期待に胸を膨らませて入社したものの、研修が終わった頃に、現実に直面する。
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ITベンチャーで働くことに憧れていた。大学在学中からインターンシップとして働き、卒業後はそのまま正社員になった。オフィスは都心の一等地。男性(22)は正社員になったらもっと活躍できる、と期待に胸を躍らせていた。
ところが、入社から2カ月で10日も連続欠勤をしている。インターンのうちは上司や先輩からよく褒められ、自分も正社員になれば自由にプロジェクトを回せるものだと思い描いていた。しかし、実際には企画書を出しても突き返され、何が悪いのか説明もされない。連日、システムの保守ばかりやらされた。
「あんな仕事、誰だってできるじゃないか」
会社に対する怒りさえわいてくる。出社する気力もなくなり、部屋に閉じこもった。親の勧めでメンタルクリニックを訪れると、うつ病と診断された。
“お客様”インターンは入社後とのギャップに苦しむ
精神科産業医の吉野聡氏(ゲートウェイコンサルティング代表取締役)によると、こうした“新卒うつ”ともいうべき患者は珍しくないという。
出典:『「現代型うつ」はサボりなのか』(吉野聡著)
新卒うつが発症しやすい時期には規則性がある。吉野氏は、異文化研究者・リスガードが提起した「U字曲線モデル」を用いて説明する(図参照)。
「入社したばかりの4月は高揚感がありますし、新人研修が中心で仕事らしい仕事は与えられませんから、何をしても楽しい『ハネムーン期』です。しかし、5月の連休明けくらいから本格的に配属され、厳しい現実に直面する『ショック期』に入ります。多くの新入社員はここを乗り越えて『適応期』へと至りますが、抜け出せないままうつ病や適応障害に発展する人がいるのです」
昨今、就活に有利だからとインターンシップに参加する学生が増えているが、前出の男性のように会社のことを知ったつもりになっていると、後々ギャップに苦しむ。
「インターンは企業にとって“お客様”ですから、会社のいい面しか見せません。その割に、正社員として入社後は、周囲は『去年からいたから分かるよね』という感覚で接し、丁寧な指導もないことが多い」(吉野氏)
会社が説明会で話す理想は現実ではない
ベンチャー企業を選ぶ人は、将来の起業を目指していたり、世の中に新しい価値観を打ち出したい気概を持っていたりする。だが、そうした“自分らしさ”にこだわるほど、就職後の現実に大きなダメージを負う。
「ゆとり世代とも呼ばれる彼らは、個性的であること、自由であることを尊重した教育を受けてきています。しかし、会社はそうした考え方で回っていないわけです。入社説明会では、どこの会社も『社員のワークライフバランスを大切にします』『あなたの個性を発揮して下さい』などと言いますが、会社が目指す理想であって現実ではありません」(吉野氏)
男性は、ふいに大学時代の同級生のことを思い出す。
「大手企業に就職したあいつらは手厚い新人研修を受け、大切に育てられている。自分の選択は間違いだったのか……」
吉野氏によると、自分と他人を比較する傾向が強い人は、メンタル不調を招きやすいそうだ。情報化の進展が、さらに拍車を掛ける。
常に同期とLINEで競争にさらされる
仕事をしていればストレスはたまる。それを処理する能力を向上させるには(写真はイメージです)
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大手住宅メーカーの営業職として就職した女性(22)は、新人合同研修で一緒になった仲間10人ほどとLINEのグループを作った。研修期間が終わった後も、日々、近況を報告し合っている。入社から1カ月半がたった頃、仲間の1人が「初めて契約を取ったぞ!」と書き込んだ。途端に心がざわついた。
「私は先輩の補佐をしているだけ。ほかのみんなはどうなんだろう……」
気が気でなくなり、数人に個別のラインを送った。結果、自分は出遅れていることに気づき、将来が絶望的に感じた。出社しても仕事が手に着かず、退職することを考えている。
かつてであれば半期や四半期ごとの人事評価で自分の立ち位置を知らされていたが、今は随時情報が入り、競争にさらされる。デジタルネイティブならではの厳しい状況があるのだ。
彼らがメンタルクリニックを訪れると、「できるだけストレスの少ない生活をしましょう」と言われることが多い。抑うつ度が高いと、配置転換や休職を指示されることもある。だが、社会人として働く以上、ある程度のストレスは不可避だ。うつ病で休職した人の47%は、5年以内に再発・再休職している(厚生労働省調査)。
ストレス処理能力を高める首尾一貫感
「ストレスの回避だけでなく、本人のストレス処理能力を高めることが大切です」と吉野氏は語る。
その手だてとして最近注目されているのが、「SOC」(Sense of Coherence:首尾一貫感)だ。
SOCは、1970年代にイスラエルの中年女性を対象にした調査を基に、健康社会学者アントノフスキーが提唱した概念である。第二次大戦時に、あの壮絶なアウシュビッツ強制収容所を経験した女性でも、約3割は心身ともに健康を保っていた。彼女たちの共通点から、「有意味感」「把握可能感」「処理可能感」の3つでSOCを構成した。
・有意味感……どんなつらいことに対しても、何らかの意味を見いだせる感覚。
・把握可能感……直面した困難な状況を、秩序だった明確な情報として受け止められる感覚。
・処理可能感……どんなにつらいことに対しても、「やればできる」と思える感覚。
出典:『「現代型うつ」はサボりなのか』(吉野聡著・平凡社新書)
吉野氏が所属していた研究グループ(筑波大学産業精神医学・宇宙医学教室)で、約2万人の労働者を対象に抑うつ度に影響を及ぼす因子を調べたところ、SOCが高い人ほど抑うつ度が低いことがわかった。吉野氏は「ここに職場におけるうつ対策の鍵が隠されているのでは」と考えている。
自分がどれくらいのSOCを持っているかは、29項目の質問(または短縮版の13項目)で把握できる。SOCの高低はそれまでの人生経験に左右されるが、新入社員のSOCを高めることも不可能ではない。前出の男性は、システムの保守をさせられて不満を感じているが、上司や先輩のはたらきかけ次第で、SOCが育まれる。
精神科産業医の吉野聡氏。
本人提供
「例えば、冒頭の男性の場合、『わが社の基幹システムの管理を覚えれば、先々、応用が効くよ』などと言葉をかけるだけでも、有意味感が高まり、頑張る気持ちがわいてくるものです。
最近の若手は非常に成長を急いでいて、下積みが続くことに不安を抱きますが、上司が『君をこうやって育成するつもりでいるよ』と見通しを説明することで、把握可能感が培われます。また、上司が『最後は自分が責任をとるから、安心して仕事をしよう』などと日頃から言っていると、処理可能感が高まるでしょう」(吉野氏)
新卒うつを、本人の脆弱性のせいにして片づけることは簡単だ。だが、彼らのストレス対処能力を高める取り組みは、結果的に企業全体の健康に資することを忘れてはいけない。
(文・越膳綾子)