文は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織・団体の公式な見解ではないことをご了承ください。
塩野誠(しおの・まこと):経営共創基盤(IGPI)取締役マネージングディレクター。国内外の企業や政府機関に対し戦略立案・実行やM&Aの助言を行う。10年以上の企業投資の経験を有する。主な著書に『世界で活躍する人は、どんな戦略思考をしているのか?』、小説『東京ディール協奏曲』等。人工知能学会倫理委員会委員。